トンプソン サブ マシンガン。 MP5サブマシンガン

短機関銃

トンプソン サブ マシンガン

戦時中に生産されたトンプソン M1928A1 種類 原開発国 運用史 配備期間 - () 配備先 はじめ各国 関連戦争・紛争• 8lb(4. 9kg)空の場合(M1928A1) 10. 6lb(4. 8kg)空の場合(M1A1) 全長 33. 5 in 267 ミリメートル 銃身にオプションでCutts Compensatorが付く 12 in 305 ミリメートル (11. トムソン銃、 シカゴ・タイプライターといった通称を持つことで知られるが、本項では トミーガンに統一して表記する。 「サブマシンガン」という言葉を初めて用いた製品としても知られる。 トミーガンは、時代のアメリカ合衆国内においてとの双方に用いられたことで有名になった。 から累計170万挺以上が生産され、今日でも民生用モデルの製造が続けられている。 頑丈な構造を持ち、耐久性と信頼性に優れ、5kg近い重量のおかげでフルオート射撃を制御しやすい特性から、世界各国で広く用いられた。 構造 [ ] トミーガンを特徴付けているのは、主要部品の多くが角を丸めた直角で構成されている点で、円形を基本に構成される事が多かったの製品とは一線を画したデザインとなっている。 これはトミーガンは鋼鉄ブロックからの切削加工で製造され、切削作業の大部分が平加工だけで行えるよう考慮したためである。 この結果、大規模な専用生産施設を持たなくても、外注工場の利用が容易で効率よく製作できるメリットがあり、やなど工業水準の低い諸国でも容易にコピー生産が可能となった。 トミーガンは上下2つのレシーバ(機関部)によって構成されており、は上部レシーバ先端にネジで固定され、が接触する部分はを装着するため大きく切り欠かれた形状となっているほか、内部はフライス加工によって大きくえぐられ、この空洞内をボルトが前後する。 弾倉は上部まで露出しているため、野戦では泥などが付着しやすいが、逆に拭い去る事も簡単な構造となっている。 箱型弾倉を装填する際には下側から、ドラム型弾倉を装填する際には横からスライドさせて装着し、どちらもレール溝によって支持されている。 (後述)では横溝が省略されてドラム型弾倉が使用できないが、上部レシーバの切り欠きはそのままなので、後から横溝を刻むだけで使用できるようになる。 下部レシーバは複雑な形状ながら、機能的には上部レシーバの下部を塞ぎ、トリガーメカを保持するだけの単純な構造である。 上下のレシーバはレール溝によって嵌合し、分解する際に上部レシーバ後端にあるストッパを押し込んで下部レシーバを引き抜く形で分離できる。 しかし中には全軍への普及を図るべく、やなどに代表される、より一層と生産性が高いが要求され、その結果としてプレス加工主体のの開発が行われた。 また、携行性をあまり重視しない長く重い銃ではあったが、ちゃんと構えて保持すればその重さが発砲の反動を相殺し、良好な命中精度を発揮した。 歴史 [ ] M1921を手にする設計者ジョン・トンプソン 最中の、元(後に復帰しとして再度退役する)は「塹壕箒」(trench broom)と仮称される自動式の設計に着手し、 ()社を創業した。 元々の「塹壕箒」というアイデアは、すなわち「1人で持ち運べる機関銃」(a one-man, hand held machine gun. )というものであった。 当時のは大型かつ重量級の装備であり、(自動小銃 )といえどもが一人で操作できる存在ではなく、機械的な信頼性も低かった。 そして機関銃は突撃する兵士に随伴して後方から援護射撃を加える事すら難しかった。 しかし、塹壕戦の打開に必要とされていたのは、機関銃で強固に防衛された敵塹壕に対する肉薄および突破であり、これに用いる銃器には兵士が携帯できるサイズ・重量であることやフルオート射撃能力が求められた。 に参戦したでも、塹壕の突破を目的として軍用や秘密兵器であるを量産・装備していた。 また、同時期の米国ではによって(BAR)の開発が進められていたほか、同時期にはでも塹壕陣地の突破を任務とするのためになる小型機関銃の開発が進められていた。 、「塹壕箒」のアイデアに沿った パースエーダー(Persuader, 「説得者」、「言うことを聞かせるもの」の意) と呼ばれる試作銃が設計された。 設計にはセオドア・エイコフ(Theodore Eickhoff)やオスカー・ペイン(Oscar Payne)らも携わった。 ブリッシュ・ロック方式を採用したM1928A1のボルト。 H字型の部品が真鍮製ロッキング・ピース。 ボルトは鋼鉄製で、高圧下における異金属同士に強い静止摩擦力が働くという仮説に基づき、これによってボルトの後退を遅延できるとされた。 この試作銃はヨーロッパへ出荷するべくニューヨークに送られたものの、ニューヨークに到着した11月11日にはちょうどが結ばれて世界大戦が終結していた。 パースエーダーは式だったが、機関部が砂塵や泥汚れに弱いという欠点があった。 そこで、これをに改めたタイプがに試作され、 アナイアレーター(Annihilator, 「絶滅者」、「敵を打ち負かすもの」の意)と名付けられた。 両製品は、ともにと呼ばれる遅延式ブローバック閉鎖機構を持ち、後のトミーガンの基本構成要素を備えていた。 M1919 [ ] 最初の『』 アナイアレーターが完成する前年には終結していたが、トンプソンは念願の製品化に着手した。 このモデルは後年M1919と呼ばれているが、発売時の製品名は単に トンプソン・サブマシンガン(Thompson submachine gun)とされており、小型機関銃という意味合いで造語された サブマシンガン(Submachine gun)という言葉が初めて使用された製品である。 この言葉は後に「弾を使用するフルオート」の総称として世界的に使用されるようになった。 また、宣伝上の理由から「サブマシンガン」という馴染みのない新しい用語よりも大衆の興味を引く製品名が必要とされた為、 トミーガン(Tommy Gun)という愛称が考案された。 トミーガンという語はにて商標として登録され、いくつかの銃への刻印にも使われた。 製造は精密機器メーカーの社が担当した。 民生用のスポーツ銃として再設計されたこともあり、軍や警察からの注文はごく僅かであった。 