あそこ で はたらく むすぶ さん。 縁側

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あそこ で はたらく むすぶ さん

客(きやく)は老骨(それがし)唯一人(たゞひとり)。 菜單(しながき)に"(ひやしこんとん)"なるものがあり試之(これをためす)。 "(ひやしこんとん)"には、 "(きくらげたまごとぶたにくのいためもの)"を搭配(あはす)。 さらに通例(つね)のごとく"(ぶたのひづめのにこみ)"を加(くは)へ、 對價(あたひ)、一千九百六十七圓也(いつせんきふひやくろくじふしちゑんなり)。 市販(そこいらにある)の" 火腿(ハム)"には怪訝(いぶかり、くびかし)ぐるも、 " 餛飩皮(こんとんのかは)に至(いた)るまで 手製(おやかたてづからのもの)。 "(こんとん)"は尋常(つね)のごとく"形(げんぱうのしろかねをかたどる)"。 善哉(よきかな)、善哉(よきかな)! これには、 " 雞(にはとり)"、" 火腿絲(ハム)"、" 黃瓜絲(そばうりせん)"、" 蕃茄(あかなす)"。 "(ごまびしほ)"との搭配(くみあはせ)がなかなかに吉(よ)く、 かの 四川小吃(しせんむしやしなひ)"(とりにくたゝき)"をも髣髴(おもはす)。 "(きくらげたまごとぶたにくのいためもの)"には、 " 肉片(うすぎりにく)"、" 葽(きくらげ)"、" 炒蛋(いりたまご)"のほか、 " 胡蘿蔔片(せりにんじんうすぎり)"、" 黃瓜片(そばうりうすぎり)"の姿(すがた)。 6 旭光學 賓得(Pentax)S-M-C 琢磨(Takumar)1. 現在(いま)を泝(さかのぼ)ること大畧(およそ)七萬年前(なゝよろづとせまへ)、 (おほきなるわざわひ)に因(よ)り、 一萬(ひとよろづ)ほどに激減(へ)るも、 智慧(ちゑ)を驅使(つか)ひ命脈(いのち)を保(たも)ち得(え)たり。 ""のごとき(けだものをかり、このみやのゝくさをつむくらし)から、 農耕(たはたをたがや)し、 牧畜(うしやひつぢか)ふことに因(よ)り、 (ひと)は大繁榮(おほいにさか)え、 軈而(やがて)、 削山移川(やまをけづり、かはのながれをかへ)るまでに、、。 扨(さて)、此度(こだみ)の"(ぶす)": 縱令(よしや)罹患之(これにかゝる)とも、 "(ペスト)"・""に比較(くら)べ 低致死率(みまかるわりあひがひく)ゝ、 死者(みまかりしもの)も、過半 あらかた 、 高齢者(よはひかさねたる、おきなうば)。 (おほがゝりなしかけ・からくりによるものづくり)が蔓延(はびこ)り、 醫療(いれう)が發達(すゝ)み、 濫(みだ)りに(ひと)ばかりが増殖(ふ)え、 野生動物(のゝけだもの)の棲息地(すみか)を簒奪(うばひさる)ことに、、。 加旃(しかのみならず)、 轉天覆地(そらをかへ、つちをくつがへ)す暴舉(かみをおそれぬあしきふるまひ)。 「これぞ" 天罰(かみによるこらしめ)"」と斷言(いはざるべからず)。 この(わざわひ)、 早晩(いづれは)收束(おさまる)が通例(つねのならひ)。 しかはあれど、 これに看過(みてみぬふり)するは、人道(ひとのみち)に背(そむ)くと云ふもの。 冢中枯骨(それがし)も、亦(また)、外出(そとにいづる)を憚(はゞか)り、 菜館(めしや)訪問(たづ)ぬるも稀(まれ)。 とは云へ、 幾月前(いくつきもまへ)ゟ(より)友輩(ともがら)と一緒(とも)に、 豫約(せきをおさ)へたる閑古鳥(かんこどり)啼(な)く食堂(めしや)は? 惱(なや)みたる結果(すゑ)、敢(あ)へて開催(ひら)くことに、、。 前菜(さきづけ)に始(はじ)まり 甜品(あまみ)に終(を)はる、 " 中國東北菜(もろこしうしとらめし)"盡(づ)くしの宴會(うたげ)。 何(いづ)れも東瀛(ひのもと)に稀有(めづらし)きものばかり。 對價(あたひ)、八千四百三十九圓也(はつせんしひやくさんじふくゑんなり)。 2020-04-05(このひ)の菜譜(こんだて)は如下(つぎのとほり)。 "(ひらたきはるさめ)"の"(さきづけ)"。 "(くづきり)"に酷似(よくに)るも原材料(ちすぢ)が異(こと)なる。 輒(すなは)ち、 "・(はるさめ)"と同樣(おなじ)く、 "(やへなり)"もしくは"(じやがたらいも)"などゟ(より)製(つく)る。 食感(はごたへ・したざはり)も、亦(また)、"(くづきり)"そのもの。 を手掴(てづか)みにして頂戴(いたゞく)。 食桌(めしづくゑ)に置(お)かれたる""を、 齊(ひと)しく無言(ことばもな)しに狼餐虎咽(むさぼりくら)ふ容(さま)、 宛然(あたかも)、" 蟹(かに)"を眼前(めのまへ)にしたるがごとし。 無懐疑(うたがひもなく)、 この日(ひ)の白眉(なにより)。 "(けんりゆう)"ゟ(より)、 "(くわうしよ)"、"(せんとう)"、"(じき)"に至(いた)るまで、 御膳(みかどのめしづくゑにのる)食單(こんだて)として、 " 口蘑肥雞(こうまひけい)"の名(な)で載(の)るほど 高貴(たふと)きものとか。 "(あまのりいりのやきめし)"は勿論(いふもさらなり)。 西洋人(にしのかなたにすむ、なんばん・こうまうのひとびと)は、 "(あまのり)"を(はらわたより、みにくとなすちから)を持(も)たぬ。 その理(ことわり)、 偏(ひとへ)に、" 蕃茄(あかなす)"と" 牛腩(うしばらにく)"と云ふ、 "(うまみ)"の 相乘效果(たすけあひ、つよめあひ)に因(よ)るもの歟(か)? 中華東北(もろこしのうしとら)でも流行(はや)りつゝある歟(か)? これは、" 天津煎餠(てんしんせんべい)"とも呼稱(よ)ばるゝとの説明(よし)。 旣(すで)に滿腹(はらくち)く、これを家苞(いへつと)ゝなす。 内心(こゝろのなか)では、 「"(からもゝのさねどうふ)"か"(マンゴプリン)"が吉(よい)」 と思(おも)へど、 それでは宴(うたげ)の趣旨(ねらひ)に背反(そむ)く。 突然(にはか)なる齒痛(はいた)のため、 " 豆腐(とうふ)"+" 粥(かゆ)"+" 乳酪(ヨーグルト)"を選擇(えらむ)。 " 皮蛋(あひるのたまご)"も" 水果(くだもの)"も、亦(また)輭(やはらか)なり。 " 紅燒豬蹄(ぶたのひづめ)"は宰(きりわけ)られたるものにしてもらふ。 客(ひと)疎(まばら)。 否(いな)! 常態(つね)のことながら、 某(それがし)を除外(のぞ)き皆無(ひとひとりな)く、 晩餐(よる)も「甚少(はなはだすく)なし」との説明(こと)。 近會(ちかごろ)、 御内儀(おかみ)と電郵(E-Mail、エレキじかけのたより)をやりとりすることあり。 " 水村(みづむら)"なる姓(かばね)を不審(いぶかし)く思(おも)ひ、 この日(ひ)その縁由 (ことのよし)を問(と)ふ。 「 祖母(そぼ)が殘留日本人孤兒(もろこしにとゞまりしやまとのわらべ)にて、 小學校六年(こどものころ)東瀛(ひのもと)の土(つち)を踏(ふ)み、 以來(それよりこのかた)その姓(かばね)を用(つか)ひをりますれば、、、」 と説明(かたる)。 「產土(うぶすな)は(はるびん)。 出身(だいれんよりいで)し東道(あるじ)とは扶桑(こちら)にて、、」とも。 此度(こだみ)の稀有(まれにみ)る(はやりやまひ)を堪(こら)へ、 未來永劫(すゑながく)繁盛(さかえ)んことを(いのる)。 8 旭光學 賓得(Pentax) S-M-C 琢磨(Takumar)1. "(うみのさちやきめし)"には、"(むきえび)"と"(あさり)"。 " 鰕仁(えび)"に限定(かぎ)るなら、 旣述(すでにしるせ)しごとく、質(しつ)量(りやう)ともに『』が上(うへ)。 低黏着性(ねばりな)く「 筯(はし)にも棒(ぼう)にもかゝらぬ」は辛(つら)きところ。 "(やうじやうびやうじる)"、"(にはとりとあをものゝかゆ)": ともに、 滋味(いつくしみあふ)るゝ味(あぢはひ)。 これぞ、 ""にも" 肥膩(あぶら)"にも" 鹵味(しほけ)" にも依存(たよ)らぬ鮮美(よきあぢ)。 " (よだれどり)"に"(さくさいのあをながしらづけ)": この兩品(ふたしな)は" 蜀(しせん)"を髣髴(おもはす)醢醯(あぢつけ)なれど、 紛(まが)ふ方(また)なき 華美(よきあぢ)。 " 紅燒豬蹄(ぶたのひづめ)"は 常態(つね)に不變(かはらぬ)風味(あぢかをり)。 8~F4 東蔡(Carl Zeiss Jena)紅 MC Pancolar 1. 以前(かつて)は曜日毎(やうびごと)なりしが、 六種(むくさ)の中(なか)より選擇(えら)む方式(やりかた)へと變更(なれり)。 かくて、初(はじめて)の" 套餐(きまりめし)"として擇(えら)みしは、 "(くろずのあばらにくすぶた)"とも、 "(みなみのすぶた)"とも異(こと)なる"(うしとらのすぶた)"。 "(あかなすびしほ)"を不使用(つかはぬ)做法(やりかた)で注文(たのむ)。 磁碟(さら)に、 "(うしとらのすぶた)"、" 粳(うるのこめ)(ひめいひ)"、 "(ちやばにたまご)"、" 榨菜(さくさい)の(あをながしら)"、 "(ごまだんご)"と「(あひいれぬものが、おなじふねにあひのり)」。 掉尾(いやはて)に啖(くら)ふとなると、" 熱(あつさ)"までもが喪失(うしな)はる。 想定外(おもひのほか)の美味(よきあぢ)が"(こめのいひ)"。 ,(すなはち)、"粳(うるのこめ)姫飯(ひめいひ)"。 何(なん)でも、「 埼玉産(ださいたまの)" こしひかり"」との説明(よし)。 炊方(たきかた)も適切(よ)く、 口(くち)、不怡(よろこばず)と云ふことなし。 "(すいかうじ)"、"(からもゝのさねどうふ)"の二品(ふたしな)は、 常態(つね)に一無變化(つゆことなるところなし)。 "(すいかうじ)"の"(たれ)"は、 " 香醋(くろず)"、" 醬油(しやうゆ)"、" 芝蔴油(ごまあぶら)"、" 蒜頭鬆(おほひる)"。 廚周圍(くりやまはり)と 鍋(なべ)が 清潔(きよらか)なる理(ことわり)、 偏(ひとへ)に、 「 油(あぶら)を多用(つか)ひますゆゑ都度(まめ)に清掃(ふきゝよめ)ますれば、、」 とは御内儀(おかみ)の辯(はなし)。 "(ぶたのひづめ)"はこれまた平生(つね)のごとく 家苞(いへつと)。 當日(このひ)も、 客(きやく)は冢中枯骨(それがし)一人(ひとり)。 これほどまでに誠心誠意(こゝろづくし)の烹飪(にたて)をすれど、 絶(た)へて人影(ひとかげ)不見(みざる)は、實(げ)に、怪訝(いぶかし)きかぎり。 8~F5. 6 午餐(ひる)も終了(をは)り、 燈火(ともしび)消(き)へて、閑散(ひつそりとしづまりかへる)。 その容(さま)、 (パソコン)・(スマフォ)の 待機状態(まちうけ)を彷彿(おもはす)。 日沒眞近(ひもまさにおちな)んとし、光源(ひかり)は行燈(あんどん)のみ。 寒(さむ)さ凌(しの)ぎの"(もろこしのさけ)"に、 "(ぶたとこえびのこんとん)"、"(ぶたのひづめしやうゆに)"、 "(にぶた)"も追加(くは)へ、 對價(あたひ)、二千七十七圓也(にせんしちじふしちゑんなり)。 " 風味(あぢとかをり)"は 平生(つね)に一無相違(つゆことなるところなし)。 (さかづき)重(かさ)なるほどに、 肢體(み)も心(こゝろ)も温(あたゝ)まる。 "(ぶたとこえびのこんとん)"の 湯(しる)、能右之(よくこれをたすく)。 體温(からだのあたゝかさ)を 上昇(あ)ぐるに、 "(なまのくれはじかみ)"が最適(よい)は、人所共知(あまねくしらるゝところ)。 然(さ)りながら、 保温(あたゝかさをたもつ)には、 "(カヽオ)"、猶(なほ)"(なまのくれはじかみ)"に奢(まさ)るとも、、。 ======================================== 愚按(やつがれおもふに)、 "(なまのくれはじかみ)"にも"(カヽオ)"にも贏(まさ)るは" 酒(さけ)"。 燗酒(かんざけ)なら理想(なほよし)。 辭別(いとまごひ)する頃(ころ)には 褞袍(どてら)重着(かさねぎ)したるがごとし。 此度(こだみ)、 何(なに)より敬服(おそれいり)しは 厨房器具(なべかまかまど)の 清掃(ていれ)。 調理(てうり)する都度(たび)、汚濁(よごれ)を拂拭(ぬぐふ)。 その容(さま)、往年(ありしひ)の『』を髣髴(おもはす)。 "(うり)"に爪(つめ)あり、"(つめ)"に爪(つめ)なし。 "蟻(あり)"に有蟲(むしあり)。 "(これ)"に無蟲(むしなく)、(かぎりあり)。 と云ふ經緯(いきさつ)にて、またも罷越(まかりこ)したる『』。 卍(まんじ)醉狂(すいきやう)、卑怯(ひけふ)、色情狂(しきじやうきやう)。 かくて、今日(けふ)も亦(また)、 形(げんぱうのしろかねかたどりたる)"(ぶたとえびのこんとん)"。 この掌柜(あるじ)、何(なに)をやるにも、 美味(あぢ)をのみ思(おも)ひわづらふ。 (こんとん)"の調劑(あぢつけ)は" 鹽(しほ)"。 ""に頼(たよ)らぬ 清冽(きよらかにす)める味(あぢはひ)。 " 餛飩(こんとん)"の内部(なか)に"(むきこえび)"、 湯(しる)に浮遊(うかむ)は、"(おきあみ)"と思(おぼ)しき"(ほしえび)"。 ======================================== "(び)"、"(う)"、"(ひ)"、三豪傑(みたりのつはもの)が、 「同年同月同日死(おなじひ、おなじつき、おなじひにしなん!)」 と 桃園(もゝのその)に、義兄弟(ぎゝやうだい)の契(ちぎり)を結(むす)び、 "(うしをさばきて、さかづきくみかはす)"一幕(ひとまく)。 倩(つらつら)"(こんとんカード)"なるものを凝視(ながむ)るに、 犧(いけにへ)の 烏牛(くろうし)・ 白馬(しろうま)ばかりか、 宰(さばか)れたる" 牛(うし)"も" 酒(さけ)"も圖像(ゑ)には無(なし)と云へど、 《(もゝのそのにぎをむすぶ)》塲面(ばめん)そのもの。 纔(わづ)かに、 " 牛(うし)"と" 酒(さけ)"が" 餛飩(こんとん)"に置換(おきかは)りたるのみ。 「"(ぎ)"を見(み)て三國演義狂(ヲタ)は欣喜雀躍(まひをどり)」、 「"(ね)"を見(み)て强欲吝嗇卍(ケチ)は北叟笑(ほくそゑ)む」 と云ふ譯(わけ)で、"(ぶたにくとこえびのこんとん)"を注文(たのむ)。 "(ぶたみゝとそばうりのあへもの)"、"(ちやばたまご)"、 "(ごまだんご)"、"(ぶたのひづめしやうゆに)"も、、。 對價(あたひ)、大畧(およそ)二千七百圓(にせんとしちひやくゑん)。 "(こんとん)"は尋常(つね)のごとく、 "(げんぱうのしろかね)"を象(かたど)りたるもの。 最小(いとちいさ)な"(ほしえび)"、"(ほしあまのり)"、に加(くは)へ、 "(かめむしさうみじん)"、" 蔥末(ねぎのみじん)"が浮(う)く。 "(ぶたみゝとそばうりのあへもの)"には" 酸辣(すみ+からみ)"。 "(ぶたのみゝせん)"、" 黃瓜絲(そばうりせん)"に、 香草(かめむしさう)、 胡蘿蔔絲(せりにんじんせん)、 蒜頭末(おほびるのみじん)。 以爲(おもふに)、 朱明(なつ)向(なつ)き歟(か)? 小體(こぶり)ながらも佳味(あぢよき)"(ごまだんご)": 中(なか)の"(あづきあん)"は、 「(あづき)を 沽(か)ひて練之(これをね)り、自製(みづからこしらへたるもの)」 善哉(よきかな)、善哉(よきかな)、(まんゑふがな)。 〽"(こんとん)"の、色(いろ)は匂(にほ)へど、(ちりれんげ)、 白醘(しろす)は醬汁(たれ)そ、酒(さけ)ならず、 湯(しる)もろともに、今日(けふ)喰(く)ひて、 淺(あさ)き夢(ゆめ)見(み)し、醉(ゑ)ひもせず。 8~F5. 6 高千穗光學(Olympus)Zuiko Auto 3. " 炒飯(やきめし)"の米粒(こめつぶ)が、 「(さらにねばらず、はしにねばらず、くちにねばらず)」と云ふ點(ところ)は、 "(あをものやきめし)"にて旣知(すでしるところ)。 "(にぶたやきめし)"もまた同(おな)じ。 かゝるが故(ゆゑ)に、 筯(はし)にも 棒(ぼう)にも掛(か)ゝることなく、 不本意(こゝろならず)も、(さじ)に拯(すく)ひて啖之(これをくら)ふ。 (さじ)は抛擲(な)げずに、 筯(はし)抛棄(うちやる)。 「この深(ふか)き顏色(いろあひ)は"(もろこしのたまりじやうゆ)"、 この 複雜玄妙(えもいはれぬ)風韻(かをり)は、 " 鹵肉(にぶた)"に用(つか)ふ 多種生藥(さまざまなるくすり)に因(よ)る。 」 との説明(はなし)。 「その" 生藥(くすり)"」はと索(たづ)ぬるに、 "(ぶたのひづめしやうゆに)"に用(つか)ふにほゞ同(おな)じ」 と判明(わか)り、且(かつ)點頭(うなづき)、且(かつ)打膝(ひざをうつ)。 實言(まこと)、 風味佳絶(よきあぢ、よきかをり)哉(かな)! 扨(さて)、需(もとめ)し前例(ことあ)る"(えびせうばい)": 麪粉(むぎのこ)として"(ちゆうりきこ)"を選擇(えら)み、 揑之(これをこ)ねて" 麪塊(むぎのこかたまり)"に、、。 黏性(ねばり)生(いづ)ずるまで寢(ね)かせ、(ちいさなかたまり)と做(な)す。 "(てのしめん)"の製法(つくりかた)に共通(つな)がるところ多(おほ)し。 "(ひきのばしめん)"には"(よもぎのはい)"を不可缺(かゝすべからず)。 拉(ひく)に不可缺(かゝせぬ)"(よもぎばい)"、 旅(たび)に不可避(つきもの)"(ごまのはい)"。 〽毎度(ゆくたび)に 戰慄(わなゝ)き俺(おれ)の 目(め)は泪(なみだ) とは大袈裟(おほげさ)ながら、 目(め)から鱗(うろこ)の落(お)つる感慨(おもひ)。 (しゆおやかた)謂曰(いひていへら)く: 「"(せうばい)"には(ちゆうりきこ)なれど、 "(こんとん)"には(きやうりきこ)」 以爲(おもふに)、 "蒸(む)す"か、"茹(ゆ)づ"るの相違(たがひ)に因(よ)らん。 〆に"(からもゝのさねどうふ)": 「"(きたのからもゝ)"のみを使用(つか)ひ、 無香料(かをりづけをせで)、 牛奶(うしのちゝ)を少量(しこしばかり)、、。 」 との由(よし)。 以前(まへ)にも(い)ふたとほり、 東瀛(ひのもと)では高名(なだか)き 甜品(あまみ)なれど、 そもそも、"(きやうにん)"とは、 氣(き)を治(なほ)す藥(くすり)。 本朝(わがくに)でも藥(くすり)として扱(あつか)はる。 ========================================= 清乾隆年間(しんけんりゆうのころ)には、 美味求眞(よきあぢもとめ)んがための" 點心單(むしやしなひのこんだて)"として、 "(きやうらく)"が出現(あらは)る。 