あどけない の 意味。 あどけないの語源・由来

高村光太郎の「あどけない話」に「智恵子は東京には空がないと...

あどけない の 意味

意味を知っておきたいカタカナ語です。 <リテラシーの意味> リテラシー(literacy は 「読み書きができる、教養のある」 という意味から転じて 、 「情報や知識の活用能力」 という意味でよく使われいます。 元々はラテン語で「字識のある」という意味の言葉です。 その意味から、「読み書きできる」や「教養のある」、「知識がある」など意味になりました。 知識を持ち合わせていることから、 「知識があり活用できる能力」というように使われるようになりました。 「ネットリテラシーが必要だ」という使い方であれば、 「ネットの活用能力が必要だ」という意味になります。 「使いこなす能力・知識」という意味で考えても良いです。 どこまでの知識があると良いのか?については何とも言えません。 「俺はネットリテラシーがある」と、自分ではあまり言わない方が良いでしょう。 <リテラシーの使い方> ・ネットリテラシーが無い人は発信を控えるべきだ。 ・最近ではメディアリテラシーの定義も変化しているようだ。 ・この業界に入るには確かな金融リテラシーを持つことが重要である。 以上、リテラシーの意味とはでした。 -- 前: 次:.

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リテラシーの意味とは

あどけない の 意味

ことばの意味(語彙・意味・語源) 分類:その他(気が置けない) 「気が置けない」の意味は? 「気が置けない~」は「気を使うことなく、気楽につきあえる」という意味です。 しかし、しばしば誤用で「油断ができない」という意味にとられることがあります。 これはまず、「置けない」をどのように解釈するかの違いから来ています。 すなわち「置けない」を[可能]ととった場合「気を置くことができない」となり、何となくそこから油断できないというような意味にもとれてしまいます。 しかし、この「置けない」は本来[自発]の意味で用いられています。 [自発]とは「(特に~しようとしなくても)~してしまう」という意味です。 したがって「気が置ける」は「(特に気を置こうとしなくても)気を置いてしまう」という意味になります。 そして「気を置く」という表現の意味がもうひとつのポイントです。 これは「油断をする」という意味ではなく「気を使う」という意味です。 これと先ほどの[自発]の意味を合わせると、「気が置ける」は「気を使おうとしなくても気を使ってしまう」という意味になります。 そしてさらに「気が置けない」はその反対の意味ですから「気を使おうとしなくても気を使ってしまうということがない」ということになります。 したがって「気が置けない」は「気楽につきあえる」という意味になるわけです。

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高村光太郎の「あどけない話」に「智恵子は東京には空がないと...