初頭、政府によるトミーガンのテストが決定する。 1920年4月27日ににて実施された予備性能試験においては、2,000発の射撃中に動作不良は1度のみという好成績を残した。 この数ヶ月後には海兵隊の ()で試験が行われ、同様に好成績を残している。 M1921 [ ] 「強盗が一番恐れる銃」と記された1920年代の広告 民間市場での成功と知名度の獲得 M1921はトミーガンとして最初に量産が行われたモデルである。 銃身覆い(バレルジャケット)が廃止された点がM1919と比較した時の外見上の特徴で、以後のモデルはほとんどM1921のデザインを継承している。 富裕層向けの高級玩具としての色彩が強い製品であり、木部は美しく仕上げられ、各部品は高精度な切削加工で製造されていた。 には カッツ・コンペンセイター(Cutts Compensator)と呼ばれるの一種が発明され、フルオート射撃時のコントロールはより安定した。 リチャード・W・カッツ(Richard W. Cutts)が考案し、オート・オードナンス社に提案した。 射撃時にガスの一部を上方へと逃がすことで、銃口の跳ね上がりを抑制できるとされ、これに感銘を受けた開発者トンプソンは、1927年にカッツとロイヤリティ契約を結んでいる。 区別のため、以後はコンペンセイター付きのモデルにはAC、無しのモデルにはAという文字が製品名の末尾に加えられた。 別売りのオプションとしての価格は25ドルだった。 オート・オードナンス社が想定したよりも売れ行きは緩やかで、この時コルト社が製造したトミーガンの在庫は第二次世界大戦直前まで残されていた。 ベルギーとイギリスでは軍用銃としてテストが行われたが、採用には至らなかった。 陸軍および海兵隊ではM1921の性能試験が行われ、良好な結果を残していたものの、第一次世界大戦後の軍縮の中で制式採用は見送られることとなる。 売れ行きは緩やかなものであったが、商業的には成功を収めた。 なお、最初にM1921の大口顧客となったのは、のアイルランド系移民の支持者達と考えられており、製造番号が1,000番未満の初期生産品が英領で発見されている。 これらのM1921は Irish Swordと呼ばれ、後のでは主に反条約派によって使用された。 制式採用ではなかったものの、海兵隊では数百丁のM1921を購入して方面での作戦に投入したほか、郵便強盗対策に従事する海兵隊員によっても使用された。 海軍でもにおける ()などに従事する船舶の船員用火器として購入している。 の ()でも武装職員向けの装備として購入している。 アメリカにおいて、郵便監察局はトミーガンを本格的に導入した最初の法執行機関である。 トミーガンがなどの間で普及して「犯罪者の武器」と認識され始めたのもこの時期である。 (FBI)や各地方の治安当局でも、こうした犯罪者に対抗するべくトミーガンの配備を進めた。 当時のM1921は民間人(この中にはトミーガンを有名にした達も含まれていた)を主な購入者としており、に規制されるまで購入に何らの制約も無く通信販売でも購入できたため、における交戦相手の()も、海兵隊と同様にM1921を装備していた。 M1923 [ ] 強装の試行 トンプソンが想定していた小型のコンセプトは、弾を使用するものであり、M1921に使用された(480J)のパワーと、有効射程が50ヤードしかなかったM1921の射程は、軍用として力不足なものだった。 しかし、の閉鎖機構は、その主要部品に真鍮製のロッキング・ピースを用いており、強烈な腔圧を発生させる当時のフルサイズ小銃弾には不向きな事が判明していたため、. 45ACP弾の長を3mm延長して威力を増大した (1,590J)が新規に開発され、これを用いるM1923が試作された。 45レミントン・トンプソン弾は. 45ACP弾の3倍ものエネルギーを持ち、後に開発されたに近いパワーを有し、至近距離で杉板15枚、300ヤードで8枚を貫通したとされる。. 45レミントン・トンプソン弾はテストの結果. 45ACP弾よりも精度が悪い事が判明し、市販されずに終わった。 銃剣用に着剣装置が付けられたタイプや、を付けたタイプも試作されて向けのプレゼンが行われたが、既にが採用されていた事もあり、採用には至らなかった。 M1927 [ ] セミオート・バージョン M1921は当時数少ないフルオートだったため、慣れない射手が引き鉄を引き続けてが跳ね上がり、制御不能となって意図せぬ方向を撃ってしまう事故が発生する事があった。 このためM1921からフルオート射撃の機能を削除し、セミオート・とした製品が要望され、M1927が製造された。 M1927はM1921を改造して製造されたため、M1921の刻印である"Thompson Submachine Gun"を一部削り取り、"Thompson Semi-Automatic Carbine"と改めて打刻し直されている。 M1927はM1921とほとんど同じ製品であるため、簡単にフルオート射撃の機能を復活させる事ができたが、の連邦法改正によるフルオート火器の所持規制以降も民間人が無許可で購入できるトミーガンとして製造され続けた。 ただし、以降、撃発火器は、フルオートへの改造を前提とした火器と見なされるようになったため、現在では所持制限の対象となっている。 また、トミーガン用の100連はM1927と同時に販売されるようになった。 M1928 [ ] トンプソンM1928を持つイギリス兵() 正規軍に採用された軍用モデル 1928年、ではトミーガンの採用を計画するにあたり、M1921に何点かの改良を加えるように求めた。 このモデルが海軍M1928(U. Navy, Model of 1928)として採用された。 オート・オードナンス社では、合計して500丁(うち340丁は以前販売したM1921)のトミーガンを海軍および海兵隊に納入した。 M1928はかつてコルト社が製造したM1921を改修する形で製造された。 「M1921」の刻印の末尾の「1」は上から「8」と打ち直されており、発射速度が落とされ、水平フォアグリップとカッツ・コンペンセイターが取り付けられている点を除けば、市販されていた製品と同等のものだった。 オート・オードナンス社のカタログには、ネイビー・モデル(Navy Model)の商品名で掲載されていた。 