これは現今(いま)の" 杏仁豆腐(きやうにんどうふ)"とは異(こと)なる 液(えき)。 6 旭光學 賓得(Pentax) S-M-C 琢磨(Takumar)1. "(しながき)"面目一新(あらたまり)、 慥(たしか)に、前述(くだん)の"(ぽくきんふうにくみそいため)"も、、。 看過(みてみぬふり)、 (ミザール)、(いはさる)、(きかざる)。 かくて、"(むぎのあはざけ)"に"(ほくけいふうにくみそいため)"、 "(やうじやうびやうじる)"、"(りうきういものあめだき)"、 "(ぶたのひづめしやうゆにこみ)"、 對價(あたひ)、二千五百七十一圓也(にせんごひやくしちじふいちゑんなり)。 勿駭(おどろくなかれ)、 當日(このひ)は两組(ふたくみ)四人(よたり)もの賓(まらうど)。 四人(よたり)都(すべ)て、老翁(おきな)・老媼(おひたるおみな)。 愚老(やつがれ)含(ふく)めて總勢(あはせて)爺婆(としより)五人(いつたり)。 "(やうじやうびやうじる)"と"(ぶたのひづめしやうゆにこみ)"は、 旣述(すでにの)べたることなれば省略之(これをはぶく)。 "(ほくけいふうにくみそいため)": 『』の""に勝(まさ)るとも劣(おと)らぬ艷姿(あですがた)。 "(おしどうふ)"に包(つゝ)まれしは、 蔥絲(ねぶかせん)+ 黃瓜絲(そばうりせん)+ 胡蘿蔔絲(せりにんじんせん)。 (しゆしきおやかた)演述(い)ふやう: 「(むぎのうすかは)ならで、(おしどうふ)が 正宗(あちらのやりかた)」 參考(ちなみ)に、 唐土(もろこし)"(おしどうふ)"は、"(とうふのうば)"に 似(に)るも、 製法(つくりかた)が大異(おほきくこと)なり、 木綿(もめん)の(ぬのめ)が特徴(そのしるし)。 愚按(やつがれおもふに)、 "(ぽくきんあひるのあぶり)"のごとく、 "(にくみそいため)"+ 蔥絲(ねぶかせん)+ 黃瓜絲(そばうりせん)を、 "(むぎのうすかは)"ot"(とうふのうば)"に卷(ま)くのも吉(よい)。 " 醬(みそ)"として、 「"(まめみそ)"两種(ふたくさ)と"(あまみそ)"を用(つか)ふ。 」 " 肉絲(ぶたにくせん)"の" 上漿(したあぢ)"は、 「 姜汁(くれのはじかみじる)+ 蔥汁(ねぶかじる)に 雞湯(まるどりじる)など、、」 「 雞(まるどり)より 雞湯(とりじる)を抽出(ひ)くには半日餘(はんにちあまり)。 料酒(さけ)、 蛋白(たまごのしろみ)に 芡(かたくりこ)を打(う)ち、 包油(あぶらどほし)」 との説明(よし)。 嫩(やはらか)にして滑(なめ)らかなること、無比類(よにくらぶるものな)く、 その 馥郁(ゆたか)なる風韻(かをり)は、 煩惱(わづらはしく、よこしまなる、こゝろのまよひ)を刺戟(はげしくよびおこす)。 實(げ)に、 掃愁帚(さけ)にも 米飯(こめのいひ)にも適當(よくあ)ふ菜(しな)。 "(こがねまんりやう、りうきういものあめだき)": 鐵鍋(くろがねのなべ)に 冰糖(こほりざたう)を 慢慢地(ゆるり)溶融(にとか)し、 炸地瓜(あげたるりうきういも)に絡(から)め、 (コンフレーク)を粉碎(くだき)て糝之(これをまぶ)す。 略々(ほゞ)"(りうきういものあめだき)"なれど、 (あめのいと)引(ひ)かせて 冷水(ひやみづ)に取(と)る代替(かはり)に、 (コンフレーク)を糝(まぶ)すと云ふ點(ところ)が相違(ことなる)。 ""も齧(かぢ)ると、須臾(たちまち)に(いと)を引(ひ)く。 口味(あぢ)は"(あめだき)"に似(に)るも、 齒觝觸(はあたり)は半點(いさゝか)異(こと)なる。 それは、 凝固(ひえてこ)れる"(あめのいと)"ゝ、"(コンフレーク)"との差(さ)。 5 此度(こだみ)は、 "(むぎのあはざけ)"+"(とりさいのめと、なんきんまめのいためもの)"+ "(ねぎとばらにくのあへもの)"+"(ぶたのひづめしやうゆに)"、 對價(あたひ)、一千五百四十七圓也(いつせんごひやくしゞふしちゑんなり)。 伊呂波(いろは)四十七(しゞふしち)。 播州赤穗(あかほ)の(しゞふしちし)果(は)たせし敵討(かたきうち)、 當家(こちら)の"(ぶたのひづめ)"も 中~ 高(かたきうち)。 扨(さて)、今度(このたび)や如何(いか)に? 勿論(いふまでもなく)、"(とりさいのめいため)"は(しせんめし)。 本朝(やまと)では"(まがたまのみ)"用(つか)ふこと多(おほ)しと云へど、 蜀(あちら)では"(なんきんまめ)"が風習(ならひ)。 (なんばんこせう)なく、瞻(み)るからに、温和(やさし)き"辣(からみ)"。 " 雞丁(にはとりさいのめ)"、" 花生(なんきんまめ)"のほか、 " 胡蘿蔔丁(せりにんじんさいのめ)"、" 胡瓜丁(そばうりさいのめ)"と、 色彩(いろどり)、 食感(はごたへ・したざはり)とも、頗(すこぶ)る良好(よし)。 (むぎのあはざけ)の好餚(よきさかな)。 「(もろこしうしとらのめし)」 と、(あるじ)自慢(むねをは)る"(ねぎとばらにくのあへもの)": " 五花肉(ぶたばらにく)"は 上漿(したあぢ)を施(ほどこ)して 熬(いりあげ)、 " 蔥(ねぶか)"と伴(とも)に和(あ)へたる 冷菜(もの)。 不味(あぢあし)き道理(ことわり)も無(な)く、 "(むぎのあはざけ)"に好適(よくあ)ふは勿論(いふもさらなり)。 "(とりさいのめいため)"ともども温和(やさし)き"辣(からみ)"なれば、 吾儕(わなみ)が味覺(した)には 易食(くらひやす)き口味(あぢ)。 "(ぶたのひづめ)"は通例(つね)のごとく家苞(いへつと)。 上述(くだん)のごとく、當家(こちら)の""は 中~ 高(やゝかため)。 冢中枯骨(それがし)、 白面書生(わかきころ)より 中~ 低(やはらかめ)が嗜好(このみ)。 若(わか)き肢體(からだ)は多 膠原(にかはのもとがおほ)く 高(はりがある)。 觸(さは)るには" 高(かため)"、 啖(くら)ふなら" 中~ 低(やはらかめ)"。 閑話休題(それはさておき)、 當日(このひ)の"(ぶたひづめのしやうゆに)": "(エレキじかけのあれ)"に炮(あぶ)ること三分間(さんぷん)。 當日(このひ)の"(ぶたひづめのしやうゆに)"は適正彈性(ほどよきかたさ)。 「來月(きたるつき)には、 "(ほくけいふうにくみそいため)"など、新菜單(あらたなるしながき)に、、」 とは掌柜(あるじ)が辯(はなし)。 「 貧者之(まづしきものゝあぶりあひる)」とも。 實(げ)にも! "(ぶたひづめしやうゆにこみ)"は「 貧者之(まづしきものゝくまのて)」。 あな、嬉(うれ)し哉(や)、恥(は)づかし哉(や)! かくて、期再訪(ふたゝびたづねんことをちか)ひ辭別(いとまごひ)。 8~F3. 5 "(こんとん)"の由緒來歴(すぢめ)は、 旣(すで)に彼此(をちこち)に記述(しる)せしことなれば、省畧之(これをはぶく)。 清代以降(しんのみよゝりこのかた)、 (かうなん)では、"(ばていぎん)"を象(かたど)るが風習(ならひ)。 大連(だいれん)出身(よりいで)し當家(こちら)の"(こんとん)"も、 由緒(すぢめ)正(たゞ)しく端正(とゝのひ)たる"(げんぱうけい)"。 "(すましゞる)"には、"(こんとん)"のほか、 "(あまのり)"、"(かめむしさう)"、"(あさつき)"。 「"(あまのり)"は 大連(あちら)のもの」との説明(よし)。 "(かめむしさう)"と"(あまのり)"の 風韻(かをり)、 冢中枯骨(それがし)が 鼻竅(はな)を穿(うが)ちて已(や)むことなし。 "(こんとん)"に 無竅(あなゝ)く、 人倫(ひと)には有 七竅(なゝつのあなあり)。 (あん)は、" 肉末(ひきにく)"に" 蝦仁(むきえび)"。 これを啖(くら)ふや、 忽地(たちまち)、鮮(うまみ)口中(くちのなか)へと浮騰(ほとばし)る。 味(あぢ)も象(かたち)も愚老(やつがれ)が嗜好(このみ)。 "(ぶらばらしやうゆにこみ)"も亦(また)佳味(よきあぢ)。 幽玄(あやし)くも玄妙(たへ)なる風味(あぢかをり)。 碟兒(こざら)とは云へ、瞬(またゝ)く中(うち)に完食之(これをたひらぐ)。 "(さけ)"を呑(の)み、酩酊(ゑ)ひて搖(ゆ)らぐに霎時(タイムラグ)。 "(さけ)"の殘餘(のこり)に、殽(さかな)は"(はるまき)"。 「不本意(こゝろならず)も、自家製(てづからのしな)に非(あら)ず」とのよし。 4~F2. 8 當日(このひ)は" 土曜日(どやうび)"。 唐山(もろこし)では"皨期六(シンチィリゥ、せいきろく)"と號(よびな)す。 その所爲(せゐ)歟(か)? 冢中枯骨(それがし)以外(のほか)、 两組(ふたくみ)三人(みたり)もの客(きやく)。 劈頭(いやさき)に"(むぎのあはざけ)"を貰(もら)ひ、 菜單(しながき)より、"(なべもどしにく)" 、"(うをのかなすび)" 、 "(えのきたけのあへもの)"、"(あをものやきめし)" 、 對價(あたひ)、一千九百九十五圓也(いつせんきふひやくきふじふごゑんなり)。 "(なべもどしにく)": そも、"(ホイグォロゥ)"なるもの、 腿肉(ぶたもゝにく)や 五花肉(ぶたばらにく)などの 肉叢(しゝむら)を煮(ゆ)で、 片(うすぎり)にし、蔬菜(あをもの)と炒(いた)めたる"(しせんめし)"。 本朝(わがくに)では(はぼたん)用(つか)ふが因習(ならはし)なれど、 異朝(あちら)では不使用之(これをつかふことなし)。 當家(こちら)の"(ホイグォロゥ)にも(はぼたん)を見出(みいだ)せず。 五花肉(ぶたばら)も 肉塊(しゝむら)からの 正宗(たゞしき)割烹法(やりかた)。 そのほか、 豆豉(とうち)、 豆瓣醤(そらまめみそ)、 辣椒(なんばんこせう)などなど。 適度(ほどよ)く" 辣(からみ)"が效(き)ゝ、 五花肉(ぶたばら)に固有(もとよりそなはる)鮮(うまみ)に、 豆豉(とうち)、 豆瓣醤(そらまめみそ)の旨味(うまみ)が添加(くはゝる)。 寔(まこと)、"(むぎのあはざけ)"に好適(よくあ)ふ 餚(さかな)。 次(つ)いで、"(うをのかなすび)": "(ユイシャンチェーヅ)"とは、 大蒜(おほひる)・ 生薑(くれのはじかみ)に 醋(す)などを用(つか)ひ、 茄子(なすび)に" 魚香(いをのか)"? 纏(まとは)せたる"(しせんめし)"。 "(あれ)"に依據(よ)らば、 「" 鹹(しほけ)"、" 酸(すみ)"、" 甜(あまみ)"、" 辣(からみ)"、" 香(かをり)"、 を具有(そなへもつ)。 」と、、。 慥(たしか)に、この"(うをのかのなすび)"もそれを具備(あはせもつ)。 東道(あるじ)薦(すゝ)むる"(えのきたけのあへもの)": 金針茹(えのきたけ)の口味(あぢ)より、 酸(すみ)、 蒜頭(おほひる)と(こえんどろ)の 强(つよ)き風韻(かをり)が顯著(きはだつ)。 これはこれで 朱明(なつ)には適當(よ)き菜(しな)なるべし。 掉尾(いやはて)に"(あをものやきめし)": 粳(うるのこめ)に、 雞蛋(にはとりのたまご)、 " 蔬菜(あをもの)"として、 胡蘿蔔丁(せりにんじんさいのめ)、 黃瓜丁(そばうりさいのめ)に、 胡蔥(あさつき)。 されど、 油(あぶら)は半點(いさゝか)多(おほ)め。 匙(さじ)が附屬(つく)。 その理由(ことわり)・是非(よしあひ)を訊(たづ)ぬるに、 「 華夏(もろこし)では、 盤(おほざら)より盌(まり)に分(とりわ)くるは 匙(さじ)、 その盌(まり)より餐(くら)ふが 筯(はし)。 」と、、。 當家(こちら)の菜單(しながき)に"(しせんめし)"多(おほ)き理(ことわり): 「 兄(このかみ)の朋友(とも)が蜀人(しよくのひと)にて、 直々(じきじき)に傳授(つたへ)られたる祕技(ひめわざ)にて云々(うんぬん)。 」 と冢中枯骨(それがし)に解説(とく)。 早晩(おそかれはやかれ)、 "(うしとらめし)"と"(しせんめし)"の 聯結(くみあはせ)を意圖(はか)り、 「 來月(きたるつき)には菜單(しながき)を刷新(あらたに)、、。 」 と、發明・工夫(いまゞでになきわざ)への情念(おもひ)を熱辯(あつくかたる)。 と、帖塲(ちやうば)の下(した)に(はりがみ)。 平易(ひらた)く號(い)ふなら、 "(かぶと)"、"(アイスバイン)"、"(とんそく)"、"(ハツ)"、 "(レヴァ)"、"(ミヽガー)"、 と云つたところ歟(か)? 何(いづ)れも 冷凍保存(こほらせてたくはへお)き、 需(もとめ)に從(したが)ひ、售之(これをう)る。 その中(なか)ゝら、此度(こだみ)は、"(ぶたのみゝ)" を選擇(えらむ)。 「" 絲(せんぎり)"にし、" 黃瓜絲(そばうりせん)" と和(あ)ふるが吉(よい)!」 これを家苞(いへつと)とし、 命(あふせ)の如(ごと)く"(せんぎり)"とし、 "(そばうりせん)"、" 火腿絲(らかんせん)"、"(きんしたまご)"と、 "(もろこしふうのひやむぎ)"となす。 "(ごかうふん)"を髣髴(おもは)す 風韻(かをり)なれど、 蓋(けだ)し、 自家調劑(みづからこなにひき、まぜあはせたるもの)なるべし。 大(おほ)いに恥(は)づべきは、 添加物塗(あやしきものまみ)れ市販(そこいら)の"火腿(らかん)"用(つか)ひしこと。 教示(をしへ)に無相違(たがはで)、"(そばうりせん)"と 調和(よくあふ)。 參考(ちなみ)に、 " 雞蛋(にはとりのたまご)"は 平飼(ひらがひ)、 " 黃瓜(そばうり)"は 無農藥栽培(あやしきくすりなしにそだてたるもの)。 閑話休題(それはさておき)、當日(このひ)の點菜(しなえらみ)。 "(むぎのあはざけ)"、"(あへそば)"、"(からみいりとりのきも)" 、 "(ぶたのみゝ)"と合(あ)はせ、 對價(あたひ)、一千六百八圓也(いつせんろつぴやくはちゑんなり)。 當家(こちら)の"(あへそば)"は、 北京(ぽくきん)"(さくしやうめん、にくみそがけきりむぎ)"に酷似(よくにる)。 "(にくみそ)"、"(そばうりせん)"、"(くだきなんきんまめ)"、 "(さくさい)"、"(ちやゆでたまご)"、"(あさつき)"。 口味(あぢ)もまた、 "(にくみそがけもろをしきりむぎ)"に似(に)る。 色彩(いろどり)、 淡醎(あぢかげん)、 食感(はごたへ・したざはり)、 その 對比(たがひ)と 重疉(をりかさなり)が 五感(ごかん)を刺戟(ゆりうごかす)。 "(からみいりとりのきも)" には、 適度(ほどよ)き辣(したさすからみ)。 然(しかり)!、(かしかり)、(いんどかりィ)。 "(あげいものせん)"の廚藝(わざ)に肝裂魄飛(きもさけたましひみにそはず)。 「(めしがたな)にて" 片(うすぎり)"とし、さらに、" 絲(せん)"と成(な)す。 これを 水(みづ)に晒(さら)して 乾燥(ひにほ)し、 油炸(あぶらにあ)げたるもの。 」 と演述(い)ふ。 およそ"(あげたるじやがたらいものせん)"なるもの、 ""を頼(たも)まで、 (めしがたな)一挺(ひとつ)でかくのごとき(かたち)と化成(な)すには、 拔群(ひとなみはづれたる)技倆(うで)が不可缺(かゝせぬもの)。 " 炒(いためもの)"、" 炸(あげもの)"に用(つか)ふ 油(あぶら)も、 「 植物油(なまぐさでなきあぶら)に、 生藥(しやうやく)・ 根菜(こんさい)などを 叮嚀(ねんごろ)に抽出(いだ)せしもの」 との説明(よし)。 解毒(どくをと)き、 熱(ねつ)を冷(さ)まし、 體温(ぬくみ)を保(たも)ち、 脾撓(ひだる)きを抑制(おさ)へて生命(いのち)を繋(つな)ぐ。 冀(こひねが)はくは、【(ほんざうかうもく)】"を參照(みられたし)。 (もろこしめし)啖(くら)ふ度(たび)、そのことを痛感(はだみにしれり)。 上(うへ)は皇帝(みかど)から下(した)は庶民(たみ)に至(いた)るまで、 その道理(ことわり)を辯(わきま)へ、 養生(からだをいつくしむこと)不懈(おこたらず)。 當家(こちら)の(おやかた)も亦(また)「 無所不通(しらざることなし)」。 前囘(まへ)の"(ぶたあしのしやうゆに)"に話(はなし)が及(およ)ぶや、 矢塲(やには)に「(ふくろをさぐりてくすりをと)」り出(いだ)し、 「 これだけ用(つか)ひ居(を)りますれば、、。 」と誇(むねをは)る。 倩(つらつら)覽之(これをみ)るに、 十二種(といろあまりふたいろ)もの 藥(くすり)。 "(あかきこ)"は、 「 米(こめ)より製(こしら)へたる 天然着色料(てんねんのいろづけ)」 とのよし。 (むし)由來(よりきたりし)"(しやうえんじ)"とは無縁(ゆかりなし)。 實(げ)に、 生藥(くすり)でもあり、 香辛料(かうしんれう)でもある。 此度(こだみ)も、件(くだん)の"(ぶたあしのしやうゆに)"に加(くは)へ、 "(むぎのさけ)" 、"(あひるのたまごとぶたひれのかゆ)"、 "(うすぎりにくあまずいため)"、"(えびのあげもの)"。 東北名菜(もろこしうしとらでなだかきめし)"(うすぎりにくあまずいため)"は、 前々囘(まへ)が(しやうゆあぢ)、今囘(こだみ)は(たちばなのかをり)。 「風習(ならひ)の" 蕃茄醬味(あかなすびしほあぢ)"も、、」 との説明(はなし)。 以爲(おもふに)、 此度(こだみ)の"(たちばなじるのそれ)"が白眉(なにより)歟(か)? 但(たゞ)し、" 甜(あまみ)"は、 强(つよ)め、(とほめ)、(かさのうち)。 "(あひるのたまごとぶたひれのかゆ)"の米飯(こめ)を窺(うかゞ)ふに、 米粒(こめつぶ)、 原形(もとのかたち)を保持(とゞむ)。 冢中枯骨(やつがれ)、 生米(なまごめ)より叮嚀(ねんごろ)に炊(かし)ぎ、 米粒(こめつぶ)向失(うせなん)とするくらゐの粥(かゆ)を嗜(この)む。 扨(さて)、"(ぶたあしのしやうゆに)": (まへ)と同樣(おなじ)く、 半點(いさゝか)淺(あさ)き火候(ひいれ)。 愚老(やつがれ)、(かうげんせんゐ)が化(ぜらちんくわ)した、 『』の""くらゐの硬度(かたさ)が適當(よい)。 御内儀(おかみ)演述(い)ふやう: 「 菜單(しながき)に無(な)き菜(もの)も夥(あまた)あり。 "(にはとりのまるやき)"、"(うをのからあげあまずあんかけ)"、 がその一例(ひとつ)」 これらの菜(しな)は、 「 豫(あらかじ)め訂菜(たのま)ねば、不能吃(え、くらふをえじ)!」 との注釈(よし)。 畫面(スマフォのゑ)に垂涎(よだれながれ)てとゞまることを不知(しらず)。 この日(ひ)もまた、 冢中枯骨(それがし)の他(ほか)に客(かく)は皆無(なし)。 對價(あたひ)、一千五百九十六圓也(いつせんごひやくきふじふろくゑんなり)。 