あどけない の 意味

これは物理現象としての空を示してはいないんですね。 文学なんだから、この「空」というのは象徴しているものがあるんです。 「空」とは何か。 それは人々の上に覆いかぶさり、自分を見守り慈しみ大事にしてくれるもののことなんです。 そういう象徴だということ。 だから「東京には空がない」という言葉は、東京には自分を見守り大事にしてくれる人間がいないということなんですね。 智恵子の狭窄し、閉じられようとする心を示し、それを捉えた高村光太郎の悲しみを示したものなんです。 では安達太良山にはあったのか。 そうなんですね。 智恵子の故郷では自分を慈しみ育んでくれた両親や家族が居り、見知った人々がいた。 だから「空はあった」ということなんです。 厳しく書いていらっしゃる方もいるけど、詩を愛好する人間としては美しいものをまるで違ったように解されると我慢できないものだから。 芸術というのは全て間接表現なんです。 直接表現というのはわかりやすいんだけど、心の奥深くにまで届かないんですね。 「東京にはいい知り合いがいない」と書けばわかるんだけど、何の感動もないし、実は正しい全てを語ってはいないということなんです。 全てのものは揺らぎがあり、固定できないものなんですよ。 だから芸術の意義がある。 間接表現というのは、そこにあるべきものを一旦隠すということだから。 喪失することでそこに余白が生まれる。 その余白に向かって、鑑賞者は自己の中に在る様々なものを投入するようになるんですね。 語りつくせないものを目いっぱいにすることが出来るから余白というものが重要なんです。 サモトラケのニケ像というものがあるけど、古代ギリシャの彫刻なんです。 ニケという翼を持った神の像なんだけど、年月を経て首と片翼を喪っている。 だから美しいんです。 喪われた部分に自分の思う限り最高の美を注入するから。 つまり余白があるんですね。 間接表現というのは全部そういうことなんです。 最初は難しいのかもしれないけど、上達するにつれ、また自分の経験が積み上がっていくとどんどん美しいものが見えてくるものなんです。 詩には強烈な力がある。 人生を一変させるようなパワーがある。 現代人は自分の詩を持たない人が多いけど、だからみんな味気ない、矮小な人生になるんだと思いますよ。 歴史上の偉人で文学の素養の無い人間はいないんだから。 特に詩は重要で。 魂の慟哭だから。 強烈に自己を揺さぶる力があるんです。 感動というのは涙を流すとか、「良かったぁ」と感ずることではない。 感じて動かざるを得ない体験なのだから。 詩が古来から愛され続けているのはそういう体験を多く導くからなんですね。 哲学者も自分で多く詩を詠んでいるし、引用もしている。 文学が人生を支えている証拠ですね。 光太郎と、智恵子の持つ「性的ないやらしさ」を感じ取りなさい。 以下引用。 www. geocities. htm 書名 我が愛する詩人の伝記 著者 室生犀星 初出 1958年 中央公論社 高村光太郎への憎しみに満ちた愛を見なくてはならない。 江戸職人の名人(高村光雲)の家に生まれ、洋行してはロダンに私淑し、「青鞜」の表紙絵を描いたこともある長沼智恵子との生活、そして名声を自然に引き寄せる、高村光太郎へのコンプレックスを室生犀星は包み隠さず表現する。 いや、包み隠さない振りをすることで、あるストーリーを創作したとも言える。 智恵子と住む千駄木のアトリエの話である。 「千駄木の並木のある広いこの通りに光太郎のアトリエが聳え、二階の窓に赤いカーテンが垂れ、白いカーテンの時は西洋葵の鉢が置かれて、花は往来のほうに向いていた。 あきらかにその窓のかざりは往来の人の眼を計算に入れた、ある矜と美しさを暗示したものである。 千九百十年前後の私にはその窓を見上げて、ふざけていやがるという高飛車な冷たい言葉さえ、持ち合わすことの出来ないほど貧窮であった。 こういうアトリエに住んでみたい希みを持ったくらいだ。 四畳半の下宿住いと、このアトリエの大きな図体の中におさまり返って、沢庵と米一升を買うことを詩にうたい込む大胆不敵さが、小面憎かった。 」そして、勇気を振るって呼鈴を押した室生犀星が見たもの。 「放心状態でいたのでコマドの内側にある小幅のカーテンが、無慈悲にさっと怒ったように引かれたので、私は驚いてそこに顔をふりむけた。 それと同時にコマド一杯にあるひとつの女の顔が、今まで見た世間の女とまるで異なった気取りと冷淡と、も一つくっ付けると不意のこの訪問者の風体容貌を瞬間に見破った動かない、バカにしている眼付きに私は出会ったのである。 」 「再びカーテンが引かれたが、用意していた私はこんどは驚かなかった。 ツメタイ澄んだ大きくない一重瞼のいろが、私の眼をくぐりぬけたとき彼女の含み声の、上唇で圧迫したような語調でいった。 『たかむらはいまするすでございます。 』」「三度目に訪ねたのは一ヵ月後のある午前中であったが、ツメタイ眼は夫のほかの者を見るときに限られている。 