一方、陸軍では依然としてトミーガンに強い関心を示していなかった。 1920年代後半のアメリカ陸軍において、トミーガンは騎兵科の偵察車両や戦車の乗員向けに限定調達されているに過ぎなかった。 当時、陸軍では騎兵・歩兵共用銃としての新型自動小銃(後の)の開発が進められており、それを待たずにトミーガンを採用する必要性を認めていなかったのである。 の勃発後、M1928は・・に採用された。 フランス軍は3,750挺のM1928と3,000万発のを発注した。 イギリス軍ではなどがこれを使用した。 M1928A1 [ ] 米軍向け改良モデル の採用後、陸軍騎兵科ではM1ガーランドよりも軽量かつ高火力で車両乗員向け装備に相応しいとしてトミーガンの再評価が成された。 1938年9月、陸軍ではトミーガンの調達区分を限定調達から標準調達へ切り替え、M1928A1(Submachine Gun, Caliber. 45, Model of 1928A1)の制式名称を与えた。 1939年6月、陸軍はオート・オードナンス社とトミーガン950丁の調達契約を結んだ。 この頃にはM1921としてコルト社が製造したトミーガンが枯渇し、 ()社による新規ライセンス生産が始まった。 また、アメリカ政府への供給に加えて諸外国での需要も増加しつつあった為、オート・オードナンス社はいくつかの自社工場を設置している。 陸軍および海兵隊は新型自動小銃が短機関銃を置き換えることを想定して調達数を調整していたが、を受けへの参戦が決定するとM1928A1の需要は一層と膨らみ、調達数は増加していった。 実戦の中でその有用性が証明されたこともあり、M1カービンが短機関銃を完全に更新することはなかった。 M1928A1はアメリカ軍が採用したほか、の元でへ広く供給された。 1940年、サベージ・アームズにて軽量化と生産効率の向上を目的とする製レシーバーの実験が行われた。 この際に試作されたアルミ・トミーガンでは木製部品もが製造したテナイト(Tenite, 系)製に改められていた。 しかし、アルミ製レシーバの強度不足を解決することができず、最終的にプロジェクトは放棄された。 その後、M1の採用を受け、1942年4月25日からM1928A1は「準制式装備」(Limited Standard)と位置づけられた。 調達自体は同年秋に終了し、正式な退役手続きは1944年3月16日に行われた。 、での撮影 戦時省力生産モデル トミーガンはを前提としたデザインであり、を活用した大量生産には再設計が必要だったが、大幅な構造の変更はなされないまま、省力化と操作性向上のために幾つかの改良が施されたM1型がに採用され(タイプの鋼板プレス製も同年に採用された)、末から ()社で大量生産が開始された。 M1に採用された簡易化は、• 構造が複雑で故障も多かったを廃止し、ボルトの重量を増やして純粋なに変更された。 ブリッシュ・ロックは、設計の前提となる仮説に誤りがあったため、トミーガンは以前から実質的にシンプル・ブローバック方式の銃として動作していた。 銃身に装着されていたや放熱フィンが廃止された。 の固定法が直接ネジで止める方式に変更された。 装着用の横スリット溝が廃止された。 コッキングハンドルを上面から右側面にずらした。 しかし、当初は供給が追いつかなかったため、など他ので不足分を間に合わせていた。 同年中には簡素化が更に進められて撃針をボルトに固定し、照門(リアサイト)の側面に三角形の保護板を付けたM1A1が採用された。 旧式化 [ ] トミーガンは第二次世界大戦勃発の時点で連合国軍が配備しうる唯一の有力な短機関銃と見なされていたが、一方で原設計が1919年ということもあり、既に旧式化しつつあった。 このため、アメリカ政府ではより近代的かつ軽量で生産効率も高い新型短機関銃による更新を計画し、各国から広く新型短機関銃を募集した。 1939年、 ()技師が手がけたM35短機関銃が審査を受けた。 M35はトミーガンと類似したシルエットを備えていたが、いくつかの点で劣ると見なされ採用されなかった。 続いて審査を受けた製品としては、、、、製半自動カービン、などがあった。 この時にはステン Mk. 2が最も高い評価を受けたものの、結局更新は見送られた。 1942年、はステン Mk. 3を審査した後に再び採用を見送ったが、この際にステンを参考とした安価かつ生産効率の高い短機関銃を設計することが決定した。 設計担当に選ばれたのはかつてM35を提案し、当時はを手がけていたハイドであった。 同年12月24日、新型短機関銃は制式名称(United States Submachine Gun, Cal. 45, M3)として採用され、以後トミーガンの生産優先順位は低下した。 しかし、その後も製造上の都合から1944年2月までトミーガンの販売は続けられた。 2月には最終注文分として2,091丁のトミーガンが陸軍に引き渡された。 第二次世界大戦後 [ ] 大戦末期、オート・オードナンス社は当時の親会社マグワイア・インダストリーズ(Maguire Industries)に同社の銃器部門として吸収され、まもなくして需要が増加しつつあったラジオやレコードプレーヤーなどの製造部門に改組された。 これに伴い銃器関連の生産設備は全て解体された。 1949年にはキルゴア製作所(Kilgore Manufacturing Co. )がエジプト向けのトミーガン製造を行うために旧オート・オードナンス社の資材を購入したものの、結局エジプト当局との契約には至らなかった。 その後、オート・オードナンス社の資材とトミーガンの権利は複数の投資家や企業の間でやり取りされることとなった。 1970年初頭にようやくオート・オードナンス社が再建され、官給用モデルの限定的製造および民生用セミオートモデルの製造が始まった。 この新型セミオートモデルは従来のモデルの部品を用いたフルオート改造を封じるため、レシーバーが再設計されている。 また、銃身も法規制に基づいた比較的長いものが取り付けられている。 1957年、アメリカ軍は準制式装備たるトミーガンの完全な退役を宣言した。 しかし、1961年に大統領がへの介入を決定すると、予備装備として残されていたトミーガンが軍事顧問団の装備や(南ベトナム軍)への援助として使用されることになった。 