勿論(いふまでもなく)、"(ぶたきもとあおものいため)"の、 " 韭菜豬肝(ぶたきもとこみらのいためもの)"を意識(おもんみ)ての需(もとめ)。 (せりにんじんうすぎり)の刀工(かたなさばき)や、 (ピイマン)の顏色(いろみ)、など、 技倆(うで)は慥(たしか)。 『』の(おやかた)も亦(また) 手煆煉(てだれ)にして、 糵(もやし)の根(ね)を悉(ことごと)く除去(さ)るほど叮嚀(ねんごろ)なれど、 やはり、比較(より) 冢中枯骨(このおひぼれ)が味覺(した)に適合(あふ)は、 『』の"(レヴァニラ、ぶたきもとこみらのいためもの)"。 "(よだれどり)"は、高名(なだか)き 川菜(しせんめし)。 正宗(ほんばもの)に比較(くら)べ、 " 辛(からみ)"、i. ,(すなはち)、" 麻(しびれ)"と" 辣(ひりから)"が弱(よは)く、 (もろこしのくろず)と推定(おぼ)しき酸(すみ)が强(つよ)め。 "(えびせうばい)"は驚歎(おどろき)。 背膓(せわた)は除去(さ)らでその儘(まゝ)なれど、 (かは)が 市販品(そこいらのもの)とは歴然(あきらか)に異質(ことなる)。 「 菜刀(めしがたな)による 手製(てづくり)」との説明(よし)。 粤(くわんとん)"(えびかうじ)"のごとく、 菜刀一閃(めしがたなきらめ)くや、須臾(たちまち)麪(むぎのこ)は皮(かは)に、、。 辭別(いとまごひ)せんとするに、 "(ぶたのあしゝやうゆにこみ)"完成(なる)。 對價(あたひ)、三百五十圓也(さんびやくごじふゑんなり)。 都合(すべてあはせて)、一千九百四十六圓也(いつせんきふひやくしゞふろくゑんなり)。 ""を家苞(いへつと)ゝなし、次(つぎ)の目的地(ところ)に嚮(むか)ふ。 美味(あぢよし)と云へど、『』の""より 纔(わづ)かに硬(かた)め。 8 先日(さきごろ)、 あれやこれやと網站(ねッと)を弄(まさぐ)り、閃(ひらめ)くもの有之(これあり)。 ,(すなはち)、(さつてじゆく)『』なる肆(いちくら)。 "(もろこしのうしとらめし)"を得手(えて)とする歟(か)? 不可思議(いぶかしき)ことに、 近會(ちかごろ)、"(もろこしうしとらめし)"に縁(ゆかり)多(おほ)し。 吾妻橋(あづま者゛し)『』、宮代(みやしろ)『』、 そして、當家(こちら)久喜(くき)『』。 勇躍(いさみ)て肆内(いちくらのなか)に、、。 莞忝(につか)と歡迎(むか)ふるは、御内儀(おかみ)。 廚(くりや)には、東道(あるじ)"(しゆしき)"師傅(おやかた)。 「 大連(だいれん)『 鑫興』なる餐廳(めしや)にて修業(うでをみが)き、 東瀛(ひのもと)に來(きたり)て大畧(およそ)十年(とゝせ)」との説明(よし)。 奧(おく)の壁(かべ)には、 蜀漢(しよくかん)"(しやうれつてい)"と"(ちゆうぶかう)"、 + 三虎將(さんこしやう)、i. ,(すなはち)、 "(くわんう)"、"(ちやうひ)"、"(てうゝん)"の(すがたゑ)。 『』なる屋號(やがう)、 「"(たうゑんめい)"《 桃花源詩并序(たうくわげん、し、ならびにじよ)》中、 " 序(じよ)"《 桃花源記(たうくわげんき)》より出(い)づ。 」 と、(あれ)は演述(かた)る。 " 桃園(たうゑん)"と" 陶淵明(たうゑんめい)"、 音韻(おとのひゞき)が重(かさ)なるは何(なに)かの惡戲(いたづら)歟(か)? ともあれ、(しながき)より、"(むぎのさけ)"貰(もら)ひ、 "(やうじやうびやうじる)"、"(うすぎりにくあまずいため)"。 加旃(くはふるに)、"(すいかうじ)"、"(こんとんじる)"、 "(あばらにくうまぜりのか)" 、 掉尾(いやはて)に、"(やまのいもブルーベリ)"にて〆、、。 對價(あたひ)、二千七百九十三圓也(にせんしちひやくきふじふさんゑんなり)。 因(ちな)みに、 "(すいかうじ)"、"(こんとんじる)"の二品(ふたしな)は、 御内儀(おかみ)薦(すゝ)めたまふ、 菜單(しながき)に無(な)き品(しな)。 「 皮(かは)は手延(ての)し、 肉(にく)は菜刀(かたな)にて刻(きざ)む」と、、。 劈頭(いやさき)に"(やうじやうびやうじる)": "(おほねかくぎり)"の 白(しろ)さが眩(まぶ)しく、 "(せりにんじんこまかなかくぎり)"、"(ぬみくすり)の 紅(くれなゐ)、 "(あさつき)"の 綠(みどり)が鮮烈(まぶしきほどにあざやか)。 勿駭(おどろくなか)れ、"(おほね)"は鮮(なま)。 中夏(もろこし)で鮮蔬菜(なまのあをもの)用(つか)ふは稀(まれ)。 蔥絲(ねぶかせん)、 胡瓜絲(そばうりせん)、 碎胡蔥(あさつきこぐち)くらゐ歟(か)? 紅芯蘿蔔(なかあかきおほね)にて 薔薇(むはら)象(かたど)ることも、、。 湯(しる)は 雜味(まじりけ)なく清(きよ)らかに澄(す)める味(あぢはひ)。 御内儀(おかみ)演述(い)ひて曰(いへら)く、 「 無(あれなし)」、「 身體(み)に惡(あ)しきものは不使用(つかひませぬ)!」 實(げ)にも! 無論(いふまでもなく)、"(ぬみくすり)"には 藥效(くすりとしてのきゝめ)あり。 否(いな)! 【(ほんざうかうもく)】に見(み)るごとく、 魚介・禽獸(うごくもの)、 蕈菇・蔬菜(うごかざるもの)、 都(すべ)ては藥(くすり)。 東北名菜(もろこしうしとらのなだかきさら)、"(うすぎりにくあまづいため)": 現地(あちら)では(あかなすびしほ)による調味(あぢつけ)なれど、 「庶幾(こひねが)はくは、 無(あかなすびしほぬき)にて烹飪(にたき)!」 と强制(むりじひ)。 これまた、 雜味(まじりけ)なく澄(す)める風韻(かをり)と味道(あぢはひ)。 佐料(あぢつけ)は、 沙糖(さたう)と 白醋(しろず)、あとは 鹽(しほ)歟(か)? (あげたるうすぎりにく)は 酥脆(さくさく)と 臼齒(おくば)に響(ひゞ)く。 適切(ほどよ)き 上漿(したあぢ)あるは勿論(いふもさらなり)。 老骨(それがし)嗜(この)むは、 (もろこしのくろず)を用(つか)ふ、 "(タンツーパイグー、あばらにくすぶた)"、"(タンツーロー、すぶた)"。 されど、これはこれで實言(まこと)美味(よきあぢ)。 "(すいかうじ)" は"(はくさいとぶたにくのあん)"。 上述(うへにのべたる)がごとく、 豕肉叢(ぶたのしゝむら)より 菜刀(かたな)にて 粉碎(きりきざみ)しもの。 舌觸(したざは)りは「?」ながら、 それらしき食感(はごたへ・したざはり)。 "(こんとん)"は(きのことにはとりにくのあん)。 その姿(すがた)、"(げんぱうけい)"、 i. "(うまぜり)"馥(かを)る、"(あばらにくうまぜりのかをり)": およそ"(うまぜり)"なるもの、 天竺(てんじく)のみならず、 漢土東北(もろこしのうしとら)でも好(この)まれ、 羊肉(ひつぢのにく)に吉(よし)、 豕肉(ぶたにく)にも吉(よし)。 "(うまぜり)"もまた藥(くすり)であり、 靜(しづ)かに瞼(まぶた)閉(と)ぢるや、 遙(はる)か、(にしのかた、けがれなきところ)へと誘引(いざな)はる。 南無阿彌陀佛(なむあみだぶ)南無阿彌陀佛(なむあみだぶ)! 掉尾(いやはて)の"(やまのいもブルーベリ)": " 鮮(なま)"・" 乾(ひぼし)"を不問(とはで)、これもまた 藥(くすり)。 これまた、(すでにのべた)るがごとし。 善哉(よきかな)、善哉(よきかな)! 因(ちな)みに、當日(このひ)の菜譜(こんだて)は如下(つぎのとほり): ======================================= ・"(きりんじるしむぎのあはざけ)" ・"(やうじやうびやうじる)" 蘿蔔丁(おほねかくぎり) 胡蘿蔔小丁(せりにんじんこまかなかくぎり) 枸杞(ぬみくすり) 胡蔥碎(あさつきこぐちぎり) ・"(グオバオロウ、うすぎりにくあまづいため)" 炸肉片(ぶたうすぎりあげ) 胡蘿蔔絲(せりにんじんせん) 生薑絲(くれのはぢかみせん) ・"(すいかうじ)" "白菜肉餡(はくさいとぶたにくのあん)" ・"(こんとんじる)" 酸辣湯(さんらつじる) 餛飩(こんとん)"... 桃源郷 中国食堂 関連ランキング:中華料理 久喜駅.

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あそこ で はたらく むすぶ さん

タゴール詩集/ギタンジャリ…神への捧げ歌 詩集 (GITANJALI) (Rabindranath Tagore) 訳: 【訳者著作権存続中】 1 あなたは わたしを終わりのないものに お造りになりました。 それが あなたの喜びなのです。 この こわれやすい器(うつわ)を あなたはいくたびも うつろにし また いつも新しい生命で 充(み)たされます。 この小さな葦の笛を あなたは 丘を越え 谷を越えて はこび いつまでも 新しい歌を 吹きならされます。 あなたの 死のない いのちのみ手にふれて わたしの 小さなこころは 喜びのあまり 度を失い 言葉につくせぬ ねがいごとを申し上げます。 かぎりない あなたのたまものが わたしには この小さい 二つの手にしか 受けられません。 永い時が過ぎてゆき いつまでも あなたは そそぎこみなさるのに なおも みたされない 片隅がのこります。 2 わたしに歌えと あなたが お命じになると わたしの心は 誇らしさに 高鳴ります。 そしてあなたの お顔を見上げると わたしの眼には 涙があふれます。 わたしのいのちの中の あらあらしい不調和が 一つの甘い調べの中に とけこんで わたしのあこがれは 海をこえて 飛びたつよろこびに 鳥のようにつばさをひろげます。 わたしは知っています わたしが歌えば あなたが よろこんで下さることを。 わたしは知っています 歌うものとしてこそ わたしはあなたのみまえに 来られることを。 わたしの 歌のつばさの とおくひろがった そのはしは とどこうとは おもいもよらなかった あなたの みあしに ふれるのです。 うたうことの よろこびに よいしれて わたしは われをわすれてしまいます。 そして いのちの君なる あなたを わたしの友よと よびまつるのです。 3 わたしの師よ あなたがどんなにお歌いになるか わたしはしりません。 わたしは だまっておどろいて いつも 耳をかたむけているのです。 あなたの音楽(うた)のひかりは この世をてらしています。 あなたの音楽(うた)の いぶきが そらから そらへ 天かけります。 きよい あなたの 音楽(うた)のながれが さまたげる石をこえて さかまき ながれます。 わたしの こころは あなたの歌に 合わせたいと ねがうのですが 空しく ただの一声も 出せません。 せめて もの言おうとしても ことばは 歌とはならず まごついて さけんでしまいます。 ああ師よ あなたは わたしのこころを あなたの音楽(うた)の はてしないあみで とりこにして おしまいになりました。 4 わたしの いのちのいのちである あなたよ。 わたしの からだを いつも 清(きよ)くしておきましょう。 あなたの生命(いのち)のみ手が わたしの手足の端はしに ふれることを知りましたから。 わたしの想いのなかから まことでない思いを すべてしりぞけましょう。 あなたこそ わたしの心に まことの光を ともしたもうた 真理(まこと)そのもののお方であることを 知りましたから。 わたしのこころから あらゆる罪を追い出して わたしの愛を 花咲かせましょう。 わたしのこころの奥の殿堂(みや)に あなたが み座をおきたもうことを 知りましたから。 わたしの行うことに あなたがあらわれるように わたしはつとめましょう。 わたしに おこなう力を下さるのは あなたであることを 知りましたから。 5 あなたの おそばにすわる 一ときの いこいを下さい。 わたしの 手にあるしごとは 又あとで いたしましょう。 あなたのお顔の 見えるところから 離れては わたしのこころには 憩(いこ)いも 休らいもなく わたしの しごとは 岸辺のない 海の中で 終わりもなくはたらく 苦しみとなります。 きょうは 夏がわたしの窓辺へ そのためいきと ささやきを 持ってきました。 蜜蜂は 花咲く森のみやで そのうたを かなでています。 いまは しずかに すわって あなたのお顔を まぢかにあおぎ この静寂(しじま)に あふれる いこいに 生命をささげる歌を うたうときです。 6 この小さな花を 摘んでおもち下さい どうぞ おくれないように。 花がしおれて 塵にかえるかとわたしは心配なのです。 あなたの髪飾りの 花環に これを 飾っていただく 余地がなくとも、 せめて み手に摘みとられる ほこりを わたしに おあたえ下さい。 知らぬまに 日が暮れて 献げものをする時が いってしまっては 困ります。 その花の色は 淡く 香りは よわよわしくとも この花を あなたのお役にたつように 私につませてくださいまし 時が いってしまわないうちに。 7 わたしの歌は 飾りを捨てて しまいました。 衣装や 飾りについた誇りは もうありません。 飾りものは わたし達が 一つになることを 妨げます。 それは あなたとわたしの間に 入って その響は あなたの囁きを 消してしまいます。 あなたのみ前に わたしの詩人(うたびと)の虚栄(ほこり)は はじらって消え去ります。 おお 大いなる詩人よ あなたの足もとに わたしはすわります。 あなたが歌を吹き給う 葦の笛のように ただわたしの一生を 素朴な まっすぐなものに させて下さい。 8 王子さまのような衣装や 宝石のくさりを 首につけた子供は 遊びの喜びを すっかりなくしてしまいます。 一あしごとに その衣装が 邪魔をしますから。 それがすり切れてしまったり 塵に まみれることを恐れて 子供は 世の中から 離れて 動くことさえ こわがるでしょう。 母よ 飾りの束縛は 無益です。 子供を 健やかな大地の塵から しめだして みんなのくらしの中の すばらしいお祭りに 行くたのしみを うばい去ってしまうのですから。 9 愚か者よ 自分の肩の上に 自分を 運ぼうとするのか! 乞食よ 自分の戸口へ 物乞いに来るのか! 何でも 背負い切れる人の肩に お前の重荷を すっかりゆだねて 後悔して 振り返ったり なさるな。 お前の慾が 息をかけると ランプの灯は 消えてしまいます。 10 ここに あなたの足台があり あそこに あなたは足を 休めていられます もっとも貧しいもの もっとも賤しいもの 破滅した人びとの 住んでいる所に。 あなたに 額づこうとしても もっとも貧しいもの もっとも賤しいもの 破滅した 人びとと ともに あなたが 足を休めている 深いところまで わたしの お辞儀は届かない。 おごりの心は 近づけない もっとも貧しいもの もっとも賤しいもの 破滅した人びとと ともに 粗末な衣(ころも)を 身につけて あなたが あるいていられる所には わたしの心は 道を探せない。 もっとも貧しいもの もっとも賤しいもの 破滅した人びとに まじって あなたが友なきものの友となり したしまれる所への道が。 11 この聖歌(うた)や 合唱や数珠の音を やめなさい。 扉を閉め切った寺の 寂しい暗い片隅に お前は 誰を拝んでいるのか? 眼を開いてごらん! お前のまえに 神はいない。 農民が 固い土を耕すところ 道路人夫が 石を割るところ そこに神は 居られるのだ。 神は日照りにも 雨にも 働く者と一しょに居て そのお衣は 泥にまみれている。 お前のころもをぬいで お前も 塵だらけの 土へ下りて来なさい。 救い手 それは どこにあるのだ? われらの主は 喜んで はたらくものの苦労を負(せお)い いつまでも 吾らと一しょなんだよ。 花と香を捨て お前のおいのりから 出て来なさい。 お前の衣が破れ 汚れたところで それが どうしたというのだ 主に逢い 働き 額に汗を流し 主のみそばに 立とうではないか。 12 わたしの 旅の時は永く その道のりは 遥かに遠い。 あさの光が さしたとき 車で出かけて 世界の荒野を 越えて 数々の星に わだちの跡を 残してきた。 自分自身に 近づく道は 一番遠い 旅路なのだ。 単純な音色を 出すためには いちばんめんどうな 訓練(しつけ)が要るのだ。 旅人は 一つ一つ 他人の戸口をたたき 一番終りに 自分の戸口を みつける。 あらゆる 外の世界をさまよい 最後に 一番なかの 神殿に到達する。 わたしの眼は 遠くはるかに さまよった。 そして 最後に 眼を閉じて 言った 「あなたはここに居られた!」と。 「おお どこに?」との 問いと叫びは 涙に溶けて いく千の流れとなり 「わたしは居る」という 確信の洪水となり 世界へ 逆流しはじめる。 13 わたしが 歌おうとした歌は 今日の今日まで 歌われずにいる。 わたしは 楽器の糸を 張ったり 外したりして 毎日を過した。 時は熟さず 言葉は整わない。 胸には 望むことの苦しみが あるばかりだ。 花は いまだに咲かない。 ただ風ばかりが ためいきをする。 わたしは まだ主の顔を見ず 主の声を聞かない。 わたしの 家のみちを歩く やさしい足音を 聞いただけだ。 床に 主の座を設けて 長い一日はくれた。 だが灯火はまだともらず 主をお招(よ)びすることができない。 主に逢いたい望みで わたしは 生きている。 だがお逢いできる日は いつのことか。 14 わたしの欲望(ねがい)は 数多く わたしの叫びは 憐れっぽい。 だが あなたはいつも つよく ことわりつづけて わたしを 救い出して 下さったのです この強いなさけが どこまでも わたしの一生に 働きかけたのです。 あなたはわたしを それにふさわしいものとなし 過度の欲望の危険から 救い出し給うたのです。 時に わたしはもの憂く ためらい 時にわたしは 目覚めていそぎ わたしの めあてを さがすときに あなたは むごくも お姿を 隠されたのです。 毎日毎日 あなたはいつも わたしをこばみ 弱いあやふやな あぶない ねがいから 救い出し あなたを 全く受入れるのに ふさわしいものと わたしを なし給うたのです。 15 あなたを 歌に うたおうと わたしは ここにいます。 あなたの部屋に わたしは片隅の席を もっています。 あなたの世界に わたしは なすべきしごとを 持ちません。 役にたたない わたしの生命は めあてもない曲に 鳴りだすだけです。 まよなかの 暗い寺で 沈黙の 礼拝の鐘が なる時には わが主よ み前に立って 歌えとお呼び下さい。 朝の空に こがねいろの堅琴が 音を 合わせるときには わたしに お召しのほまれを おあたえ下さい。 16 わたしは この世のお祭りへ 招かれました。 それで わたしの生命は 生きがいが ありました。 