夫には忠実でほかの者にはくそくらえという目付で、やはり追い払われた。 」 田舎者室生犀星が見た「智恵子抄」の智恵子のツメタイ眼である。 もっとも智恵子も福島の田舎出身であったが。 彼女もまた光太郎へのコンプレックスを抱いて、「東京には空がない」という言葉とともに別の世界に閉じこもっていくのであった。 それに対して室生犀星は40数年前の屈辱を書き記すことでコンプレックスを相対化させたのである。 追記、室生犀星が見た光太郎と智恵子は、二人とも真っ裸になって、光太郎が四つん這いの馬になって、そこに智恵子が乗って、「はいどうどう」としていたことだ。 こんなことくらいは、常識なんだぞ。 なんで、そんな読み方しかできないのかということで悲しい。 そもそも、この詩のなかで光太郎自身が言っているように、空そ のものにそんなにちがいはなかったろうと思いますね。 では、なん で、智恵子はそんな風にいうのだろうということを考えるのが、詩 の面白さでしょう。 いろいろな楽しみ方があります。 例えば、あなたが実際に福島 を訪れてみて(いまは原発の問題もありますが)、安達太良山 や阿武隈川を前に、空を見上げてみるのもいいですね。 智恵子の境遇に焦点を絞れば、彼女は結婚前は、社会のな かでも先進的な女性として知られ、尊敬の目でみられていた。 芸術家としても才能があった。 けれども、光太郎と結婚して、 その称賛は批判に変わります。 結婚生活は矛盾に満ちてお り、実家の造り酒屋もうまくいかなくなってしまい、諸々のプレッ シャーから、やがて発狂に至ります。 智恵子の症状は、まず故郷へのノスタルジーとして徐々に表れ、 やがて精神が壊れてくると、子どもがえりや暴力として、手のつ けられない状態に至ります。 そういう智恵子が言っていることです。 彼女の精神は、不安定に なっています。 光太郎は、それに敏感になっています。 こんな空の 色や模様の、微妙なちがいにさえ2人は緊張しあっているのです。 それに気づけるというのは、もともと智恵子が繊細で、細々とした 感覚に優れていたことの証拠です。 彼女の良さなのです。 それだ けに、光太郎には悩ましく思えるのでしょう。 そういう、こころのクロス・トークを感じてほしいところです。 智恵子は東京に空がないと言ふ、 ほんとの空が見たいと言ふ。 私は驚いて空を見る。 桜若葉の間に在るのは、 切つても切れない むかしなじみのきれいな空だ。 どんよりけむる地平のぼかしは うすもも色の朝のしめりだ。 智恵子は遠くを見ながら言ふ。 阿多多羅山の上に 毎日出てゐる青い空が 智恵子のほんとの空だといふ。 あどけない空の話である。 「智恵子抄」に収められた「智恵子の半生」という散文の中に、智恵子さんが病弱がちでたびたび田舎の空気を吸っていなければ体がもたなかったということが書かれており、そこで「あどけない話」が引用されています。 「あどけない話」の私は驚いて空を見る。 ・・・うすもも色の朝のしめりだ。 詳し述べると、 「…彼女にとつては肉体的に既に東京が不適当の地であつた。 東京の空気は彼女には常に無味乾燥でざらざらしてゐた。 …私と同棲してからも一年に三四箇月は郷里の家に帰つてゐた。 田舎の空気を吸つて来なければ身体が保たないのであつた。 彼女はよく東京には空が無いといつて嘆いた」 「私自身は東京に生れて東京に育つてゐるため彼女の痛切な訴を身を以て感ずる事が出来ず、彼女もいつかは此の都会の自然に馴染む事だらうと思つてゐたが、彼女の斯かる新鮮な透明な自然への要求は遂に身を終るまで変らなかつた」(以上、「智恵子の半生」より) 光太郎が慣れ育った「此の都会の自然」と千恵子慣れ親しんだ「阿多多羅山の上に毎日出てゐる青い空」=「田舎の空気」の落差と、彼女の感受性の豊かさが読み取れますよね。 この「あどけない話」は、昭和3年に発表されている。 2人が結婚して10年後のもので、最も幸福に満ちた時代の詩といわれている。 光太郎が福島県の智恵子の実家に帰省していた時に書いたものだ。 国語のテストのようになりますが…。 このセリフは多分に智恵子の心象によるところが大きいと思うのですが、そのころの東京でも、智恵子がすごした場所から見ると近代的な大都会だったのではないでしょうか? 高い建物、市電が走り、街灯が灯り…今よりは星が見えたとしても、智恵子にはその星の数でもさびしく映ったのではないでしょうか? いまの東京から思えば確かに智恵子の時代は安達太良山も東京の空も綺麗だったと思いますが、その当時で言えばやはり東京には空がなかったのでしょう… 私はこの内容を家の窓や、建物の隙間から見える空の面積が少ない=空がない、というように思ってたのですが^^ 現実的に現在の私たちからみればあなたの言われるように変わりがないのかもしれませんね。

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