当時海兵隊員として従軍していたは、銃床を取り外したトミーガンを頻繁に目撃したとしている。 ()では、戦闘後に遺棄されていたトミーガンを多くの海兵隊員が入手し、またダイ自身もしばらく使用していたという。 ダイは弾薬の消費量や重量、引き金の重さを欠点としつつも、近距離戦闘では非常に効果的な火器であると評価している。 そのほか、ヘリ乗員が銃床を外したトミーガンを南ベトナム兵から譲り受け、バグアウト・ガン(bug-out gun, 機体からの脱出時に持ち出す非常用火器)として使用したり、休暇で市街地に入る際の自衛用火器として用いた例がある。 一方、重量以外にも威力不足や整備性の問題、弾倉の入手が困難などの問題点から、他の銃器ほどに広くは使用されなかったとも言われている。 普及 [ ] アメリカ [ ] アメリカにおいては軍用短機関銃としての運用に加え、の恩恵で急成長を遂げていたによって抗争などで使用されたことがトミーガンの知名度を飛躍的に高めた。 トミーガンを愛用した著名なマフィアとしては、、、などが知られている。 の通称も、彼が愛用したトミーガンに因んだものである。 開発者トンプソンの意図に反した形で普及する中、トミーガンには様々なニックネームが与えられた。 その中でも特に有名な「シカゴ・タイプライター」(Chicago Typewriter)という通称は、トミーガンをフルオートで射撃する際、銃声の中に混じる特徴的な「カタカタカタッ」という動作音をタイプライターに例えたものである。 間の抗争事件は当時のマスコミの格好の題材であり、こうした事件が""的に映像化されたハリウッド製作のギャング映画によって、トミーガンの存在は マシンガンの呼称とともに世界中に知れ渡り、トミーガン=という認識が広く定着するなど、実態以上に強い印象をもって記憶されており、寿司桶のようなを装着したトミーガンの姿は ()を演出した歴史上重要なアイテムとして認識されている。 一方、これらの犯罪者らと対峙した法執行機関でもトミーガンは使用された。 最初に本格的な配備を行ったのは郵便公社郵便監察局である。 (FBI)におけるトミーガン採用のきっかけは、1933年に起こった ()として知られる大規模な銃撃戦であった。 この直後、捜査局(BOI, FBIの前身)の長官であるはエージェントの重武装化の検討を行わせ、この中でいくつかの拳銃や散弾銃、小銃と共にトミーガンの調達が決定した。 その後、トミーガンは長らくFBIの制式短機関銃として運用されたが、1971年には本部庁舎および各地方支局の見学ツアーにおけるデモンストレーション用とされた少数を除き、ほとんどが廃棄された。 この際に後継装備の選定が行われなかった為、FBIは短機関銃不足に陥り、最終的にの調達が行われるまで、軍余剰品のやなどが用いられたという。 1989年、FBIは制式拳銃弾として ()を採用した。 これを用いる肩撃ち銃を模索する過程において、FBIは予備火器として保管されていたトミーガンの一部をオート・オードナンス社に送り、10mm仕様への改修を依頼した。 オート・オードナンス社では10mm仕様トミーガンを自社のカタログにも掲載し、1991年から1993年頃まで販売していた。 その後、これらの短機関銃の大部分は各種の5. 56mm突撃銃へと段階的に更新されていった。 イギリス [ ] ドラムマガジン付トミーガンを手にする英首相(1940年) 1921年6月30日、ヨーロッパ各国を巡りトミーガンの売り込みを行っていたトンプソンは、M1921のテストを行うためイギリスのに招かれた。 この時のテストは概ね成功を収めたものの、イギリス側の担当者は精度と信頼性に懸念を示し、ブリッシュ・ロック方式が銃の構造を不必要に複雑化していると報告した。 特徴的なドラム型弾倉についても有用性が疑問視され、同じ弾数を持ち運ぶとしても20発箱型弾倉を複数携行した方が軽量であるとした。 また、第一次世界大戦の終戦から間もない時代において、平時に購入するには比較的高価であったこと、あらゆる銃器について高い射撃精度を重視するイギリス陸軍の伝統に反すること、自動銃の採用によって弾薬の購入費用が増すおそれがあることなどを理由に制式採用は見送られた。 ヨーロッパでは仕様の需要があることにトンプソンは気づいたものの、当時のアメリカでは一般的な拳銃弾ではなかったこともあり、オート・オードナンス社の設備では設計・製造を行うことができなかった。 そのため、トンプソンはイギリスの社(BSA)にヨーロッパ向けモデルの設計・製造を依頼したのである。 同社のジョージ・ノーマン技師(George Norman)が手がけたヨーロッパ向けトミーガンは、1926年に発表されたことからM1926として知られる。 9x19mm弾仕様のほか、 ()仕様、仕様が設計された。 M1926はレシーバ部が強化されていたほか、フォアグリップや銃床の形状が改められ、ピストルグリップも除去されている。 M1926はいくつかの国で試験されたものの結局採用には至らず、1930年には製造が中止された。 なお、在庫となっていた少数のM1926は1940年の後にが全て買い上げている。 レンドリース法のもとアメリカから送られたトミーガンを運び出すイギリス兵(1942年) 1939年9月にが始まると、内閣の中にもこの戦争が長期化するものと予想する人々がいた。 いわゆるの期間、イギリス軍は本格的な参戦に備えて銃火器の備蓄と新規購入に着手したものの、資金不足などから軽量な自動火器の調達に失敗していた。 こうして当時「みすぼらしいアメリカのギャングの銃」と見なされていたトミーガンの再評価が行われ、兵站委員会()では政府に対しトミーガンの本格的な調達を求めたのである。 1940年、が首相に就任する。 チャーチルは雑誌『』誌上でトミーガンを賞賛し、間もなくM1928の調達を認めた。 ()は1940年2月に最初の注文を行った。 最初にトミーガンの供給を受けたのは、正規軍ではなくの ()(英本土侵略に備えた秘密抵抗組織)であった。 1941年初頭には陸軍での調達が始まったが、当初は特殊部隊のみに支給されていた。 の元で供給が始まると、イギリスはアメリカに対して514,000丁のトミーガンを要求した。 しかし、ではドイツ海軍のによるが激化しており、1942年4月までにイギリスへ届けられたトミーガンはわずか100,000丁に過ぎず、結局は需要の一部をで代替することとなった。 