わたしの眼は 物を見 耳は ものを聞きました。 このお祭りで わたしは 楽器をかなでるのが 役目でした。 そして できるかぎり やりました。 いまは わたしは なかにはいり あなたのお顔を仰ぎ わたしの無言の礼拝を ささげる時が 来たのでしょうか? 17 わたしは愛を待つばかりです ついには その手に 身をゆだねるために。 それで こんなにおそくなり こんなに 怠けてしまったのです。 人々は おきてやおしえを もって来て わたしを しばりつけようとします。 でもわたしは いつもそれを避けます。 わたしは愛を待つばかりです。 ついには その手に 身をまかせるために。 人々はわたしを責め 考えなしだと叱ります。 あの人達が 責めるのは もっともなのです。 市の日は終り 忙しい人びとも 仕事をすっかり すませました。 無益にも わたしを呼んだ人びとは 怒って帰りました。 わたしは 愛を待つばかりです。 ついには その手に 身をゆだねるために。 18 雲は雲に重なり あたりは暗くなる。 ああ愛よ。 どうして戸の外に わたしを一人 待たせるのか。 昼間の仕事の忙しい時には わたしは みんなと 一しょにいます。 けれど この暗い寂しい日に わたしが 待ち望むのは あなたばかりです。 もしあなたが 顔を見せてくれないなら わたしを 一人ぼっちにしておくなら この長い雨の時を どうして すごしたらいいのだろう。 くらい空の はるか彼方をみつめたまま わたしのこころは歎きつつ 小やみない風と一しょに さまよい続けます。 19 あなたが話してくれないなら わたしは心を あなたの沈黙でみたし それに堪えましょう。 わたしは静かに待っていましょう。 星の輝く 夜が 夜を 徹して祈りをささげ 忍耐強く 頭をひくく垂れているように。 朝は必ず来ます 闇は消え あなたの声は 金色の流れとなって 大空を渡るでしょう。 あなたの言葉は 歌の翼になって わたしの小鳥の巣の 一つ一つから飛び立ち あなたの歌は 花となって わたしの森のしげみに 咲き出しましょう。 20 蓮(はちす)の花が咲いた時 ああ わたしの心は さ迷っていて それを知らなかった。 わたしの篭は 空っぽで 花に気付きもしなかった。 ただときどき 悲しさがわたしの上に来て わたしは 夢からふと目覚め 南風の中に妙な香りの あまい跡を 感じた。 そのほのかな 甘さが わたしの心をあこがれで痛めた。 それは 夏が終わろうとするための 切ない吐息とも思えた。 その時 わたしは知らなかった その花が そんなに近くにあり 又わたしのものであることを。 この上ないやさしさが 花開いたのは わたしの心の底であったことを。 21 わたしは小舟を こぎ出さなければならない。 岸辺では ものうい時が過ぎて行く ああ 神よ! 春は花を咲かせ やがて去って行った。 しおれた みのらない花を荷なって わたしは待ち ためらっている。 波は さわぎ立ち 岸辺の 木蔭の道には 黄色い木の葉が ざわめき散る。 何といううつろを お前は眺めるのか! あちらの岸から 流れてくる 遥かな歌の曲が 大気をふるわせている喜びを お前は感じないのか? 22 雨の七月の深い薮の中を ひそかな歩みで あなたは歩み給う 夜のように黙(もだ)し 見張人たちの眼をさけて。 今日 声高(こわだか)い東風(こち)の声にもかかわらず 朝は その眼(まなこ)を閉じていた。 目覚めがちなあおぞらに 厚いヴェールがひかれている。 森はその声をやめ どの家も 扉を閉めてしまった。 あなたはこの人影のない路の ただ一人の旅人だ。 おお わたしの唯ひとりの友 私の愛する者よ。 23 あなたはこの嵐の夜に 出向かれるのか? 友よ あなたの愛の旅路に。 空は絶望したように うめいている。 こよい わたしに眠りはない。 またしても 戸を開けて 友よ わたしは暗がりの中を さがしてみる。 わたしの前に 何も見えない。 あなたの道は どこにあるのか。 墨のように 黒い川の 境のない岸辺 眉寄せる森の 遥かな端に沿って 薄暗い迷い路の 深さをこえて 友よ あなたは わたしへの道を辿ってこられるのか? 24 この日が終り 鳥は歌わず 風は疲れて はためきを止めたら 闇の幕を わたしの上に 厚く垂れて下さい。 大地を 眠りのふとんにくるみ 夕暮れには 蓮のねむたげな花びらを やさしく閉じてやるように。 旅路の終らぬうちに 食べものの袋が空になり、 衣は破れはてて ほこりで重く 歩く力も つきはてたこの旅人から 恥辱(はじ)と貧しさを取りのけて やさしい夜の 被いの下の花のように この生命を 新たに甦らせて下さい。 25 つかれはてた夜には わたしの信頼を あなたにまかせて 逆らわずに ぐっすり眠らせて下さい。 あなたへの 礼拝の 貧しいしたくのために わたしの弱り切った心を 引きずり出させないで下さい。 一日の疲れた眼の上に 夜のとばりをおろし 目覚める時の すがすがしい喜びに もの見るちからを 新しくしてくださるのは それは あなたなのですから。 26 彼は来て わたしのそばに坐ったのに わたしは 目が覚めなかった。 何と呪われた 眠りだったことか。 おお あわれなわたし! 夜の静かなとき 彼は来た その手に竪琴を持って。 そしてわたしの夢は その旋律に 共鳴りしたのだったのに。 ああ 何故このように わたしの夜々は 失われてしまうのだろう。 ああ なぜわたしの眠りに息吹(いぶき)のふれた 彼の姿を 見失ってしまうのだろう? 27 光りよ おお 光りはどこだろう。 熱望の燃える火で灯をつけよう! ランプはあるけれども 焔のゆらぎはない。 わたしの心よ、それがお前の運命なのだ! ああ お前には死の方が はるかにましなのに! 苦難が お前の扉を叩いて告げる お前の主は 目覚めて居られ 夜の闇に お前を愛の出会いに呼んでいると。 空は雲が低く垂れ 雨は小やみもない。 わたしの身内に揺れ動くものを わたしはしらない。 光りよ おお 光りはどこだろう! 熱望の燃える火で 灯をつけよう! 雷鳴はとどろき 風は叫んで 虚空を駆け 夜は暗く 黒曜石のようだ。 暗闇の中で 時を空しく すごさせてはならない お前の生命(いのち)で愛のランプに灯をつけよ。 28 束縛は 強い。 破ろうとすると 心は痛む。 自由こそ わたしの望みのすべてなのだ。 けれども それを望むのは 恥ずかしい。 私は信ずる あなたには値ぶみできないほどの 宝があり あなたはわたしの 最上の友であられることを。 でも わたしの部屋に充ちた虚飾を 掃き捨てる勇気を わたしは持たない。 わたしを包む衣は 塵と死の衣だ わたしはそれを憎み しかも愛して抱きしめる。 わたしの負債(おいめ)は大きく わたしの失敗(しくじり)はおびただしい。 わたしの恥辱(はじ)は ひみつで重苦しい。 しかもわたしが 善いことを願いにくるときには ひょっと祈りが 聞きとどけられはしないかとおそれて わたしの身は震える。 29 わたしの名前で 閉じこめられた彼は この地下牢で 泣いている。 わたしはまわりに 壁を築くのに いつもいそがしい。 この壁が 日ごとに空にまでのびて行き わたしは その暗い蔭の中に わたしの本性を 見失う。 この大壁を わたしは誇りとし ほんの小さな 穴ひとつでも この名前のために 残してはいけないと 塵と砂とで ぬりかためる。 そうして わたしが気をつかうので わたしは わたしの本性を見失う。 30 逢う瀬を楽しみに わたしは一人で やって来た 誰だろう 暗いしじまに わたしの後を つけるのは。 彼を避けようと 道をよけるが どうしても のがれることが出来ない。 彼は威張って歩き 土ぼこりを立てる わたしの一語一語に 彼は大声で つけくわえる。 主よ 彼はわたしの小さな自分です 恥しらずです。 わたしは あなたの戸口に 彼と一しょに来るのは 恥ずかしいのです。 31 「とらわれの人よ 誰がお前をしばったのか。 」 「わが主です」囚人は答えた 「わたしは富と権力(ちから)では 世界中で 誰にも負けないと思っていました。 そして 主に返すはずの財宝(たから)を わたしの金庫に 貯えました。 ねむりに とらえられて わたしは 主の寝床に 眠りました。 そして目が覚めてみたら わたしは 自分の金庫の中の 囚人になっていました。 」 「とらわれ人よ 誰が このこわれない鎖を 作ったのか。 」 「わたし自身なんですよ」囚人は答えた。 「わたしが この鎖を 注意ぶかく作ったのです。 わたしは わたしだけ自由でいて わたしの 無敵な権力(ちから)をもって 世界を とりこに出来ると思いました。 夜ひる休みなく 巨大な炉と 非情な打撃で 鎖を作りあげました。 やっと仕事がすんで 鎖が完全で頑丈に出来上ったら 鎖の環に とらえられていたのは 自分でした。 」 32 この世で わたしを愛する人々は あらゆる方法(てだて)で わたしをしっかり つかまえておこうとする。 それより強い あなたの愛は そうはしないで わたしを 自由なままに しておいて下さる。 わたしが 忘れるかと案じて その人たちは わたしのそばを離れない。 けれど 一日一日と過ぎて行っても あなたのお姿は見られない。 わたしの祈りに あなたを呼ばず わたしの心に あなたをとどめなくとも わたしを愛するあなたの心は いつも わたしの愛を 待っていて下さる。 33 昼間 その人達は家に来て 言った。 「一番小さな部屋を ちょっと借ります。 」 その人達はいった 「あなたの礼拝を お手伝いしましょう。 そして神の恵みを 自分の分け前だけ 頂戴します。 」 そして静かに おとなしく 片隅に坐った。 けれど夜になり 暗くなると その人達は 強く荒々しく 聖所に入ってきて 神の祭壇の ささげものを けがれた慾で 盗んでゆくのだ。 34 私のものは 何も残さないで下さい あなたこそ わたしのすべてだと 言えるように。 私の意志は 少しも残さないで下さい あらゆるところにあなたを 感じ得ますように。 そして ことごとに あなたに来て 常にあなたに 愛をささげ得ますように。 私のものは 何も残さないで下さい あなたを 決して 被いかくさないように。 私をしばるものは 少しも残さないで下さい。 あなたの 御心のままに 結ばれ あなたのおこころざしが 私の一生に 果されますように。 それは あなたの 愛の束縛ですから。 喜びと悲しみを 軽がると になえる力を 与えて下さい。 私の愛を 奉仕の中に みのらせる力を 与えて下さい。 決して 貧しい人と離れず 傲慢な権力の前に 決して膝を曲げない力を 与えて下さい。 私の心を 日常の こまごました苦労にも 超然と高く保つ力を 与えて下さい。 そして あなたのみ心に 私の心を 喜んでささげる力を 与えてください。 37 私の力の 最後の限界まできて 私の旅路は 終りにきたと思いました 私の前途は 閉ざされて 貯えは つかいはたし 暗い 沈黙の中へ 避難する時が 来たと思いました。 けれども あなたのみ心には 私の終りはなくて 古い言葉が 舌に尽きると 心の底から 新しい音楽が 沸きおこり 古い道が消えると 驚くばかりに新しい国が あらわれてくるのを知りました。 日に夜に 私を奪う もろもろの願いは その芯の芯まで 偽(いつわ)りで虚(むな)しいものです。 39 心が堅く 乾き切っているときは わたくしに あわれみの夕立を もっておいでください。 くらしから やさしさが無くなった時は わき流れる歌をもって おいでください。 やかましい仕事が 四方から わたしを圧倒するときは 沈黙の主よ あなたの平和と憩いをもって おいでください。 わたしの乞食が 私の片隅に 座りこむときは わたしの王よ 扉を破り 帝王の儀礼をもって おいでください。 欲望が 妄想とほこりで 心を曇らせるときは おお 聖なる 眠り給わぬ主よ 光と 雷(かみなり)をもって おいでください。 40 わたしの干上がった心に わが神よ 雨は 幾日も幾日も 降りません 地平線のはてまで 丸裸で 柔らげる雲の 薄い被いも ありません 遠くの涼しい夕立の かすかな気はいもありません。 あなたの怒りの 嵐をお送り下さい もし み心ならば 死の闇をもって また 雷の笞をもって 端から端まで 空を驚かせて下さい。 けれど 呼び返して下さい わが主よ 静かで 鋭く 残酷に 恐ろしい絶望で 心を燃やしつくす このみなぎる 沈黙の熱さを。 父親の怒った日に 母の涙に充ちた まなざしのように 天より 恩寵(めぐみ)の雲を 低く垂れて下さい。 41 人々のうしろに すっかりかくれて 愛するものよ どこの蔭に あなたは立って 居られるのですか? 人々は 塵だらけの路上に あなたを押しのけ そばを通り過ぎて あなたを無視している。 私は あなたへの ささげものを拡げ ここに 疲れた時を 待ちくらす。 路を行く人は 一つづつ 私の花をとり 私の篭は 殆んど 空(から)に近い。 朝は過ぎ 昼はゆく。 夕べのかげに包まれると わたしの眼は 眠りへと 誘われる。 家路につく人は 私を横目で見て笑い 私の心を 恥かしさで充たす。 私は もの乞い娘のように坐り 裳裾を引いて顔をかくす。 人々がほしいものは何かと訊ねても 私は眼を落して 答えない。 おお 何で私が語り得よう あなたを待っているのだと あなたは きっと来ると 約束されたと。 何で 私が恥ずかしくもなく 言われよう 私は この貧しさを 結納(ゆいのう)として持っていると。 ああ 私はこの誇りを 胸の秘密の中に 抱きしめる。 だが 時は流れ まだ あなたの お車の音はしない。 数々の行列が 騒音と叫びと 栄誉のまぶしさに包まれて 通り過ぎる。 人々のうしろの 沈黙の蔭に すっかりかくれて 立っているのは あなただけなのか。 空しい望に 心を疲れさせ 涙を流して 待っているのは 私だけなのか。 そして世界中の 誰一人も知るまい。 めあての国もなく 終りもない この私達の巡礼を。 あの岸辺のない 大洋で あなたが 黙って耳傾けて 微笑まれると、 わたしの歌は 浪のように 自由な 言葉の束縛から 全く自由な 美しい旋律に 盛り上がるでしょう。 その時は まだ来ないのか。 まだ しなければならない 仕事があるのか。 ご覧 岸辺には夕べが訪れ、 薄れ行く先に 海の鳥は ねぐらに向って 帰ってきた。 いつになれば 鎖がとれ 小舟は 沈む陽の 最後の輝きのように 夜の中に 消え去るのか 一体 誰が知ろう。 43 わたしが あなたをむかえる用意を してなかったとき あなたは 人々の群の一人のように お告げもなく わたしの心に いつのまにかお入りになり わが王よ 私の生活の すぎゆく瞬間瞬間(ときどき)に あなたは 永遠の印(しるし)を 押されました。 そして今日 たまたまそれらに 灯りをつけ あなたの印を みつけました。 それは私の とるに足りない忘れられた日々の 喜びと 悲しみの 記憶とまざり合い 塵にまみれて 散らかっていました。 私の塵の中の 子供らしい遊びを あなたは いやしめられませんでした。 私の遊び場で 聞いた足音は 星から星へ こだましている あの音と 同じ音なのです。 44 影が光を 追いかけるのをみつめ 夏のあとには 雨が来るのを みちばたで こうして待っているのは わたしの 言い知れない 歓びなのです 未知の大空から 便りを持ってくる 使者たちが わたしに 挨拶して いそぎ足に 路を通って行く。 私の心の中は 喜びに充ち 過ぎ行く そよ風のいぶきは やさしい。 あけぼのから 夕ぐれまで わたしは 戸口の前に 坐っている。 すると 突然 幸福な瞬間が やってきて 私は 会えるにちがいない。 その間 わたしは たった一人で ほほ笑み 歌をうたっている。 すると空気は 約束の香りで みちみちてくる。 45 あの方の 静かな足音を あなたは 聞きませんでしたか。 あの方は いつでも いつでも やって来るのです。 どの瞬間にも どんな時にも 昼といわず 夜といわず あの方はいつでも いつでもやって来るのです。 わたしは 数々の歌を さまざまの気分で 歌いました。 だが その歌は いつも こううたったのです。 「あの方はいつでも いつでもやって来ます。 」 陽の輝く四月の香ぐわしい日に 森の 小さな径を 通って あの方はいつでも いつでもやって来ます。 雨に うっとうしい六月の夜に 雷鳴轟く 雲の車に乗って あの方はいつでも いつでもやって来ます。 悲しみにつぐ 悲しみの中で わたしの心に迫るのは あの方の足音です。 そして わたしの歓びを 光り輝かせるのは あの方の 金色の感触のためです。 46 どんな遥かな永劫から あなたは わたしに 近づいてこられたのか わたしは知りません。 あなたの太陽や 星は とこしえに あなたを私の目から かくしておくことは できません。 朝な夕なに いくたびも あなたの足音が聞こえ あなたの使者は私の心の中にやってきて ひそかに 私を呼びました。 なぜ今日は 私の生命がざわめき わななく喜びが 私の心をつらぬくのか わたしには分かりません。 私の仕事を 終るときが 来たようです。 あなたの存在の 幽かな匂いが 大気の中に感ぜられます。 47 あの方を 待ちわびて 夜はむなしく すぎようとしている。 朝 疲れ果てて 眠りこんでしまったとき 突然 私の戸口に あの方が来られたら どうしよう。 あの方の足音が 私を醒まさなくても どうか 私を起こさないでください。 小鳥のかまびすしい合唱で 朝の光の まつりの風の さざめきで 私は眠りから 呼び起こされたくないのです。 若しあの方が 突然私の戸口に来られても 私をそっと 眠らせておいてください。 ああ わたしの眠り 尊い眠り あの方の み手の一触れで 目醒める眠り。 ああ 私の閉じた眼は 眠りの暗さから 出てきた夢のように あの方が わたしのまえに 立たれるとき ほほえみの光にのみ 瞼を開くだろう。 あらゆる光 あらゆる形の 最初のもののように わたしのまえに あの方を 現してください。 わたしの目覚めた魂の 最初の喜びは あの方の まなざしから 来させて下さい。 目覚めて 自分に立ちかえることは そのままあの方に 帰ることであらしめて下さい。 48 沈黙の 朝の海が 小鳥の歌の さざ波に変わった。 草花は 道ばたに 楽しそうだった。 豊かな金色が 雲の切れ目から 一ぱい撒かれた。 だが わたしたちは 忙がしく道をあるき なにも 心に とめなかった。 わたしたちは 喜びの歌もうたわず 遊びもしなかった。 村に 取引にも 行かなかった。 一言も語らず 微笑みもしなかった。 道に とどまることも なかった。 私達は 時が過ぎ行くにつれ だんだんと 足をはやめた。 陽は 中天にのぼり 鳩は木蔭で クウクウ鳴いていた。 