以後はステン短機関銃が優先して支給され、トミーガンはコマンドスなど一部の部隊にのみ与えられた。 ホーム・ガードでも引き続き使用された。 イギリスに供給されたM1928A1は基本的にアメリカ軍で採用されたモデルと同一であったが、水平フォアグリップではなく旧型の垂直フォアグリップが標準的に取付けられていた点と、アメリカ軍のモデルでは下部にあった銃床側のスリングスイベルが上部に移されている点が異なっていたほか、銃身と機関部にはイギリス政府調達を示す刻印が施されていた。 後にM1やM1A1も購入され、M1928と共に使用されている。 トミーガンを構えるチャーチルの有名な写真(本節冒頭)は、1940年7月に近くで行われた部隊視察の折に撮影された。 当時イギリス軍が有したトミーガンはアメリカから最初に出荷された400丁のみで、その一部が各地でのプロパガンダ写真撮影の為に使いまわされていた。 これによって、全軍にトミーガンが広く配備されているかのような宣伝が行われたのである。 イギリスでは徹底抗戦の象徴となったチャーチルの写真だが、発表の数週間後にはナチス・ドイツ側も同じ写真を用いたを作成しイギリスへと投下した。 これはトミーガンの印象も相まって写真のチャーチルがいかにも「ギャング風」に見えることから、彼を「非人道的な殺人犯」と称して非難する指名手配書風のものだった。 2014年、国防省ドニントン集積所()からエセックスの統合軍事博物館()に展示用として引き渡された旧式火器700丁の中に、かつてプロパガンダ用に使われていた初期輸入品のトミーガンが発見された。 カナダ [ ] カナダ軍では1940年のフランス陥落後にトミーガンを採用した。 1942年には安価なイギリス製に更新されたが、では弾薬供給上の都合からトミーガンが使用され続けた。 特徴的な50連発ドラム型弾倉も少数使用されたものの、大きくかさばるため好まれず、もっぱら20連発または30連発の箱型弾倉が使用された。 スウェーデン [ ] スウェーデンはヨーロッパでトミーガンを採用した最初の国の1つである。 さらに3,000丁を調達する計画もあったが講和に伴い中止されている。 また、大部分がM1921から改修されたものだったため、機関部の刻印に打ち直しの痕跡があった。 1950年代にはに売却されたと言われている。 最初のスウェーデン語版マニュアルはオート・オードナンス社によって印刷された。 早急な出荷が求められていたため、ページ数は英語版の半分以下の21ページまで減らされた。 写真や図版は既成のマニュアルやカタログから流用されたもので、M1928Aではないモデルのものも混じっており、垂直フォアグリップや100連発弾倉などスウェーデン軍が採用していないオプションも描かれていた。 その後、1941年から1944年にかけてスウェーデン国内で独自のスウェーデン語版マニュアルが何種類か作製された。 ソビエト連邦 [ ] の元、トミーガンはにも供給された。 ただし、当初はいくつかの理由で少数供給に留まっていた。 すなわち、上層部がソ連邦の気候に適した銃か疑わしいと考えていたこと、がソ連邦内で一般的な銃弾ではなく、アメリカからの供給を含めても調達が難しかったこと、アメリカ軍およびイギリス軍への供給が優先されていたことの3点である。 通常の運用に加え、車両乗員やパイロットの自衛火器としても配備されていた。 評判は悪くなかったが、その後も弾薬の調達が難航した為、段階的にソ連邦製の火器へと更新されていった。 フランス [ ] 第一次世界大戦後に新しい自動火器の調達を計画していたでは、1921年に試験目的でトミーガン1丁を購入している。 1924年にはトンプソンがフランスを訪れ、M1921(. 45ACP弾)とM1923( ()、二脚付)の試験が行われた。 フランス側ではさらに ()(. 351 SL)仕様での試験に関心を示した。 これはフランス軍が大戦中に同弾薬を採用しており、当時まだ在庫が残されていたためである。 1926年には. 351SL仕様のトミーガンで再度試験が行われたが、銃の破損など問題が相次いだ。 1927年にはイギリスで再設計されたM1926の試験が行われたものの、射撃性能とは別に弾倉の故障などが起こった。 発射速度も高すぎると判断され、最終的にあらゆる種類のトミーガンの採用見送りが決定した。 勃発後の1939年、早急に大量の武器を調達する必要に駆られたフランスは3,000丁のトミーガン(大半はM1921)を購入し、1940年を通じて配備が行われた。 これらはスリングスイベルを取り付けない状態で出荷され、フランス到着後に ()と同型のものが取り付けられた。 追加の評価試験後、さらに3,000丁の追加注文が行われたものの、全てを受領する前にフランスは降伏した。 国内に残されていた3,000丁あまりのトミーガンは、の軍・警察部隊によって使用された。 ヴィシー政権下では独自のフランス語版マニュアルも作成された。 一方、ではM1928A1およびM1が広く使用された。 当初はFM23-40などアメリカ陸軍の教範をフランス語に翻訳したものが使用されていたが、のちに独自のフランス語版マニュアルも作成されている。 日本 [ ] 敗戦の際、マレーにて日本軍から接収された銃火器。 手前にトミーガンなどの外国製銃器が確認できる(1945年) 第二次世界大戦前の1930年には、が実験に用いたという記録がある。 開戦後、日本軍は各戦線でトミーガンを鹵獲した。 1944年2月に作成された米軍装備に関する陸軍の資料中では、米軍が装備する(日本陸軍では主に「機関短銃」と呼んだ)について、、、の3点が写真付きで紹介されている。 また、では短機関銃を有する連合国軍部隊に対抗するべく、トミーガンなどの鹵獲短機関銃を装備した「自動小銃班」なる特設部隊が各地で編成されていたという。 1943年に米陸軍省が作成した資料にも、ビルマ戦線にて日本軍が曳光弾を装填したトミーガンを用いて夜間の威力偵察を行っていた旨を記したものがある。 でから鹵獲されたトミーガン600丁が、後にに支給されたとも伝えられている。 敗戦後のに発足したに対しては、米国からと並んで供与され、"サブマシンガン"の訳語として「」という言葉が作られ「 11. 4mm短機関銃M1」として制式化された。 その後もからにおいて継続して装備され、ではまで使用されたほか、及びではに入っても少数ながら現役として装備されていた。 自衛隊が保有していた45口径短機関銃は、1998年度からへの更新が始まり、2011年度までに完了した。 中国 [ ] トミーガンの射撃訓練を行うの兵士(1937年) 1920年代から1930年代にかけて、アメリカ合衆国主導のもとで国際的な武器禁輸が行われていたにも関わらず、軍閥間の内戦が続いていたにも多数のトミーガンが輸出された。 少なくとも3箇所の地方兵廠にてコピー生産が行われていたことが知られている。 山西省を支配したの軍閥ではM1921のコピー品が生産され、をM1921のに合わせて化した独自製品まで出現した。 また、各地で跋扈する匪賊の襲撃を撃退する効果的な兵器として、富裕な地主や帰国 なども、手頃な価格で強力な防御能力を発揮できるトミーガンを用いていた。 中国に大量に存在したトミーガンとコピー工廠は、国共内戦の終結と共にの手に渡り、ではも中国軍も共にトミーガンを装備して戦っていた。 共産党軍では回収された旧式火器の口径を自軍の標準弾薬にあわせて改造した上で使用しており、トミーガンの場合は仕様に改造されたものもあった。 その他 [ ] トミーガンを装備した南ベトナム兵ら。 南ベトナム軍では、アメリカからの援助の一環としてトミーガンを受領していた。 しかし、アメリカ兵よりも小柄な者の多い南ベトナム兵にとって、その重量は大きな問題だった。 南ベトナム兵らが好んだ銃床を取り外す改造も、軽量化を目的としたものだった。 正規軍のほか民兵組織などにも配備されていたが、1967年以降に大部分が小銃へと置き換えられた。 でもトミーガンは広く用いられた。 当時、部隊には戦後余剰装備としてアメリカから放出された各種火器が配備されており、トミーガンもそこに含まれていた。 紛争中には内で製造されたモデルも確認されている。 このトミーガンはおおむねM1A1のコピーで、いくつかの部品はアメリカ製のものがそのまま使われていた。 組合せは雑多で、M1A1では通常使われなかったカッツ・コンペンセイターが溶接(本来はネジ止め)されているものや、鋼鉄製よりも重量のある真鍮製のレシーバを備えたもの、手作業で作られた低品質な部品を組み込まれたものなどがあった。 刻印から親トルコ派の ()(TMT)が製造したものと考えられている。 正確には不明だが、生産数は10,000丁以下と推測されている。 画像 [ ]• 当時のアメリカ軍では、自動火器を2種類に区分し、陣地に据え付けるような大型で重量のあるものを機関銃(Machine gun)、運搬が容易で歩兵と共に前進できるものを自動小銃(Automatic rifle)とした。 この区分においては、一般に軽機関銃と称される銃の多くが自動小銃に含まれうる。 1930年代に福建省に潜伏したは、インドネシアから帰国した華僑と知り合い、その下に一時身を寄せていたが、匪賊による襲撃の噂が流れたため、これに備えて華僑の一族がトンプソンサブマシンガンなどの各種を準備して迎撃準備に努めていた事を記しており、当時の中国国内でトンプソンサブマシンガンは比較的身近な存在だった事が伺える。 出典 [ ]• Guns in Combat. Chartwell Books, Inc 1998. 2015年8月2日閲覧。 2015年11月17日閲覧。 2019年11月12日閲覧。 2019年6月18日閲覧。 Enterprises, ASIN: B0007HVRYY• 2011年2月15日. 2015年8月2日閲覧。 2013年12月20日時点のよりアーカイブ。 2014年11月11日閲覧。 smallarmsreview. com. 2020年2月3日閲覧。 2012年1月12日時点のよりアーカイブ。 2014年11月11日閲覧。 2015年8月2日閲覧。 smallarmsreview. com. 2016年9月8日閲覧。 The Unofficial Tommy Gun Page. 2016年8月22日閲覧。 The Unofficial Tommy Gun Page. 2016年8月22日閲覧。 The Unofficial Tommy Gun Page. 2016年8月22日閲覧。 2017年12月1日. 2018年8月23日閲覧。 2015年8月3日閲覧。 2019年10月13日閲覧。 2013年9月30日. 2015年8月15日閲覧。 2013年9月30日. 2018年7月31日閲覧。 2011年2月23日. 2015年8月3日閲覧。 Historical Firearms. 2016年3月20日閲覧。 2014年12月23日. 2015年8月24日閲覧。 Peter Harrington 2012年2月1日. 2015年8月24日閲覧。 canadiansoldiers. com. 2016年8月14日閲覧。 Janson. Gothia Arms Historical Society. 2016年8月14日閲覧。 smallarmsreview. com. 2016年9月8日閲覧。 2015年5月1日. 2015年8月18日閲覧。 smallarmsreview. com. 2016年3月20日閲覧。 「」 Ref. C05021291500• 「」 Ref. A03032193600• 藤田昌雄 2004. 光人社. 19-20. 2015年8月14日閲覧。 『陸軍落下傘部隊戦記 あゝ純白の花負いて』 田中賢一著 学陽書房 1976年 P130〜131• 2015年8月3日閲覧。 2016年7月10日閲覧。 『牢獄から牢獄へ - タン・マラカ自伝』 タン・マラカ 著 押川典昭 訳 鹿砦社 1981年7月• smallarmsreview. com. 2016年9月8日閲覧。 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するメディアがあります。 - オート・オードナンス社公式サイト• - 1929年に作成されたM1928およびM1921の共通マニュアル• - 米陸軍省が1942年に作成したM1928A1の教範• - - 米陸軍省が1942年に作成したM1928A1の教育用映画.