枯れた木の葉は 舞い上り 真昼の 暑い空気に くるくる廻った。 牧童たちは うたたねをし バンヤンの木蔭に 夢を見ていた。 私は水のほとりに坐って 草の上に 疲れた手足を 伸ばした。 わたしの ともだちは わたしを 嘲けり笑った。 その人たちは 尊大な風をして 急ぎ去った。 ふり返りもせず 休みもしなかった。 彼等は 遠い遥かな藍色のもやに消え去った。 いくつもの牧場と 丘を越えて 遠い みしらぬ国々を 経めぐった。 あらゆる栄光が 君達にあれ! 果てしない道を行く 雄々しい人々よ! 嘲りと非難が 私を突き刺し 立たせようとしたが わたしの中には 何の反応もなかった。 太陽が縫いとりした 緑の幽暗の憩いが そろそろと 私の心の上に 拡がった。 私は なぜ旅をしていたのか 忘れた。 そして私の心を 影の不思議さと歌のなかに 入るにまかせた。 やっと 眠りから覚めて 眼を開いた時 あなたが 私の傍らに立ち あなたの微笑みを私の眠りに溢れさせているのを見た。 道は遠く 疲れ果て あなたに 到る苦闘の きびしさを どんなに わたしは惧れていたか しれないのに。 49 あなたは み座から降りてきて 私の 小屋の戸口に立たれました。 私はたった一人 片隅で歌っていました。 その歌が あなたの耳を とらえました。 あなたは 降りてきて 私の 小屋の戸口に 佇まれた。 あなたの み堂に 名人は多いし 歌は たえまなく 歌われています。 けれど この新参者の 素朴な歌が あなたの 愛を打ちました。 一つの哀れな 小さい唄が 世界の 偉大な音楽と 一つになりました。 あなたは 褒美にと一つの花を 持って 降りてきて 私の 小屋の戸口に たちどまられました。 50 私は戸口から 戸口へと 村の小路を 物乞いをして歩いていた。 その時 あなたの黄金の車が すばらしい夢のように はるかとおくに あらわれた。 すべての 王のうちの 王であるお方は どなたなのかと わたしはいぶかった。 わたしの望みは 高まり わたしの 不運の日々は 終ろうとしていると 思った。 求めなくとも 与えられる施しと ほこりの中の 四方に ばらまかれる宝を まちながら わたしはそこに 立っていた。 車は 私の立っている所に 止った。 あなたの眼ざしはわたしの上にそそがれ あなたは ほほえみながら 降りてこられた 私は一生の幸福がついにやって来たと感じた そのとき不意に あなたは 右の手を出され 「私にくれるものは なにか」といわれた。 ああ! 乞食に 物乞いの手を だされるとは 何と 王様らしい たわむれだろう! わたしは 当惑して 心を決めかねて 立っていたが やがて わたしの合財袋から そろそろと とうもろこしの 一番小さい袋を出して あなたに それを差し上げた。 その日の終りになって 袋を床にあけたとき 貧しい もらいもののなかに ほんの小さな金の粒を みつけたとき わたしの驚きは なんと大きかったことか わたしは 悲しく泣きむせんだ すべてを あなたにさし上げる 心根を持っていたら よかったのにと 歎きかなしんだ。 51 夜がきて 暗くなり 一日の仕事は 終った。 今夜の 最後の客も 着いたと思い 村の家々は 戸を閉めた。 誰かがいった「王様が来る筈だ。 」 私達は 笑っていった 「そんなことがあるものか!」 戸を叩く音が するようだったが あれは風だろう と私達はいった。 灯りを消して 私達は寝ようとした。 誰かがいった「使者だ。 」 私達は笑っていった 「いいや あれは風さ!」 夜のしじまに 音がした。 私達はねむい頭で あれは遠い雷だと思った。 大地は震え 壁は揺れ 私達の眠りは 妨げられた。 誰かがいった「車輪の音だ。 」 私達は 眠そうなつぶやきでいった 「いいや あれは雲の中の響さ。 」 夜はまだ暗く 太鼓が鳴り響いた。 声が聞えた「起きろ! 遅れるな!」 私達は心臓に手を置き 恐れふるえた。 装飾は? 誰かがいった「叫んでも無駄だ! 空手でお出迎えし 飾りのないお前の部屋に お通ししろ!」 扉を開け 法螺貝を吹きならせ! 夜のさなかに 吾等の闇の王は 荒れはてた家に 来給うた。 雷は空に轟(とどろ)き 闇は雷光(いなづま)に 打ち震えた。 ぼろぼろの敷物を 庭に拡げろ 嵐と共に 恐ろしい夜の王は 突如として 訪れたのだ。 そのままに あなたの去られる朝を待った 幾片かの 花びらが床の上に 残っているだろうと思って。 私は乞食のように 暁に はぐれた一片二片を探した。 ああ だけど私が見つけたのは 何だったろう。 あなたの愛の どんな印だったろう。 花ではない 香でもない 香り高い水がめでもない。 それは焔のように閃き 雷鳴のように重い あなたの いかめしい劔であった! 朝の若々しい光が 窓から入って来て あなたの床の上に 拡がる。 朝の小鳥は ささやき 訊ねる 「女よ 何を見つけたの?」 いや それは花ではない 香でもない 香り高い水がめでもない。 私は坐り 驚きの中に 想いに沈む。 これは また何という あなたの贈物か 私は これをかくす所を 見つけられない。 弱い私は これを着けるのは 恥かしい 胸に抱けば 私を傷つけよう。 だが あなたの贈物 苦しみの重荷を 負う光栄を 私は心に しっかり抱こう。 これからは 私にとって 恐れは この世に存在しないだろう。 あなたは 私のあらゆる たたかいに 勝利を得るだろう。 あなたは死を 私の友として残された。 私は死に 私のいのちの冠を 与えよう。 あなたの劔は 私をはなれず 私の束縛を 断ち切るためのものだ。 私には もうこの世に 恐れはないだろう。 これからは ちいさな飾りものを すっかり捨て去ろう。 私の心の主よ もはや私には 片隅で待ち望み 泣くようなことはありません。 はにかみや 優しいふるまいはありません。 あなたは あなたの劔を飾りとして下さいました。 人形のかざりは もはや私にはありません。 53 あなたの腕環は 麗しい。 星に飾られ 百々千々(ももちぢ)の彩りの宝石を 巧みにちりばめられて。 けれど私には あなたの劔が 更に美しい。 ヴィシュヌの 聖鳥(とり)の拡げた翼のような 雷光の曲線を持ち 落日の赫い光の 怒りの中に 全き平静を保って。 あなたの腕環は 麗わしい 星の宝石に 飾られて。 54 私はあなたに 何も求めなかった。 あなたの耳に 私の名を告げなかった。 あなたが 立ち去られた時 私は黙って 立っていた。 木の影が 斜に落ち 茶色の土のかめに 一ぱい水を汲んで 女達が 家に帰って行った 泉のほとりに 私は ただ一人 立っていた。 女達は 私を呼んで叫んだ 「一緒に行きましょうよ もうお昼よ。 」 だが 私はぼんやりと 思いにふけり しばらく 力なく たたずんでいた。 あなたが 来られたとき 私は足音を 聞かなかった。 あなたの眼が 私の上に 落ちたとき それは 悲しそうだった。 あなたの低い声が「ああ 私は渇いた旅人です」と云ったとき その声は 疲れていた。 私は真昼の夢から 驚きさめて あなたの 合掌された み手に 私のかめから 水を注いだ。 木の葉は 頭上に さらさら音をたて 郭公は何処ともない暗がりから歌い バブラ(1)の花の香りは 道の曲り角から 流れて来た。 あなたが 私の名を 訊ねられたとき 私は恥かしさに 言葉もなく 立っていた。 ほんとうに 私はあなたに 私の名を 覚えていただくような 何をしたろう。 それなのに あなたの渇きを医そうと 水をさし上げた記憶が 心から離れず 私の胸を やさしさで 包んでしまう。 いつのまにか 昼も近くなり 小鳥らは 疲れた声で歌い 楡(にれ)の葉は 頭上にさらさらと鳴り 私は座ったまま 思いの中に 沈んで行く。 (1)バブラの花。 アラビヤアカシヤ。 豆科でアラビアゴムの木と呼ぶ。 香り高い花を沢山つける。 55 お前の心の上に 倦怠が おおいかぶさり お前の 瞼の上にはまだ 眠りが 去ろうとはしない。 花は 荊棘(いばら)のあいだに咲きほこるという あの言葉は お前には 来なかったのか。 目覚めよ おお 目を醒ませ。 空しく 時を過すな。 石の道のはての 汚れのない孤独の国に 私の友は 唯一人座って居る。 あの人を あざむいてはいけない。 目覚めよ おお 目を覚ませ。 お前の一歩一歩に 道は竪琴となり 苦みのなかにある やさしい音楽を奏でないのか。 56 このように あなたの歓喜(よろこび)が わたしのなかに 充ちています。 このように あなたは わたしにまで くだり給うたのです。 おお あらゆる天の君なる主よ 私が もしも いなかったら あなたの愛は どこにあるのでしょうか。 あなたは この私を この豊かな宝の 相手に選ばれました。 私の心の中には あなたの歓喜(よろこび)の 終りを知らない 遊びがあるのです。 私のいのちの中に あなたの意志が いつも 形をとって 現れるのです。 このために 王の中の王たる あなたは 私の心を とりこにされようと 美しく身を飾ります。 このために あなたの愛は 愛し合う人々の 愛の中に入りこみ 二つの魂の 全き結合の中に 現れ給うのです。 57 光よ 私の光よ 世界に充ちわたる光よ 眼に口づけし 心をやわらげる光よ。 ああ 光は踊る 私の愛するものよ 私の生命の真中で。 光は奏でる 私の愛するものよ 私の愛の旋律を。 空は開け 風は気ままに走り 笑いは 大地の上を 過ぎて行く。 蝶は 光の海に 帆をかかげ 百合と茉莉花は 光の波頭に 揺れ動く。 光は 雲の一つ一つに 金色に砕け 愛するものよ 光は宝石を ふんだんに まき散らす。 愉(たの)しさが 葉から葉へ 拡がり 愛するものよ 歓喜(よろこび)は 測り知れない。 天の川が その岸を おぼれさせ 喜びの洪水が 一面に 拡がっている。 笑いで あらゆる生命を 震わせ 目覚めさせながら 嵐と一しょに やってくる歓びと 苦しみに 開いた紅の蓮の上に 涙を浮かべて 静かに 休らう歓びを。 そして あらゆるもちものを塵に捨てて しかも言葉に いいがたい歓びを。 59 そうです 私はよく知っています すべてあなたの愛に ほかならぬことを 心から愛するものよ 草の葉の上に踊る この金色の光も 大空に 帆をかけて行く ものうげな雲も わたしの額のうえに 涼しさを残してゆく このそよ風も。 あなたのお顔は 高いかなたから 私のうえに くだり あなたの瞳は 私の眼を 見下ろしていられる 私のまごころは あなたのみ足に 触れました。 60 はてしもない 世界の海辺に 子供たちが あつまっている。 無限の大空は 頭の上でうごかず 水はやすみなく みだれ さわいでいる。 はてしもない 世界の海辺に 子供たちは あつまり さけび おどっている。 子供たちは 砂で家をたて からっぽの貝がらで あそぶ。 枯れた木の葉で 小舟をつくり わらいながら 海にうかべる。 子供たちは 世界の海辺を あそび場にする。 子供たちは 泳ぎもしらず 網をうって 魚をとるわざもしらない。 真珠とりは 真珠をとりに 水にもぐり あきんどたちは 船を走らせているのに 子供たちは 小石をあつめては またちらし かくれた宝を さがそうともせず 網をうつ わざもしらない。 海は笑いごえを立てて もりあがり 磯のほほえみは 青白く光る。 死をあきなう波も こどもたちには 意味のない小唄をうたい まるでゆりかごをあやす 母のように 海は子供たちと たわむれて 磯のほほえみは ほの白く光る。 はてしもない 世界の海辺に 子供たちは あつまっている。 嵐は 道もない大空に ほえたけり 船は みちすじのない海でくだけ いたるところに 死があるのに 子供たちは あそぶ。 はてしもない 世界の海辺に 子供たちの 大きなあつまりがある。 62 おまえに きれいな色のおもちゃをもってくるとき ねえ坊や そのときわたしは わかります どうして 雲や水には色のあそびがあり なぜ花は きれいな色に そめられているのか ねえ坊や おまえにきれいな色の おもちゃをもってくるとき。 歌をうたって おまえをおどらせるとき そのときほんとに わかります どうして木の葉に音楽があり どうして波は 大地のむねに さざめく合唱を送るのか 歌をうたって おまえをおどらせるとき おまえの何かほしがるお手々に 甘いものをあげるとき そのときわかります どうして花の芯に蜜があり どうしてくだものは こっそりと甘い汁をかくしているのか おまえの 何かほしがるお手々に 甘いものをあげるとき。 63 あなたは わたしの知らなかった友達に わたしを 知り合いにして下さいました。 あなたは 私の家でない所に わたしの席をもうけて下さいました。 あなたは 遠いものを近づけて 見知らぬ人を 兄弟になさいました。 住みなれた かくれ家を 離れるとき わたしの心は 不安です。 新しいものには 古いものがのこっていることを 私はわすれ またそこには あなたが居られることを 忘れているのです。 誕生と 死とを越え この世でも またあの世でも あなたのみちびきが 何処であろうと わたしの心を 未知の人々へ 喜んで結びつけるのはあなたです。 あなたを知るとき 未知の人はなくなり 閉ざされた扉は なくなります。 おお わたしが多くの人びとの 劇の中で たった一人に 触れるしあわせを 決して 見失うことのないように わたしの祈りを ききいれてください。 64 荒れはてた河の土堤の 丈高い草の中で わたしは尋ねた 「娘さん 外套で灯を蔽って どこへ行くの。 わたしの家は暗く寂しい。 そして言った 「私が河に来たのはね お日様が 西に沈んだら 川にこの灯を浮かべるためなの。 」 丈高い草の中に 私は一人立ち、 その弱々しい焔が 空しく流れ漂うのを見ていた。 夜の 深まる静寂の中で 私は尋ねた 「娘さん あなたの灯は みんなともされました それであなたはどこに 灯を持って行くの。 」 娘は黒い瞳をあげて 私の顔を見 疑わしげに 一瞬立ち止った。 そして言った 「私が来たのは お空に わたしの灯を ささげるためなの。 」 私はぼんやり立ちつくし その灯が 空しく空に 燃えるのを見ていた。 真夜中の 月のない暗がりの中に 私は尋ねた 「娘さん 胸のあたりに 灯を持って 何を求めているの。 私の家は暗く寂しい。 」 娘は一瞬立ち止って考え、 闇の中で私の顔をじっとみつめた そして言った 「私が灯を持って来たのはね 灯のお祭りに 加わるためなの。 」 私は立ちつくし その灯が ほかの灯の中に 空しく失われるのを見ていた。 65 私のいのちの 溢れる盃から 私の神様 どんな聖い酒を あなたはお望みですか? 詩人である私の神様 私の眼を通して あなたの創造物をごらんになり 私の耳の戸口に 立ってあなたの永遠の調べを 聞かれるのは それはあなたの 喜びなのでしょうか? あなたの世界は 私の心の中で 言葉を織りなし あなたの喜びは 言葉に音楽を 添えます 愛の中で あなたは御自身を私に与え あなた御自身の やさしさすべてを 私の中に 感じて居られるのです。 66 私の存在の 奥深くの ほの明るい微光の中に 住んでいた彼女は 暁の光に ヴェールをといたことのない彼女は 私の最後の唄に包まれて 私の神様 あなたへの 最後の捧げ物となりましょう。 言葉で求愛しても彼女を 得ることは出来ず さそいが 熱心に腕をさし伸ばしたが 無駄だった。 心の奥に 彼女を抱いて 私は国から国へと さすらい 彼女のまわりに 私の生涯の 浮き沈みがあった。 私の思いと行いを 私の眠りと夢を 彼女は心配した けれど一人離れて住んでいた。 多くの人が 私の扉を叩き 彼女を求め 絶望して 去って行った。 彼女を まともに見たものは 一人もない。 そして彼女は 一人寂しく あなたが認めて下さるのを 待っているのです。 67 あなたは大空であり、あなたはまた巣である。 おお美しいものよ! 巣の中では 魂が 色と 音と 香りで 包まれている。 それが あなたの愛なのです そこに 朝が 美しい花冠を入れた 金の篭を右手に もってやってくる そしてしずかに 大地に花冠をささげる。 そこに 夕暮が道のない 小径を越えて 家畜の群の帰った ものさびしい牧場に 西の方 いこいの海から 金の水入れに 平和の冷たい水を入れて やってくる。 だがそこに 魂が天翔けり入ってくる 無限の空の拡がるところには 純白の汚れのない光輝が 支配する。 もはや そこには日もなく 夜もなく 形も色もなく そして言葉はさらにない。 68 あなたの 太陽の光は この地上に 両腕を拡げてくる。 そして一日中 わたしの戸口に 立っていて わたしの涙と 溜息と 歌とで出来た雲を あなたの 足もとへ 持ち帰る。 あなたは 楽しそうな喜びで 星のきらめく胸のあたりを 霧ふかい 雲のマントで 包まれる すると 雲は無数の形や襞(ひだ)になり たえず変る 色合をつける。 雲は軽く 素早く やさしく 涙もろく また暗い だから あなたは雲を愛されるのだ おお 汚れなく 澄みわたった御方よ。 だからあなたの恐ろしい 真白な光を 雲の悲しい影で被いなさるのだ。 69 ひるとなく 夜となく わたしの血管を流れる 同じいのちの流れが 世界をつらぬいて流れ 旋律にあわせて踊っている。 そのいのちが 喜びとなってほとばしり 大地の塵から 無数の草の葉を 萌え出させ 木の葉や 花々の騒がしい波を 立たせる。 そのいのちが 生と死の海の 揺りかごのなかに 満ちたり引いたりしながら揺られている。 このいのちの世界にふれて 私の四肢は 栄光に充たされる そして私の誇(ほこ)りは いまこの瞬間に私の血のなかに踊っている 幾世代のいのちの 鼓動からくるのだ。 70 この旋律の歓びを よろこぶことは あなたには できないことでしょうか? この怖ろしい 歓びの渦の中に 投げこまれ とけこみ 砕けることは。 あらゆるものは突進し 止まらない 後をふりかえるものもない。 どんな力も 彼らを 止めることは出来ない あらゆるものは 突進するのだ。 あなたは ご自身の存在に 棚をもうけ ご自身の分身を 数かぎりない音調で 呼ばれる。 このあなたの分身が 私のからだに 現われた。 色さまざまの涙と 微笑 驚愕と 希望の中に 大空を貫く 鋭い歌が 反響する。 浪は脹らみ またくだけ 夢は破れ またむすぶ。 私の中で あなたは ご自身をうち敗る。 あなたの 張りめぐらした帳(とばり)には 夜と昼の刷毛をもって 無数の形が描かれる。 そのうしろに あなたの席は 味気ない直線は みな捨てて 驚くべき神秘の曲線で 織りなされている。 あなたと私の 大いなる舞台が 空に拡がっている。 あなたと私の音楽で 空気は みぶるいしている。 あなたと私の かくれん坊で すべての時代は 過ぎて行く。 72 もっとも おくふかく いますもの その深い神秘の 接触をもって 私の存在を 目覚めさせるのは あの方です。 この眼に 魔法をかけ わたしの心の琴線を よろこびと苦しみの さまざまな旋律で 嬉しげに 奏でるのは あの方です。 金と銀 青と緑の 淡い色で 運命の網をあみ、 その折り目から 足をのぞかせ それにふれて 我を忘れさせるのは あの方です。 日々は来り 時は過ぎ去る けれどいつも私の心を さまざまの名に さまざまの装いに 感動させ 喜びと 悲しみに 夢中にさせるのは あの方です。 73 私にとって救いは 世を棄てることにはない。 私は喜びが かぎりない 束縛をもつなかに 自由の抱擁を感ずる。 あなたは さまざまの色と香りの あなたの新鮮な酒の盃を いつも私に 注いで下さる この土の器に 溢れるまでに。 私の世界は あなたの焔で 幾百もの ちがうランプに 火をともし あなたの寺院の 祭壇の前に置くだろう。 いや 私は決して 感覚の扉を閉めますまい 見たり聞いたり 触れたりする喜びは あなたの喜びを つたえることですから。 そうだ 私のあらゆる幻影は 喜びの光明の中に 燃えるだろう 私の望みは 愛の果実となって みのるだろう。 74 日は暮れて 影が 地上を蔽いました。 流れに行って わたしの水がめを 充たす時です。 夕暮の 大気は 水の悲しい 音楽(しらべ)に 聴き入っています ああ それは 私を夕闇のなかへ 誘い出します。 寂しい小路には 通る人もなく 風は立ち 流れには さざ波が 踊っています。 わたしは 家に帰るのかどうか わかりません。 誰にめぐり逢うのか わかりません。 あの渡し場の 小舟の中で 誰かが 琵琶(リュート)を奏でています。 75 あなたの恵みは わたしたち 生きとし生けるものに すべての必要を 充たされます。 しかも少しも減ることなく そのまま あなたに還って行きます。 河は日毎に なすべき業をなして 畑や小さな村を 足早に 過ぎて行きます。 しかも その絶え間ない流れは うねりくねって あなたのみ足を 洗っています。 花はその香りで 空気を甘くします。 しかも その最後のつとめは あなたに 自らを捧げることなのです。 あなたへの礼拝は この世を貧しくはしないのです 詩人の言葉から 人々は好きな意味をとります しかもその最後の意味は あなたを指しているのです。 76 来る日も 来る日も わたしのいのちの主よ あなたのみ前に あなたとむかいあって 私は立ちます。 合掌して すべての世界の主よ あなたのみ前に あなたとむかいあって 私は立ちます。 孤独と沈黙の あなたの大空の下に つつましやかに あなたのみ前に あなたとむかいあって 私は立ちます。 あなたの労苦なされた この世で 労働と 闘争の 騒がしさに 忙しい 群衆の中に あって あなたのみ前に あなたとむかいあって 私は立ちます。 そして 私のこの世の仕事が 終ったら 王の中の王よ ただ一人 言葉なく あなたのみ前に あなたとむかいあって 私は立ちます。 77 私はあなたが 神であると知って 離れています 私はあなたが私のものであることを知らずに 近づいて行きます。 あなたは わたしの父であることを知って わたしはみ足の前に額づきます 私はあなたのみ手を 友の手をとるように握りません。 あなたが降りて来られて ご自身を 私のものであるとおっしゃる所 あなたを私の胸に抱き あなたを私の友とする所に 私は立ちません。 あなたは 私の兄弟の中の兄弟です。 しかし私は 兄弟たちに かまわず 得たものを 兄弟に分けてやらず こうしてすべてを あなたと 分ちあいます。 楽しいときや 苦しいときに 私は人々の側に 立ちません。 こうしてあなたの傍に 立つのです。 私は生命を捨てることを ためらいます それゆえ こうして大いなる生命の海に 飛び込まないのです。 78 創造が新しく あらゆる星が 最初の輝きで きらめいていたとき 神々が 空で会議をひらき そして歌った 「おお完全な絵巻物よ! まざりけのない喜びよ!」 しかしそのとき 一人が急に 叫び出した 「光のくさりに どこか 破れ目があって 星が 一つなくなったようだ。 」 黄金の竪琴の絃(いと)が切れ 歌は止み あわてふためいて 神々は叫んだ 「そうだ あのなくなった星は 一番よい星だった。 あれは すべての天界の栄光だった!」 その日から その星の探索は やすみなく その星のために 世界はたった一つの喜びを失ったと 一人から一人へと 叫びが伝わって行った。 けれど 夜の一番深い静けさのなかで 星達は 微笑み交わし たがいに囁き合っている 「探したって 無駄なことだ! 破れ目のない完全が 全存在の上にあるんだもの!」 79 あなたに お逢いすることが この私の一生の 運命でないならば あなたのお姿を見失ったことを いつも感じさせて下さい。 一瞬たりとも 忘れさせないで下さい。 この悲しみの苦悩を 夢の中でも 覚めた時にも 持ち運ばせて下さい。 私の日々が この世の混雑した 市場の中で過ぎ 私の手が 日々の利益で 充たされてくるにつれ 私は何も得ていないことを いつも感じさせて下さい。 一瞬たりとも 忘れさせないで下さい。 この悲しみの苦悩を 夢の中でも 覚めたときにも 持ち運ばせて下さい。 疲れ 喘いで 路傍に坐るとき 床(とこ)を塵の中に 拡げるとき 永い旅路が まだ前にあることを いつも感じさせて下さい。 一瞬たりとも 忘れさせないで下さい。 この悲しみの苦悩を 夢の中でも 覚めたときにも 持ち運ばせて下さい。 私の部屋が飾り立てられ 笛が鳴りわたり 高笑いが聞えるとき 私はあなたを 私の家に招いたのではないことを いつも感じさせて下さい。 一瞬たりとも 忘れさせないで下さい この悲しみの苦悩を 夢の中でも 覚めたときでも 持ち運ばせて下さい。 80 おお 永遠に 輝くわたしの太陽よ 私は空にむなしく漂う 秋の雲の 残りの一片のようなものです。 まだ あなたのみ手がふれて 私の水滴を溶かし あなたの光と 一つにして下さらないので 私はあなたから離れて 月と歳とを 数えています。 もしこれが あなたの望みであり もしこれが あなたの遊びであるなら 私のこのはかない空虚を とり上げ 色をつけ 金色を塗り 気ままな風に 浮かべて 様々の不思議な姿に 拡げて下さい。 そしてまた もし夜になってから この遊びを終るのが お望みならば 私は闇の中に溶けて 消えましょう。 または 白々と明ける 朝の微笑みのなかに すきとおる清い 涼しさのなかに 消えましょう。 81 いくたびとなく 無為の日に 私は失われた時を 悲しんだ。 けれど主よ それは失われたのではありません。 あなたがみ手のなかに 私の生涯の 一刻一刻を お取りになって 下さったのですから。 あらゆる物の なかにかくれて あなたは種から芽を 蕾から花を 花から果実を はぐくまれます。 私は疲れて 無為に眠り あらゆる仕事は 中止になったと 思いました。 朝になって 目を覚ましてみると 私の庭は 花の奇蹟で 一ぱいでした。 82 主よ 時はあなたの み手のなかでは 終りがありません。 あなたの分秒を 数えるものは居りません。 ひるもよるも過ぎてゆき 時代は花のように咲いて また色あせてゆきます。 あなたは待つことを 知って居られます。 あなたの世紀は 次から次へと進み 一つの小さな 野の花を 完成します。 わたくしたちは 余分の時を持ちません そして時を 持たないから 機会を つかむために 我勝ちに争います 貧しいので ぐすぐすしては いられません。 こうしてうるさく求める人には 誰にも時間を 与えている間に時は過ぎ あなたの祭壇には しまいまでささげ物は 参りません。 一日が終り 私はあなたの門が 閉まるのではないかと急ぎます。 しかし きてみて まだ時があったのに 気づくのです。 83 母よ わたしの悲しみの涙で あなたに 真珠の首飾りを あみましょう。 星は光の 踝(くるぶし)飾りで あなたのみ足を飾りました。 でも わたしのは あなたのみ胸に かけて下さい。 富と名誉とは あなたから来ます。 それを下さるのも 取上げるのも あなたです。 でも この悲しみは まったくわたしのものなのです。 そしてこれを あなたに捧げものとして みまえに もってくるとき あなたは 慈愛を わたしにむくいて 下さいます。 84 離れている 孤独のかなしみが 世界中に拡がり 無限の空に 数かぎりない形を 生れさせている。 離れている 孤独の悲しみが 終夜黙って 星から星をみつめ 七月の雨の闇に 音立てて鳴る 木の葉の詩(うた)となる。 どこまでも拡がるこの痛みこそ 深まって愛となり 願いとなり 人々の家庭の 苦しみとなり 喜びとなる。 そしてこれこそ 私の 詩人の魂をとおして つねに歌となり 溶けて流れる。 85 戦士たちが 最初に主の家を 出てきたとき その力は どこにかくして あったのだろう? 鎧や武器は どこにかくして あったのだろう? 彼らが 主の家を出た日には 彼らは 貧弱に力なく見え 彼らの上に 矢は雨と降った。 戦士たちが 主の家に 凱旋した時 その力をどこに かくしてしまったのだろう? 彼らは 劔を捨て 弓矢を捨てた。 平和が 彼らの額の上にあった。 彼らはいのちの果実を 背後にのこしていった 彼らが 主の家に 凱旋した日に。 86 あなたの み使いである死が 私の戸口に来た。 未知の海を越え わたしの家へ あなたのお召しを 持って来た。 門を開けて み使いを招じ入れよう。 わたしの戸口に立つ人は あなたのみ使いなのだ。 手を合わせ 涙を流し み使いに 礼拝しよう。 私の心の たからものを その足もとに 捧げて 帰って行くだろう 私の朝に 暗いかげを残して。 寂しくなった私の家には あなたへの最後の ささげものとして さびしい 孤独の自我が のこされるだろう。 87 望みのない願いで わたしは彼女を 部屋の隅々まで捜し求めるが どこにも 彼女は見えない。 わたしの家は小さく 一たび この家から失せたものは 二度とかえってくることはない。 主よ でもあなたの家は 限りなく広い。 わたしは彼女を捜し求めて あなたの戸口に やって来ました。 あなたの夕空の 金色の天蓋の下にたち わたしは 一心に瞳をあげ あなたのお顔を 仰ぎます。 あの失われた やさしい感触を この宏大な 宇宙の中に 今一度感じさせて下さい。 88 荒れはてた寺院の神よ! 七絃琴(ヴイナ)の切れた弦は おまえの讃歌を もう奏でない。 夕べの鐘は おまえの礼拝の時を告げない。 空気は おまえのまわりに 動かず黙っている。 おまえの 荒れ果てた住居に 気紛れな 春風が入ってくる。 それは花の音信を 持ってくる けれど 花はもうおまえの礼拝に 捧げられることはない。 昔からの おまえの礼拝者は 拒まれてもなお 恵みを願ってさまよう。 夕べになって 灯火と影が 塵埃の暗さと混るころ 彼は疲れ 心飢えて 荒れはてた寺院に 帰って来る。 荒れ果てた寺院の神よ 祭りの日は いくたびもおまえには ひっそりと来る。 礼拝の夜が いくたびも 灯もともさずに 去って行く。 数々の新しい神像が 巧みな工匠の手に作られ その時が来ると 忘却の聖い流れにのせられる。 荒れはてた寺の 神のみ 礼拝を受けることなく 死もなき 放棄の中に いつまでも残される。 89 やかましい 大きな声は もう出すまい それが わが主のみ心なのだ。 これからは 私は囁きで 言おう 私の心の言葉は 歌の囁きで言おう。 王様の市場へ 人々は急ぐ 買う人 売る人 みんなそこにいる。 だが 私は 日のさなかに 時ならず 仕事の最中なのに 帰ってくる。 まだ その時では ないけれど 花よ わたしの庭に 咲き出しておくれ。 真昼の蜂よ 歌っておくれ ものうげな その歌を。 善悪の争いの中に 私は多くの時を 費した。 けれど いまは空しい日々の 遊び相手が 私の心を ひきつけるのを喜ぶ。 そして役にも立たないこの矛盾 なぜこんなに 突然 呼ばれたのか わたしは知らない。 わたしの秋の日と 夏の夜の 甘いぶどうのとり入れと いそがしい生涯の すべての収穫と 落穂とを その前に 並べてささげましょう。 私の生涯が終って 死がわたしの扉を 叩くとき。 91 おお お前 生の最後の完成 死よ わたしの死よ わたしに来て 囁いてくれ! わたしは来る日も 来る日も お前を待ちうけ 見張っていた お前のために 世の苦しみも 喜びも 堪えて来た。 わたしのすべての存在 所有 のぞみ 愛は いつもお前に向って 秘かな深いところで 流れていた。 お前の眼からくる 最後の一べつによって わたしのいのちは お前のものとなるだろう。 花は編まれ 花環は 花婿のために 用意された。 結婚の式がすめば 花嫁は家をあとにし 夜のしじまに ただ一人 花婿に逢うであろう。 だが星は 夜を見守り 朝日は 常のように昇る。 時は 海の浪のように 盛り上り 喜びと 苦しみを 投げつける。 この最後の瞬間を 思うとき その瞬間の仕切りは やぶれ 死の光によって わたしはみる 失ううれいのない 宝にみちた あなたの世界を。 そこでは どんな低い座席でも すばらしく どんなに卑しい 生命でも すばらしい。 93 わたしは行かねばならない。 お別れをしよう 兄弟たち みんなに おじぎをして わたしは去って行く。 ここに 私の扉の鍵を返そう わたしの家の すべての権利を おまかせしよう。 ただみんなから 最後の やさしい言葉が聴きたい。 わたしたちは 永い間隣人だった。 だがわたしは さし上げるより 頂くばかりだった。 朝がきて わたしの暗い部屋を てらす灯は 消えた。 お召は来た。 わたしは旅立つ 用意ができた。 94 いま わたしの別れのときに 友だちよ わたしの幸運を祈ってくれ! 空は 暁の光に輝き 私の行く道は 美しい。 そこへ行くのに 何を持って行くかと 訊ねてくれるな。 私は 空っぽの手と 期待の心をもって 旅に出る。 私は結婚の花冠を つけよう 私が着るのは 旅人の赤茶の衣ではない。 行く道に 危険があろうとも わたしの心には 恐れはない。 わたしの旅が 終えたなら 宵の明星が 光り出よう。 夕やみの 調べの悲しい曲が 王様の門から 聞えて来よう。 95 いのちの しきいを越えて 初めて この世に来たときを 私は知らなかった。 この広大な 神秘の中へ 真夜中の森の 一つの蕾のように わたしを誕生させた力は 何だろうか! 暁の光を 見上げたときすぐに わたしはこの世の よそ者でなく 名前も形もない 不思議なものが わたしの母の姿となって その腕に わたしを抱きあげたことを知った。 それと同じように 死に当っても 前から わたしを知っていたように あの知られないものが 現れるだろう。 わたしは この生を愛するゆえに 死をも また愛するように なるだろう。 赤児は 母が右の乳房から 引き離すと泣くけれど すぐに 左の乳房を あてがわれて 安心するのだ。 96 ここから わたしが立ち去る時 わたしの別れの言葉に こう言わせて下さい。 わたしが 見てきたものは たぐいなく素晴らしいものでしたと。 数限りない形を そなえた この劇場で 私は 劇を演じてきました。 そしてここに形のないものの 姿を見ることが出来ました。 触れることの出来ないものの手に 触れられて わたしの体も手足も喜び踊りました。 そして ここに終りがくるものなら 終りとなるがよい これを わたしの別れの言葉に させて下さい。 97 あなたと一しょの芝居を していたとき わたしはあなたが誰だか 尋ねもしませんでした。 わたしは 恥ずかしがりもせず 恐れもせずに わたしの生涯は にぎやかでした。 朝早く あなたは友達のように わたしを眠りから 呼びさましました。 そして林の中の 空地から空地へと 走らせ わたしを導いて 下さいました。 あなたがわたしに 歌った歌の意味を あの頃の わたしは 知ろうともしませんでした。 ただわたしの声が 調子をとり わたしの心は 歌につれて 踊ったのでした。 遊ぶときが 終った今 私の上に 急に現れたこの光景は 何ごとでしょう? 世界はあなたの足もとに 眼を伏せて 黙りこくった星と一しょに 畏れて立つのみであります。 98 わたしの 敗北のしるしに あなたを トロフィや花環で 飾りましょう。 敗かされずに のがれることは わたしの力の限りではありません。 確かにわたしは 知っています わたしの誇りは 壁に突き当たり わたしのいのちは たまらない苦しみに 縫目を破り 空っぽの心は うつろな芦の笛のように すすり泣き 石は涙に溶けるでありましょう。 確かに わたしは知っています 蓮の数百の花弁は いつまでも閉されたままにあるのではなくて その蜜を秘めた壷も いつかは 白日にさらされるでありましょう。 碧い空から 一つの眼が わたしを見つめ 沈黙の中に わたしをお召しになるでありましょう。 何も 何ものも わたしには残されず み足のもとに 絶対の死を 受けとることでありましょう。 99 わたしが舵を捨てるとき わたしは知っています、 あなたがそれを 取り上げるときが来たのだと。 なさるべきことは 一瞬にして なされるでありましょう。 この争いは 無駄なことです。 それならば わが魂よ お前の手をのけて お前の敗北を 忍びなさい。 そしてお前が 置かれた所に 静かに 座っていられることを 幸せであると 考えなさい。 風が わずかに そよぐたびに わたしの小さなともしびは 吹き消され またしても またしても 火をつけようと わたしは ほかのことを すっかり忘れてしまいます。 だが 今度はあやまたずに ござを床(ゆか)に拡げ 暗(くら)やみの中で 待っていましょう。 おお 主よ いつでもみ心のままに 黙ってここに来られ あなたの席を おとりください。 100 わたしは 深く水にくぐる 形あるものの 大海原に 形なきものの 完全な真珠を得ようとして。 風雨に叩かれた この船で 港への航海は もうやめましょう。 波頭に打ち上げられるのを 楽しみとした日は、 もう遠く去りました。 そして今 私は死を切に願います 死なきものとなるために。 底の知れない 渕のかたわらの 音なき絃の音が 盛り上る音楽堂に わたしは いのちの竪琴を とりあげましょう。 永遠の楽の音に 調子を合せ その最後の すすり泣きの音が 終ったら わたしの音なき竪琴を 沈黙の足もとに 捧げましょう。 101 わたしは一生の間 歌をもって あなたを さがし求めてきたのです。 戸口から戸口へ 私を導いてくれたのも 歌でした。 歌で わたしのまわりを まさぐり わたしの世界を探し 触れたのでした。 わたしが学んだことは みんな 歌が教えてくれたものです。 歌は 秘密の小道を 示してくれました。 わたしの心の 地平線のうえに 数々の 星を 見せてくれたのも 歌でした。 歌はわたしを一日中 喜びと 苦しみの国の 神秘へ導きました。 そして最後に 旅の終りの 夕暮れに なんという 王宮の門の前に わたしを案内したことでしょう? 102 わたしは人々の中で あなたを知っていると自慢しました。 人々は わたしのあらゆる作品の中に あなたの姿を見ました。 人々は来て訊ねます 「この人は誰?」 わたしは何と答えてよいか わからないのです。 わたしはいいます「実は言えないんですよ。 」 人々はわたしを非難し 嘲笑して去って行きます そして あなたは微笑んで そこにすわっていられます。 わたしはあなたの物語を 長く続いた歌にしました 秘密が わたしの胸から ほとばしり出ました。 人々は来て訊ねます「その歌の意味は?」と。 わたしは 何と答えてよいか分からないのです。 わたしはいいます「ああ 誰にこの意味が 分るでしょう?」 人々は微笑し 軽蔑し切って 去って行きます そしてあなたは微笑んで そこにすわっていられます。 103 おお 神よ あなたへの ただひたすらな礼拝によって わたしの あらゆる感覚を拡げ あなたの み足のもとで この世界に 触れさせて下さい。 七月の雨雲が まだ降らさない夕立の重さに 垂れるように わたしの心を あなたの扉の前で ひざまづかせてください あなたへのただひたすらな礼拝に。 私の歌の さまざまな節を 一つに集めて 一つの流れのように 沈黙の海へ 流れ入れさせてください。 あなたへの ただひたすらな礼拝に。 夜も ひるも 山の巣をしたって 飛んでかえる鶴の群のように わたしの全生涯の 船の旅を 永遠のふるさとに 向わしめてください、 あなたへの ただひたすらな礼拝に。 このファイルは著作権継承者の許諾のうえ、作成・公開されました。 ご使用の際は様・の「著作権の切れていない作品」をよくお読みになり、 私的使用の範囲を越えることのないよう、充分にご注意ください。 ただし、リンクに関してはこの限りではありません。 無断使用はご遠慮ください。