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トンプソン・サブマシンガン

トンプソン サブ マシンガン

東京マルイ 電動ガン トンプソンM1A1 【エアガン レビュー】 サブマシンガンは第一次世界大戦の塹壕戦からドイツで生まれた。 当時のアメリカ軍で指揮に当たっていたジョン・トンプソン将軍はこれに対抗すべく1921年にトンプソンSMG M1921を完成させる。 その後、細かいマイナーチェンジを受け1942年にトンプソンM1A1として米軍に制式採用される。 実銃のトンプソンはコルトガバメントでも使用されている45口径の拳銃弾を使用する強力なサブマシンガンで、1秒間に12発の発射サイクルを持つ。 トンプソンと言えば1998年に公開されたスピルバーグ監督映画「プライベート・ライアン」でトム・ハンクス演じるミラー大尉が使用しているシーンはあまりにも有名だ。 私はアメリカのTVドラマ「」世代ではないので、サンダース軍曹にはあまり思い入れはないが、WWIIのセピアがかったあの雰囲気はなんともいえない深い味わいを感じる。 またトンプソンSMGは1933年まで続いた禁酒法時代にはギャング達の武器としてトミーガンやシカゴタイプライターなどのニックネームで呼ばれ、映画「俺達に明日はない」や、「アンタッチャブル」などでも銀幕に登場している。 東京マルイはこのトンプソンを無可動実銃から採寸・設計し、パーフェクトなスタイリングを再現した。 東京マルイ トンプソンM1A1 電動ガンスペック 全長 803mm 重量 3,410g バッテリー含む 銃身長 300mm インナーバレル長 装弾数 6mmBB弾 60発 定価 35,800円 税別 発売日 2000年02月25日 メカBOX Ver. 2g使用、ホップアップ適正、10発での測定、気温20度 パッケージは細身でコンパクト。 コーティングされていない薄茶色いボール紙の箱に入っている。 印刷も墨一色。 MGCのモデルガンみたいだ。 パッケージを開けると油紙に包まれたトンプソンが!!。 取説も薄い茶色い紙に印刷されている。 本体、マガジン、BB弾少々、フルオートトレーサーアダプター、保護キャップ、チャージャー、チャージングロッド、クリーニングロッドが付属する。 グリップを握った感触はちょっと太い。 幅は普通なのだが、縦が長い感じだ。 構えてみると、まず感じたのがストックが長いということ。 最近リトラクタブルストックに慣れていたせいか、バットプレートからグリップまでの距離がずいぶん長く感じる。 ハンドガードまでも遠く、マガジン前方で保持したくなる。 ただストックが大きい分、腰だめで撃つとより構えが安定した。 撃った感触はラージバッテリーと言うこともあり、セミオートのキレがよく、フルオートの回転も小気味良い。 また、アッパーレシーバーが亜鉛ダイキャスト製でフレームの共振を防いでいるので、メカボックスの作動音が静かで、 非常に引き締まった射撃感だ。 レシーバー右側面。 アッパーレシーバーは亜鉛ダイキャスト製で金属特有のヒンヤリした手触り、ズシリとした重量感、黒染めされて鈍く光る質感が非常に良い。 コッキングハンドルは可動式。 引くと内部にニッケルブラックメッキされたシリンダーが見える。 レシーバー右面には東京マルイの刻印がある。 ロアレシーバーはプラ製だが、アッパーレシーバーの金属の存在感のほうが大きいので、チープさは微塵も感じない。 ただトリガー上の板バネはプラ製でちょっと安っぽいので金属で再現してもらいたかった。 レシーバー左側面。 セフティレバー、セレクターレバーは180度回転させて操作するレトロなデザイン。 マガジンキャッチレバーはトリガー上からアームがグリップ付近まで伸びており、チェッカーのついた部分を上に押し上げるとマガジンがリリースされる。 トリガーはワイドで引きやすい。 チャンバー前方にはバレル同軸式のホップアップ調節ダイヤルがある。 マガジン交換はマガジン後部のレールをロアフレームの溝に合わせて差し込まなくてはならないので、素早い交換は難しい。 実銃では45口径のカートリッジが排出されるエジェクションポート。 意外に小さく見える。 このエジェクションポート内からもホップアップ調節ダイヤルを操作できる。 インナーバレル長は300mmでサブマシンガンクラスとしては長い。 金属製のアッパーレシーバーとアウターバレルでチャンバー回りがガッチリと固定されているので、弾道も安定している。 グリップは木目調のプラ製。 グリップ内にはEG700モーターが内蔵される。 モーターはモーターホルダーによってメカボックスに固定される。 グリップ底部のビスを外せばAK47シリーズなどと同様にモーターとギアの噛み合い調節が可能。 ハンドガードも木目調のプラ製。 マルイの木目調ストックは良く出来ていると思う。 しかし重くなること必至。 ハンドガード下部にはフロント・スリング・スイベルがある。 アウターバレルもダイキャスト製でレシーバーからの一体感は抜群。 剛性も非常に高い。 もはや申し分ない。 フロントサイトはアウターバレルと一体となっている。 マズルにはライフリングも刻まれている。 リアサイトはピープ式で実銃は固定されているが、東京マルイの電動ガンは上下左右に調節できる。 ただし残念ながらプラ製だ。 サイドガードは金属製なので破損はしにくいとは思うが、なんか折れそうで怖い。 固定ストックも木目調のプラ製だが写真でみると本物の木製ストックのようだ。 バットプレートは亜鉛ダイキャスト製。 質感がスチールプレスっぽく見えてカッコイイ。 ストック下部にはリア・スリング・スイベルがある。 バットプレートのフタを開けてバットプレートを引っ張りながら左右どちらかに90度回転させるとバッテリー交換できる。 ラージバッテリーが内蔵可能だ。 20連型のマガジンは6mmBB弾を60発装填できる。 実銃のマガジンリップ形状を模したリアルなデザイン。 スチールプレスのアウターシェルで質感と重量感もリアルだ。 マガジン後部のT字型のレールを本体の溝に合わせて差し込まなければならないので、素早い交換は難しい。 イーグル模型のRC1500SCTニッカドバッテリーを装備しての総重量は3,430g。 重い部類に入るが、重心がグリップ付近にあり、バランスがよく重さを感じさせない。 さて、東京マルイ電動ガン、トンプソンM1A1の総評だが、塊り感とでもいうか、剛性・質感共に高く、所有欲を満たせるものとなっている。 重量が少々重いが、バランスは良く、フロントの短いサブマシンガンなので、取り回しは悪くない。 実射性能もピカイチだ。 ただし、ストックが大きく、体格が良くないとグリップ、ハンドガードまでが遠く感じるだろう。 マガジン交換が素早く出来ないが、多弾数マガジンである程度は補える。 ゲーム向きというよりは、「味わう」タイプの銃なのでこのノスタルジーを理解できるユーザーにオススメする。 トム・ハンクス演じるミラー大尉か、ビック・モロー演じるサンダース軍曹か。 そんなWWIIの主人公達になった気にさせる銃だ。