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ソーロー Henry David Thoreau 神吉三郎訳 森の生活――ウォールデン―― WALDEN, OR LIFE IN THE WOODS

あそこ で はたらく むすぶ さん

forum1 ここは皆さんからよせられたメールをのせる場所です.質問,分かったこと,もっと知りたいこと,質問への答え,などがあります. 注意 新しいやり取りを見る時は「更新」や「再読み込み」ボタンを押してください. 目次 切り通しについて 釈迦堂切り通しをみました。 当時は、ブルドーザーもないのに、よく、つくれたなあとおもいました。 そして、どのようにして、切り通しをつくったのかが、疑問です。 これから、帰って、みんなで調べたいと思います。 小学部 6年芙蓉組 愛 (2001. 05) 誰か考えた人は意見をください. 鎌倉の地形について 午前中の見学を終えました。 見に行った場所で印象に残ったのは天園ハイキングコースです。 僕達は軽装で歩きましたがとても疲れてしました。 しかし、昔の鎌倉武士は重い鎧や兜を身につけて、色々な物を体に付けていました。 僕達よりももっと疲れたと思います。 また、三方が山で囲まれ一方が海に面しているため、とても攻めにくい地形だと思います。 しかし、相手が一回攻め込むと逃げにくいと言う短所もあります。 昔の人々は疲れたなどといわずに「いざ鎌倉」といって鎌倉幕府と将軍を守っていたと思います。 6年芙蓉組 晴彦 2001. 05 このことについて誰か晴彦君に返事を書いて下さい.(ゲンボー先生) 芙蓉組 晴彦君へ 返答が遅くなってごめんなさい。 難攻不落(なんこうふらく=せめられても絶対にやぶられない)の自然の要害(ようがい=けわしく攻めにくいところ)と言われた鎌倉ですが、1333年新田義貞に攻めこまれ鎌倉幕府は滅びました。 1333年新田義貞は、極楽寺坂からの攻略をあきらめ、稲村ヶ崎を通り海岸から鎌倉入りをしようとしました。 しかし、海には北条氏の船から弓矢で新田氏の軍勢を狙っている為、義貞たちは先に進めません。 そこで、義貞は岬の上に立ち太刀を海に投げ入れ海神に祈ったところ、たちまち潮がひき、鎌倉軍の船は沖へ沖へと追いやられ、かわりに大きな干潟が現れ、新田軍勢はそこから鎌倉攻めを果たしたと言われています。 君の言うとおり、守りやすい地形であると同時に、いざ不意に突破されると弱い、と言う面もありました。 そう思う当時多くの武将も君が歩いたと同じ谷戸を歩き、重い甲冑で攻められない、海は船からしか入れないと、あきらめていとのかもしれません。 新田義貞の気転(きてん=別の方法を見つけて行うこと)が盲点を見つけ、歴史を変えたのでしょう。 これ以後、鎌倉が歴史の中心になることがなかったのには、こんな事情があったからかもしれません。 ちなみに、「稲村ヶ崎」と書かれる場合は岬の事を指し、「稲村ガ崎」と表記されると鎌倉市の地名を表わすそうです。 小学部 父兄 久保田英男 (2001. 06) はじめまして!玉川学園高等部2年のかおりです。 私も6年萩組の時、鎌倉見学に行きました。 私の一番印象に残ったのはやっぱり「切り通し」です。 広くて壁も意外と滑らかで、鎌倉時代の人って機械の力を使わずにこんなものつくっていたんだなあ・・・って思ったのを覚えています。 そして学習の広場の色々な方々の文章を読んで、すごく勉強になりました。 まだ知らなかったことが沢山あり、それがすごくわかりやすく書かれていて一気に鎌倉時代についての知識が広がりました。 おもしろいページに出会えて良かったです!! 高等部2年かおり (2001. 09) 晴彦君のメールに対して、思いました。 気付いたら知っていたくだらない知識です。 歩く人も大変なら、乗られている馬も大変だと思います。 藤組 諒(2001. 06) 諒君へ,くだらない知識ではありません.とても大切な知識だと先生は思います.そのことに気付くことだけでもえらいなあ・・・ところで当時の鎧を見たことがありますか? 下の絵を見てごらん.きれいな色をたくさん使っています.ふつうに考えたら戦争の時に「目立つ」と殺されちゃうのに,この鎧はどう見ても「目立つ」・・不思議だなあ???どうしてだろう? ゲンボー先生(2001. 06) これでもめだたないほうだからね・・・ (碧水社「復元の日本史」より) 馬はえらい迷惑だったと思います。 藤組 貴士(2001. 06) 多分馬に乗ったので、あまり大変では無いとおもいます.でも、貴士君の言う通りだと思いました。 Go(2001. 06) 久保田さん、諒君どうも有り難うございました。 頼朝さんのお墓について また、質問です。 できれば誰か答えて下さい。 源頼朝の墓へ僕達の班はいきました。 その時に、墓に島津氏の家紋がありました。 しかし、島津氏ができる(できると言いますか?)のはもっと後だと思いますが、その墓に島津氏の家紋があると言う事は墓ができた後しばらくしてから再建されたと言う事になると思います。 なぜ島津氏の家紋があるかと言うと、島津氏は九州にいた源氏だからだと思います。 でも、昔は自分が平氏だとか源氏だとかと勝手に名乗っていました。 有名なのは、徳川家康はたしか源氏を名乗っていたと思います。 では、島津氏は本当に源氏だったのですか?(たぶん墓に家紋があるのだからそうだとは思いますが...) 芙蓉組 晴彦 (2001. 8) あのお墓,実は江戸時代に作ったものです.げんざい頼朝さんのお墓といわれている「あのお墓」は江戸時代に薩摩藩(さつまはん=今の鹿児島県)の第8代目の藩主,島津重豪(しまづしげひで)によって作られました.重豪さんは鎖国中の日本にあって,外国の学問をどんどん取り入れた,「進んだお殿さま」でした. その島津さんがなんで頼朝さんのお墓を作ったのか?・・・・実をいうと島津家の祖先は源氏で,もしかしたら頼朝さんの子供かも知れないと言われているのです.江戸幕府の将軍「徳川家」は「源氏の子孫」を名乗っていましたが,実はその家系は新田義貞(にったよしさだ=鎌倉を攻めて幕府を滅ぼした源氏の名門)の子孫から「買った」ものなのです.みんな,そのことを知っていたのですが,表だって大きな声では言えませんでした.徳川家が恐いからです. そこで,島津重豪さんは「俺のほうが源氏としちゃあ正しいんだぞ」と言うことを示すために,頼朝さんの住んでいた館の裏山に新しくお墓を作ったのです.だからお墓には丸に十の字の島津家の紋 つけたのです.その前に置かれている線香立てには江戸時代に考えられた源氏の紋である「笹竜胆」(ささりんどう)の紋 がつけられていますが,こちらはもっと新しくなってから置かれたものですね. お墓の形も丸に十の字の紋も明らかに江戸時代に作られたことを物語っています?では本物の頼朝さんのお墓はどこにあるのでしょう????一説によるとお墓の階段の下にある白幡神社だと言われています.明治時代に神社になりましたが,その前は亡くなった頼朝さんのために,奥さんの政子さんによって作られた「法華堂」(ほっけどう)という仏教の建物 があったのです.鎌倉時代の本を見ると「法華堂が最高のお墓」と書いてありますから,多分そこに頼朝さんのお墓があったのだと考えられているのです. ゲンボー先生(2001. 11) 頼朝さんのお墓はなぜ育った場所にないのですか? なぜ 源頼朝のお墓は頼朝が育った場所に作らないのですか?6年 芙蓉組 有里恵 (2001.06. 15) 私の意見。 多分頼朝はいろいろな所に移動していたから。 その亡くなった場所にうめたのかもしれません。 芙蓉組 彩乃(2001. 20) この時代の人のお墓ですが 一般のしょ民は穴を掘ってうめられるだけです.墓石も墓標もありません. 武士は五輪塔(ごりんとう)を供養塔(くようとう)にたてますが,名前や亡くなった年月日など「個人」のことはほとんど書かれません.ですから北条政子さんの「お墓だといわれている」ということになってしまうのです. 位の高い人は「法華堂」(ほっけどう)というお堂をたてます.頼朝さんは亡くなった後に奥さんの政子さんによって,現在の白幡神社(しらはたじんじゃ=頼朝さんのお墓といわれている場所の階段下にあります)のあったところに法華堂をたてたといわれています. しかし,不思議ですね???どうして政子さんや頼家さん,実朝さんというように,家族で一ケ所に葬られなかったのでしょう?それはこの時代の「死者」にたいする感じ方が現在の私達とは大きくちがうところからきているんだと,ゲンボー先生は考えます. 実朝さんは胴体と首が別々の場所に葬られています.はちょっとあとの人によって掘り返されて,骨はそこいらへんに捨てられています.ただし,頭の部分だけは集めて丁寧に葬られています. 災害や病気,あるいは戦争でたくさんの死者が出た昔は,今の人とは「死ぬ」という感覚がちがいます.でんせん病がはやれば,道ばたに死者が転がっている時代です.幕府のおふれにも「みなし児」や「病人」の死体を道に捨てるなというのがあります.法律を出さなければならないほどそういうことがあったということなんですね. 武士にとっては「死んだ土地」が永遠に眠る土地なのだったと思いますが・・・このことはもう少しくわしく研究してみる必要がありますね. みなさんはどう考えますか?ゲンボー先生(2001. 25) 砂鉄について 今日社会科の時間に、渡瀬先生が「砂鉄を昔の人はどうとっていたか・・・・」といっていたので気になったので送ってみました。 知っている人は、どうとっていたか教えてください。 鹿島(2001. 06) 武士達は、砂鉄を使って、刀や、戦いの時に使う道具を作っていた。 農民達は、日頃使う道具等を作っていた。 だったと思いますが・・・。 渋谷(2001. 08) 鎌倉時代には農業が発達しました.当時の絵を見ると川の水面より高い田んぼに水をやるのに「水車」を使ったり,長い水路を作って,それまで原っぱだったところを水田にしていきました.また畑や水田に肥料をまいて収かく量を増やしたのもこの時代です.水車の大切な部分も,水路を掘る道具も,畑や田んぼを耕す道具も,稲や麦をかる道具も,み〜〜〜んな「鉄」でできています. 生活する上で必要な包丁だって,家をつくる時に必要な釘だってぜ〜〜んぶ鉄です.他にはどんなものがあるでしょう,君も考えてみてください. 3月に由比が浜遺跡から出土した鉄器(多分なべの一部)他に包丁も出たそうです. 鎌倉時代はお金が使われるようになり,商品の行き来が盛んになってきた時代でもあるのです.定期市といって決まった数字の日に市場が開かれるようになりました.4のつくに日に開かれれば四日市,5のつく日なら五日市と言う具合にね・・・そうした市は人がたくさん集まるような場所に開かれました. こんなかんじですね,これは現在の岡山県にあった福岡の市のようすです.鉄製品はこんなところで盛んに売られていました.また,「かま」や「すき」や「くわ」などは鍛冶屋(かじや)さんが注文を受けて作りました.中にはお店や工場をもたないで全国を渡り歩いて鉄製品を作る人もいました.これらの人を鋳物師(いもじ)といいます.もちろん,武士のための「刀」や「なぎなた」などの武器を作る刀匠(とうしょう)とよばれる人もいました.鑵倉にはこうした鉄製品を作る人がたくさんいたようです. では,鹿島君のはじめの質問 「砂鉄を昔の人はどうとっていたか・・・・」にもどりましょう.どうやって砂鉄をとるのか?? 答え .島根県の斐伊川(ひいかわ)では,川の水に含まれる砂や砂鉄を水ごと「とい」(あまどいの大きいやつ)を通して,砂と砂鉄の重さの違いを利用して,そこに沈んだ重い砂鉄だけを集めました.この方法を「鉄穴流し」(かんなながし)と呼びます.さて,稲村が崎のような浜辺ではこの方法をどう応用したら砂鉄が沢山とれるか,これは皆さんで考えてみてください. 集めた砂鉄は「たたら」という鉄を溶かす炉の中に入れます.燃料は炭です,まっかに燃えた炭に「ふいご」という空気を送る道具で大量の空気を送ると,中の温度はさらに高くなって,やがて砂鉄が溶けだして底にたまります.これを「けら」と呼び,特に質のよいものを「玉鋼」(たまはがね)といいます.ここまでくるのに数日かかります. 鉄はその使い道によって質が決まります.日用品はそれほど質の高いものは使われませんでしたが,刀は違います.刀は武士にとっての命を守る大切な道具であると同時に,「たましい」でもあったために,特に質のよいものが求められたのです. だって.相手と戦っている時に曲ったり折れちゃったら負けちゃうでしょ.相手にまけると言うことは確実に首をはね落とされるのですから「刀」は大切だということがわかりますね. ゲンボー先生(2001. 8) 滑川について きのうの鎌倉見学で滑川を通りました。 家に帰って見学の手引きを読み直していたら、「見学のポイント」の、滑川のところに,「船でいろいろなものを運ぶこともできたらしい。 」と書いてありました。 例えば、どんなものを運んでいたのですか。 教えて下さい。 渋谷(2001. 06) 君たちが見たように滑川は小さな川です,川底もそれほど深くありません・・ということは大きな船は入れなかったということになります.だいたい日本の川は川底が浅いために,船底も外国の船のように底がUやVの形ではなく平らでした.滑川を行き来していたのもそうした船です. これは滑川よりはるかに大きい宇治川の様子を描いたものです.小さいですね. では,海を渡ってものを運ぶ船はどんなだったのでしょう. 古い絵なので見にくいのですが,上の船よりはるかに大きいですね.これは瀬戸内海を行くお米を運ぶ船です. 何年か前,鎌倉時代の滑川の河口と思われるところから,太い柱が発掘で発見されました.これは海からやってきた大型船をつないでおく柱だと考えられています.当時鎌倉には沢山の人が住んでいて,食べるものや着るもの,それに陶器をはじめとする日用品が大量に運ばれていました.特に遠方から大量にものを輸送するのには船が多く使われていたのです. 滑川の河口まで運ばれたものの大部分は,そこで荷揚げされますが,あるものは小さな船にのせ変えて上流に運ばれたと思われます.また上流(といっても,川底が浅いので中流)からも「何か」が川を利用して運ばれたはずです.さあ,その「何か」ですがなんでしょう?記録がないのでこれ以上は分かりませんが,それは人が運ぶより船で運んだ方が便利なもののはずですね.皆で考えてみてください. ゲンボー先生(2001. 8) 鎌倉時代の海上交通について 鎌倉時代に宋と貿易をしていたので、船が使われたと思います。 主に宋から輸入されていた物は、茶わんなどの焼き物(日本よりはるかに良い焼き物があったので)、本、書き物、宋銭という貨幣(日本ではこのころ貨幣は作られていなかった)などです。 日本から輸出していた者は、絹、麻、綿などの布や生糸、水晶、めのう、漆、銀、銅、などでしょうか?宋だけでなく日本各地で(九州とか?)に商品を運んでいたという事もありますよね!? 6・萩 彩理(2001. 12) 特に蝦夷地(現在の北海道)にも送っていたかと思います。 その頃、北海道はアイヌ人が住んでましたから・・・・・ 藤組 諒(2001. 12) 彩理さん 諒君 ご返事をありがとう.昔の人の旅行やものを運ぶ運送というと,つい,陸上交通のことだけを考えてしまいがちですが,古代より日本は水上交通の発達した国でした.特に鎌倉時代になって関東に大きな町ができ,東北地方の人口が増えると,水上交通はますます発達しました. 以下に水上交通に関係する昔の資料を2〜3紹介します. 文治元年(1185年)3月.頼朝は兵船32そうを平氏と戦うために伊豆の国鯉名と妻良から「はけん」した.船にはお米も沢山つまれていた. 同年二月 駿河(するが=静岡)・上総(かずさ=千葉)のお米を海路で京都に送った. 文治3年8月20日 土佐の国(高知県)から弓100張りと魚や鳥の干物をのせた船が鎌倉についた. 下の地図を見てください.良く見ると分かるように,主に瀬戸内海と日本海側がおおいですね,これは当時西日本が東日本より人口も多く発達していたことをあらわしています. これらの港には各地の荘園から集めた年貢としてのお米や,特産物がつまれたり,おろされたりしました.近江(滋賀県)は内陸なのになんで港があるかというと,大きな琵琶湖と淀川があったからです.また彩理さんや諒君が書いているように,博多や十三湊(とさみなと),隠岐は外国との貿易にも使われた国際港でした. 特に十三湊は最近になって発掘が進み,日本海側でも最大級の港だったことが分かりました.中国の製品も沢山出土しています.またアイヌとの交易も盛んに行われていました.アイヌの遺跡からも中国製品がずいぶん発見されています. 北海道からは昆布やシャケなどの干物が全国に運ばれたようです.「おぼろ昆布」は鎌倉時代に京都で作られたそうですが,元々は北海道産の昆布で作られました. また,12世紀になるとものを運ぶ専用の廻船(かいせん)が活動しはじめました.中には船に乗って諸国を回る「鍛冶屋」(かじや=鉄製品を作る技術者)の集団もあらわれました. このように鎌倉時代は,平安時代よりもさらに水上交通が発達したのです.鎌倉は大都市でしたから,それこそ日本中のものや,中国の珍しい品物が沢山はいってきたと思います. ずいぶん沢山あるでしょう.本当はもっとあるのです.これらの港を線で結ぶと航路が分かりますね. ゲンボー先生(2001. 13) このやりとりは「鎌倉時代の勉強をしよう」にものせます. 鎌倉時代の道について 鎌倉見学の時に先生から「昔のメインドーロは、鶴岡八幡宮の所にはなく、この辺にあったんだよ!」とおっしゃってその横の長く伸びた道がそうだった、と教えてくれましたがどうして真ん中ではなくその横に作ったのですか?教えてください。 後どうして切通しをもっとすくなくしたりしなかったのですか、そしたら逃げにくいという短所はあったけど、すごく守りやすかったのにどうしてですか? 藤組 真下(2001. 12) 頼朝が鎌倉に幕府を開いたころ、鎌倉をとおるメイン道路は、2本ありました。 1本は、極楽寺(ごくらくじ)から由比ガ浜にそって逗子(ずし)方面にいく浜の道(現在の311号線)です。 もう1本は、由比ガ浜から北におれて、小町大路(こまちおおじ)をぬけて大倉御所(おおくらごしょ)の前をとおり、六浦(むつうら)にいく六浦道(むつうらみち、現在の204号線・金沢街道)です。 頼朝のころは、小町大路がメイン・ストリートでした。 小町大路には、比企(ひき)氏や北条(ほうじょう)氏の館(やかた・家)がありました。 現在、比企氏の館のあとは妙本寺(みようほんじ)、北条氏の館のあとは宝戒寺(ほうかいじ)となっています。 日蓮(にちれん)が辻説法(つじせっぽう)をしたのも、この小町大路でした。 辻説法とは、人がたくさん通るところで自分の教えをみんなに話すことですから、人通りが多かったのでしょう。 この小町大路と六浦道に平行して滑川(なめりかわ)が流れ、船がたくさんの荷物をはこんでいました。 このようなことから、頼朝のころは小町大路がメイン道路だったことがわかります。 八幡宮から由比ガ浜にむかう若宮大路(わかみやおおじ)は、13世紀の初めになって鶴岡八幡宮が大きくなり、また御所が若宮大路に移ってきてから、鎌倉のメインストリートになりました。 でも、若宮大路は京都の朱雀大路(すざくおおじ)とおなじような「特別な道」で、だれでもが気楽に通れる道路ではありませんでした。 さらに、鎌倉の人口がふえて、今の鎌倉市役所から寿福寺(じゅふくじ、政子と実朝の墓があります)をとおり、八幡宮にでる今小路が、もうひとつのメイン道路となっていきました。 鎌倉幕府から室町幕府になっても、鎌倉には関東地方をおさめる幕府の役所がおかれています。 なぜ鎌倉に幕府がおかれたのか。 そのころの交通路も考えてみましょう。 ゲンボー先生(2001. 14) 鎌倉街道と航路 (中期〜後期) 緑色 が主な街道で 青 が船の航路です. 頼朝が鎌倉に幕府を開いたころ、鎌倉をとおる道は2本あったことを説明しましたね。 この道の鎌倉への 出入り口は、はじめのころは極楽寺切通、名越(なごえ)切通、朝比奈(あさひな)切通の3か所しかありませんでした。 その後は、北条氏の領地だった山内の荘と鎌倉を結ぶ巨福呂坂(こぶくろざか)をつくったぐらいで、鎌倉を守るためにたくさんの切通はつくらないようにしています。 大仏坂切通や釈迦堂(しゃかどう)切通,化粧坂(けわいざか)などがつくられたのは、もっと後のことです。 そうすると、巨福呂坂を入れても鎌倉への出入り口は4か所しかありません。 新田義貞の軍は、極楽寺切通から鎌倉をせめています。 それが成功しなかったので、引き潮のとき、稲村ガ崎から海岸ぞいに鎌倉をせめて、やっと勝ったのです。 ですから、4つの出入り口を少ないとみるか、多いとみるのか、君たちはどう思いますか?考えてみてください。 ゲンボー先生(2001. 14) 幕府の仕組みについて こんにちは!またおくってしまいました。 聞きたい事があります!それは、鎌倉幕府の政治のしくみの事をおしえて下さい! 小学部 萩組 祐子(2001. 18) なぜ鎌倉に幕府を開いたの? 社会の時間に本を見ながら「なぜ鎌倉に幕府をひらいたか」というのを調べたんですが、僕はあまり社会に詳しくないので本にかいてある「なぜ鎌倉に幕府をひらいたか」についての理由が少し難しかったので、だれかもう少しかんたんな説明を教えて下さい。 6年藤組 貴士 (2001. 18) 具体的に、どの記述のどの部分がわからないのかを明らかにしないと、答えるのが難しいです。 それを書いて下さい。 渡瀬先生(2001. 19) 「鎌倉は東国と京都をむすぶ交通上、重要な土地だったから」についてなんで重要だったのかです。 あと、本に書いてあった「平氏の失敗」という言葉がのっていたんですが、平氏の失敗とはなんですか?「関東には源氏とのつながりの深い武士が多かった」という文章がのっていたんですが、なぜ関東に多かったのかと疑問に思いました。 これらの事について教えて下さい。 6年藤組 貴士 (2001. 藤組 諒 (2001. 19) 諒君、どうもありがとう。 貴士君、これでわかりましたか。 平氏は藤原氏とかわらないような貴族的な生活をしましたよね。 そのために力が弱まったことを失敗と言っているのでしょう。 また、京都への交通路を確保しておかなければならなかったのはなぜでしょう。 それを考えると、京都から距離をおきながら、でも何かあった時にすぐに京都へ出られるような場所である必要があったのだと思います。 渡瀬先生(2001. 19) もうひとつ.頼朝のお父さんである義朝(よしとも)が関係した戦争(保元の乱/平時の乱)のときに,義朝の家来として戦争に参加した武士が多かったのです.相模(さがみ=神奈川県)最大の豪族「三浦氏」も上総(上総=千葉県)最大の豪族「上総氏」もそうした豪族です.面白いことに北条氏も含めてそうした関東の有力豪族のほとんどは「平氏」の親せきだったのですよ. 関東地方の多くの豪族達は,平氏とか源氏とかに関係なく頼朝さんを支持したのです.それは,なぜでしょう? ゲンボー先生(2001. 22) 諒君ありがとうございました.1番の問題に役立てようとおもいます。 6年藤組 貴士 (2001. 19) 平氏は武士でありながら,それまでの藤原氏と同じように娘を天皇の后(きさき=奥さん)にして,うまれた子供を天皇にしました,この子供は安徳天皇といい,わずか二歳で天皇になりました.二歳の天皇が政治を行うことなんかできっこありません.では誰が政治を行ったのでしょう・・・・・そうです,平清盛(たいらのきよもり)です.清盛のこうしたやり方は藤原氏の摂関政治(せっかんせいじ)とまったくかわりません.つまり平家は朝廷の中で,貴族とかわらない政治を行おうとしたのです. 萩組 祐子 さんの質問の答えにある を読めば分かるように,頼朝は「関東の武士団」をまとめて鎌倉に幕府を開きました.つまり,出発からして大きくちがっているのです.頼朝の幕府は,それまで不安定だった関東の武士の生活を安定させるという仕組みでしたね. ここで,考えてください. 1.平氏は他の武士の生活が良くなることを考えていたでしょうか? 2.頼朝が京都に幕府を開いたら関東の武士にとってプラスになるかマイナスになるか?です. ゲンボー先生(2001. 21) 武器や戦争のしかたについて 戦いの時に、互いにどのような武器を使いどのような鎧兜を付けて戦をしたんですか?。 教えて下さい。 お願いします.kenya 2001. 24 武器やよろいを調べると「戦争のやりかた」がわかります.戦争のやり方がわかると武士と将軍との関係がわかるのです・・・では・・・ これが,戦争する時の姿と武器です.「よろい」は手足や胴体を守るものです.「かぶと」は頭を守ります.外から見ると布やヒモでできているように見えますが,大切な部分は鹿の皮や鉄で作られています.「はでな色」をしているのは,自分のはたらきが目立つからです.それは良く働いた者ほど恩賞がもらえたからです.恩賞とは敵からうばった領地のことです. 武器の一番は「弓矢」です.鎌倉時代の武士がはげむこととしての第一を「弓馬の道」(きゅうばのみち)といいました.馬を自由自在に乗りこなすことと,弓がうまくなることです.いまでも「流鏑馬」(やぶさめ)といって,馬にのりながら次々に的をうっていく行事が各地の残っています.(テレビで見たことがあるでしょう?)できるだけ早く矢をつがえて,正確に的に当てていくことが大切なのです.これがちゃんとできないと戦争で「死ぬ」ことになります. 武器の第二番目は「太刀」(たち)です.鎌倉時代の刀は戦国時代や江戸時代の刀とちがって,細身でそっています.これは馬にのりながら片手で相手を刺し殺すための形なのです. 馬から降りて戦う時にはまず,太刀で切りあいますが,最後は相撲のように相手をたおして組み伏せて「よろいどおし」(腰刀=「こしがたな」ともいいます)で相手の首を切ったり心臓をさして殺します. 相手を殺したら必ず「首」を切り落とします.その首が証拠になるからです.もちろん戦う前に互いに名乗っていますから相手の名前も知っているわけですね.敵のくらいが高ければ高いほど恩賞も良かったのです. さて,家来は何を持っていたかといいますと「なぎなた」でした.なぎなたで馬を切ったり馬にのっている武士を落としました.そのあとは主人どうしの一騎討ちです.鎌倉時代の武士は位が高ければ高いほど一対一で戦いました.その間家来達は応援したのです.・・・おもしろいでしょう・・日本の武士が集団で戦うようになったのは戦国時代になってからのことなんです. 馬にのっているのが位の高い武士,けらいは「なぎなた」を持っています.しかも「はだし」です. では,最後に弓矢のいりょく(いりょく)を見せましょう! バケツや杉板3枚は,ほら,このとおり・・・・軽く貫通します. フライパンや厚さ1ミリの鉄板だとやじりの先が出る程度・・よろいとおなじです. 元軍はなぜ戦いの時に「どら」や「かね」を鳴らしたのですか? 質問です。 元との、戦いについてです。 元軍は、どら、や、太鼓を、ならしながら、大勢でせめると、資料に書いてありましたが、なぜ、『どらや、太鼓を、ならしながら、せめるのを、得意とするのですか?私は、太鼓とかの音で、自分達を、(元軍)勇気ずけて、いるのかな、と、おもいました。 他にも、理由は、あるのですか? みちこ(2001. 26) 面白い質問ですね.よくそのことに気がつきましたね・・これは,日本の武士の戦いかたと元軍の闘いかたの差からくるものなのです.日本軍は司令官はいても「あっち」「こっち」くらいの指示は出しますが細かいことはいいません.戦いはあくまでも御家人一人一人が家来をつれて行いました.常に一騎討ちなのです. ところが元軍は集団戦法です,「あっちから攻めてきたから,こっちへ回れ」とか「右」「左」「退却」と,細かい指示を出していました.しかし,戦いの最中では声が届きませんね.そこで「どら」や「かね」を使ったのです. 元軍との戦いのはじめ,日本の武士は「やあやあ,我こそは〜」と名乗りをあげました.その間にうたれた武士が相当いるのです.ふつう戦いの前に行う「鏑矢」(かぶらや=音の出る矢.ブーンと音がする)の儀式も元軍の笑いの種でした.日本では鏑矢をうって互いに矢の届くところまで寄ってから,「矢あわせ」(矢を互いにうち合う)を行いました.その後,騎馬がつっこんで,互いに名乗りあいながら一騎討ちをするのです. なぜでしょうか?どうしてそんな「のんき」な戦いかたをしたのでしょう?これってじつは大切なことなんです. ゲンボー先生(2001. 26) 誰かご返事ください 質問です。 「ハイトップ小学6年社会」の96ページに、「武士に消費生活をおくらせないで、兵農一致させるためわざとせまい鎌倉をえらびました。 」と書いてあります。 消費生活をおくらせないため、農業をさせるのはわかるけど、なんで、せまい鎌倉をえらんだのですか?おしえてください。 玉川学園小学部 芙蓉 愛(2001. 13) 鎌倉時代の後半になるとそれまで自給自足(じきゅうじそく=自分達で使うもの(食べるものも)は自分達でつくること)だった多くの武士達が「おかね」でものを買うようになりました.これが消費生活ということですね.農地から得られる収入は決まっているのにお金お使うことが多くなれば,とうぜん生活が苦しくなります.そのうえ多くの武士が子供達に領地を分け与えたために,一家族あたりの収入がさらに減ってしまい,借金に苦しむ武士もたくさん出てきました.これは幕府にとって大変なことです.なぜなら幕府を支えていたのが御家人だったからです. しかし! これは鎌倉時代の後半で経済が発達してからの話です.頼朝が鎌倉に幕府を開いたころは(武士=農民)だったのです.農民といっても御家人になる人達は広い領地を持った豪族です.豪族は自分の領地内に屋敷(館=たち,といいます)をつくり,自らの農地を使用人を使って耕していました.(御家人=豪族=武士=農民)というわけですね.ですからわざわざ鎌倉に住む武士はいませんでしたし,その必要もなかったわけです.鎌倉に住んでいた御家人は,北条氏や三浦氏,和田氏,比企氏といった直接政治を行う有力な御家人だけです.こうした有力御家人だって,それぞれ自分の領地があってそこに本来の家があったのです.ですから「武士に消費生活をおくらせないで、兵農一致させるためわざとせまい鎌倉をえらびました。 」というのは結果としてそうはなっても,理由にはならないと思います.皆さんはどう思いますか? また 「せまい」 というのは理由になるでしょうか?なぜなら,三方が山,一方が海,しかも「せまい」というところは日本中にたくさんあるからです.なぜ鎌倉でなくてはならなかったのかを考えることが大切だと思います. 鎌倉は御先祖様の八幡太郎義家から頼朝の父親である義朝まで代々源氏の土地でした.頼朝は関東の武士の支持をえて,鎌倉に幕府をつくったわけで,なぜ関東の武士が頼朝を支持したのかは をよんでください. ゲンボー先生(2001. 22) こんにちは、はじめまして私の名前は、祐子です。 私達は今、(なぜ頼朝は鎌倉に幕府を開いたのか)の事を調べています。 それで、一つ気になった事があります。 質問です!鎌倉の地形は、狭いから攻めれても、もうすぐにお終まい(だから攻められにくい、守りやすい)という事はほんとうですか?教えて下さい! 6年萩組 祐子(2001. 14) 祐子さんへ.愛さんに書いたのと同じですからあなたもこのことを考えてみてください・・・ ゲンボー先生(2001. 22) はじめまして。 小学部6年萩組の由佳です。 鎌倉の事についての質問ですが私は今、社会の時間『ハイトップ小学6年生』という参考書で「源頼朝はなぜ鎌倉に幕府を開いたか」という事を調べています。 その条件の中に頼朝は地形が良く狭い土地を選んだと書いてありました。 どうして頼朝は広い土地ではなく狭い土地を選んだのかが疑問です。 私なら多分もっと広い土地を選ぶと思います。 なぜなら戦で成功した御家人などに土地を与えたりすればもっと家来は、働いてくれると思ったからです。 答を書いていただけると幸いです宜しくお願いします。 (2001. 14) 由佳さんへ.祐子さん,愛さんと同じですから,あなたも愛さんのところをよんで考えてみてください. もう一つ. 広い土地を選ぶといっても「どこ」にすればいいでしょうか? 考えてみてください. 新しい(土地=農地)をもらう時はどんな時でしたか?その土地は元々は誰のものでしたか? ゲンボー先生(2001. 22) 頼朝は、なぜ三方が山一方が海の鎌倉に幕府をつくったのでしょうか?北海道や東北などは鎌倉より朝廷から離れてもいたしまた土地条件も良いところであったのでそっちの方で作った方が良かったのではなかったのでしょうか。 やはり文化などが問題でしょうか?それでも鉄などは運べば良いのではないのでしょうか? 玉川学園小学部 芙蓉 健(200106. 14) 愛さん.祐子さん.由佳さんの質問と関係していますね,まず愛さんへの説明をよんで君も考えてください. また鎌倉以外のところへなぜ幕府を作らなかったのか?ということで考えてみてください . ゲンボー先生(2001. 22) 健君の質問に対してですが、北海道などは冬とても寒いので、米が育たなかったのではないとおもいます。 それにかえ鎌倉は、気温も穏やかで、米がよく育ったし、頼朝のお父さんや、弟が住んでいたので、鎌倉に幕府を開いたのではないでしょうか? 藤組 真下 鎌倉には鶴岡八幡宮をはじめとして,幕府や問注所といった役所,それに北条氏や三浦氏,比企氏や和田氏といった有力な御家人の建物がいっぱい建っていました.当時のメインストリートである小町大路にはそうした豪族の館や商店がならんでいました. 鎌倉時代の鎌倉には最大で24万人が住んでいたと考えられています.今の鎌倉市の人口は全体で約16万7千人,鎌倉の町だけでは45534人(今日現在)しか住んでいません.つまり,現在よりも6〜7倍も沢山の人が住み,家がたくさん建っていたというわけです. そんな鎌倉に田んぼがあったでしょうか?お米を作っていたでしょうか?考えてみてください. ゲンボー先生(2001. 22) 僕の想像では、鎌倉には水田などはなかったと思います。 米なら全国の御家人から集められると思います。 24) 諒君 意見をありがとう.では御家人からどのくらいお米をあつめたのでしょうか?また,頼朝さん家族の収入はどこから得ていたのでしょうか?調べられますか? これが分かると「鎌倉幕府の仕組みの基本」がわっかちゃうのです・・・・皆さんも調べて分かったらメールをください.ゲンボー先生(2001. 25) 質問ですが、源氏はなぜ三代だけで滅んでしまったのでしょうか?参考書では基本的な事 しか載っていませんでした。 でも私はもっとほかに理由があると思います。 他の理由があれば教えて下さい.六年萩組の由佳(2001. 25) 注意 新しいやり取りを見る時は「更新」や「再読み込み」ボタンを押してください..

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