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トンプソン サブ マシンガン

トンプソン・サブマシンガン(Th )とは、の・タフェロ・により開発された、及びその名である。 により17年から設計が開始され、年に基礎が、11年より販売を開始する。 だが、当時は第一次大戦終結直後のため軍・的用としては売れ行きを伸ばせず、向けとしても販売された。 その後のからは、の制式装備として18年に採用される(8A1)。 しかし軍は、より多数のを必要とし、大量生産向けに大幅な簡略化を施した(A1)を開発した。 口径は. 今なお幾つもの紛争で流出または品が扱われ現役で稼働し続けていたり、生産終了したのでも高いを誇る、息の長いである。 のでも徴的な意味合いで扱われ、見学者向けに射撃教官がの射撃で自身の名前を刻むンストを行っていることは有名である。 ちなみに、・社で生産される向け中折れ式単発の・とは一切関係ないので注意。 販売された(1)はのグ達の手に渡り、抗争で使われた。 彼らグ達にもまたこので応戦し、々しい戦果を挙げていた。 そのでの打ち音に例えられる独特な射撃音、グのと合わせて、これらのあだ名が付いた。 ちなみに当時はの一般販売及び所持は簡単だった。 とても大らかな時代である。 この様な事情から4年より一般人のは購入となり、では7のみの販売となった。 トミーガン 8を扱った軍が最初に呼んだ名だが、にも波及し以後の代名詞になった。 他「」「・ソード」など多数のあだ名を持つ…のだが、ここで全てを事細かに記述するのは少々面倒なんで、を持たれた方はの項でも参照して下さい。 バリエーション トンプソン・サブマシンガン(9) 試作。 作動方式はッシュ・式と呼ばれるディレード・ブロー機構を採用。 後述の簡易以外は全てこの機構が用いられている。 レは切削加工でされる。 口径・使用は. Pが基本ではあったものの、こののみ少数ながらパラベや. LRなどのが存在する。 また、照準器やは装着されていないなど、外見から見ても試作品としての色が非常に強いことで知られる。 7は1の射撃限定である。 このから口にはによる跳ね上がり抑制のコンセイターが取り付けられ、身には冷却用のも加工されている。 更に時の安定性を高めるフォアに着脱可、発など、後述の系とべると非常にで凝っただった。 やなどで多用されていた機種は1であり、様々な作品においても露出度の高い品はこれであろう(多分)。 3 後述の8系の基礎となった、専用設計強装の. レ・を用いる試作。 だが従来の. Pとべて. レ・の威や射程は向上した(のに匹敵)が、命中精度は著しくかったためは中止されてしまった。 約10のバレルやのフォアの装備など従来以上に軍用としての側面が強調されている点も特徴。 8(8A1) 1の。 A1はの要により3の結果を反映させ、更に良が施されたである。 外観上はフォアや延長したバレルを装備するな13に近いが、口径は従来通り. Pそのままである。 凝ったによる高価な値段が足を引っり大量生産にも向かず、また軍がニカア進出によるで多数のを必要としたため、後述の簡易が作られる事になる。 外見的な特徴では、コンセイターや放熱、フォアは排除。 内部では作動方式を・ブローにめ、その他細かい部品の数を減らした。 着脱可なは固定式に、は20または発の形のみ生産し供給、従来のは使えなくした。 ただし切削加工のレ本体の設計はほぼそのままである。 中、最も多く製造されたであり、などと共にが最も扱ったでもあった。 登場作品 やグを題材とした作品によく登場する。 ここではで有名だと思われるで登場している作品を紹介する。 シカゴタイプライターの名称で登場する。 後でできる「the oer」をすることによって、で購入が可になる。 お値段 s(ペセタ)とかなり値がるが、ではと言っても過言ではない。 弾の威が並みの強さであり、弾数限、連射0. 1というである。 によってが式になり、モーションも変わる。 恐らく開発当初はできる予定だったと思われる。 専用の弾が存在し、モーションも用意されていたが、数が全中最大のため、没になったと思われる。 その名残がモーションだろうか トミーガンの名称で登場するが、として使用することは出来ない。 部隊の一人、ザ・ペが使用している。 のを被って戦っている人からはの名称すら言わせてもらえない結構不遇な扱い。 8A1の名称で登場する。 こちらはとしての使用は可である。 序盤の対のお供、威も序盤で手に入るでは強い分類に入る。 開発が進むと装着、弾数増加し、中最大所持弾数が最も多くなる。 も結構いので、結構優遇なである。 物件が的地の場合で到着したときのにを持ったのが持っている。 おそらくシカゴタイプライターだと思われる。 との回で登場。 がを捜索中に持っていた。 達に乱射したりもした。 のではをに買える時代なのだろうか・・・ 当然には登場していない、版のみである。 にてが戦で使用した。 どこから手に入れたかは知らないが、中でぶっ放した。 因みに、この時は相手が相手だったので 効果はかった。 知らないって?有名じゃなくて悪かったな! 関連動画 関連立体 関連項目•

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