香港 っ て どこ。 香港で住むならどこに住む?【エリア紹介編】

香港はどこへ行くのか? 自由や民主主義のありがたさを知る人々の反対に、習近平は追い詰められている(長谷川 幸洋)

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香港はどこの国?イギリスなの?中国なの?香港は香港?香港返還とはどういうことなのか? 2020年現在の香港は、中国。 正式には中華人民共和国の香港特別行政区といいます。 「香港」というのは国の名前ではありません。 じゃあ「香港」とは何かと言うと、都市名なんですよ。 現在の香港は中国だということは、以前は別の国だったの?えぇ、違ったんですよ。 香港が中国に返還される前は、イギリスの領土でした!えぇ、イギリスだったんですよ! 実は香港は日本の領土だった時期もあるんですよ。 そんな香港の簡単な歴史は追ってお話しますね。 香港はいつ返還されたの?返還される前はどの国の領土だった? 香港が中国に返還されたのは1997年7月1日のこと。 以来、7月1日は香港では「返還記念日」(香港特別行政区成立記念日)として祝日になっています。 この日は九龍半島と香港島の間のヴィクトリア・ハーバーで花火が盛大に上げられ、歓声を上げながら花火を鑑賞するのが市民や観光客の楽しみの1つでした。 香港が中国に返還されたということは、それまでの香港は別の国だった、ということ。 筆者は香港が中国に返還される前から、香港に住んでいます。 香港返還記念日の花火は5年に1度? イギリス領だった香港が中国に返還されたことは、中国政府にとっては今やもう特別なことではないのかもしれません。 残念なことに、香港返還記念日の7月1日に花火が上げられるのは、5年に1度となりました。 次にこんな花火が上げられるのは2022年7月1日夜の予定です。 返還前は香港はどの国の領土だった? 香港が1997年7月1日に中国に返還されるまでは、香港はイギリスの領土でした。 香港はイギリスの植民地だったのです!香港がイギリスに統治されていた時期は2つに分けられます。 その2つの時期の間に香港を統治していたのは、日本でした。 簡単にまとめると以下の通りです。 イギリスによる統治時代前半:1842年〜1941年• 日本による統治時代:1941年〜1945年• イギリスによる統治時代後半:1945年〜1997年 では次に、香港がイギリスの領土だった理由と日本に統治されていた理由をお話しますね。 話は中国が清という王朝時代の1699年ごろです。 この頃から、イギリス東インド会社が開港されていた中国の広州を訪れて、中国と貿易を開始。 アフタヌーンティーの習慣が浸透していたイギリスは、中国(当時の清)からたくさんの茶葉を輸入していましたが、イギリスは中国に輸出するものがなくて貿易赤字となっていました。 中国は自給自足ができていたので、輸入しなければならないものはなかったのです。 困ったイギリスは、インドで手に入れたアヘンを中国に輸出することで貿易のバランスをとることに成功。 中国人はたちまちアヘンのとりこになってしまいました。 アヘンは古くから薬として使われていたとは言え、麻薬です。 アヘンによって中国人は身も心もボロボロに。 中国とイギリスの貿易が原因だった? 見かねた中国清政府はアヘンの輸入を禁止します。 しかしアヘンを輸出できなくなると貿易が赤字になって困るイギリスは、密かに中国にアヘンを輸出(密輸)。 ところが1839年のこと、アヘンの取締をしていた清の閣僚・林則徐(りんそくじょ)が、イギリス商人が持っていたアヘンを全て没収し焼き捨ててしまいました。 これに怒ったのがイギリス。 そりゃ怒りますよね。 中国側からすれば、うまく言いくるめて体に悪いもの(アヘン)を売りつけるなんてナンセンス!もう買わない!って主張しているだけですが、イギリスはアヘンが売れなければたちまち貿易赤字です。 そして翌1840年、イギリスの艦隊は中国へ。 アヘン戦争の勃発です。 ところが正義を主張しているのだから中国が勝つのかと思えば、戦力に差がありすぎて中国は敗北。 1842年に南京条約が締結され、香港はイギリスへ割譲されイギリス領となりました。 これが、香港はイギリスの領土だった理由です。 アヘン豆知識 アヘンは芥子(けし)の実から採った果汁を乾燥させたもので、紀元前から鎮痛薬・睡眠薬としてヨーロッパ・中東中央アフリカで使われていた事がわかっていますが、現在では麻薬の一種として各国で規制されています。 香港が日本の領土だった理由は何? 香港がイギリスの領土だった理由がわかりましたが、香港が日本の領土だった時期もあるんですよ。 意外と知らない人も多いようですが、歴史を思い出してみれば納得するかもしれませんね。 香港が日本の領土だったのは、1941年〜1945年。 この年代、何かピンと来たでしょうか?そう、第2次世界大戦です。 第2次世界大戦が起きていたのは1939年から1945年。 この第2次世界大戦中、香港の統治権がイギリスから日本に渡っていました。 第2次世界大戦中の1941年12月8日に、マレー半島を植民地化して支配していたイギリス軍に日本軍が侵攻して太平洋戦争が勃発。 マレー半島と同じように植民地としてイギリスが支配していた香港にも、日本軍が侵攻。 12月13日には日本軍が香港の九龍半島を制圧、12月25日に香港唯一の貯水池が日本軍に奪われるとイギリス軍は降伏し、香港の統治権はイギリスから日本に渡ったのです。 でもね、1945年に日本は敗戦しましたよね。 それで香港だけじゃなく当時日本が支配していたところは全て、戦争前に統治していた国の管轄に戻りましたから、香港も再びイギリスの植民地になったのです。 日本軍の大本営はペニンシュラホテルにあった ちなみに香港で日本軍とイギリス軍が戦っていた時、日本軍の大本営は九龍半島の尖沙咀(チムサーチョイ)にあるペニンシュラホテルに置かれていました。 香港島東部の大浪湾に残る古代の石刻 その後の新石器時代( 紀元前4000年~紀元前2000年)の遺跡も、ランタオ島や香港島に残されています。 その後の香港について、文献で残っているものを以下に記しますね。 紀元前214年、秦朝が嶺南(華南)に郡県を設置すると共に現在の香港の地も支配されるようになった• 1368〜1644年、明王朝時代の1552年ごろから「九龍」「香港島」という地名が見られる• 1644〜1842年、清王朝時代になると香港に近い広州が開港され、イギリス東インド会社が来航(ここからは上の「香港がイギリスの領土だった理由」の事情により・・・)• アヘン戦争の結果、1841年1月20日より香港はイギリスに永久割譲される• 1842年〜1941年、イギリスによる統治時代前半期• 1941年〜1945年、日本による統治時代• 1945年〜1997年、イギリスによる統治時代後半期• 1997年7月1日、香港はイギリスから中華人民共和国へ返還され、中華人民共和国香港特別行政区となり、現在に至る 国の領有権争いは、資源が豊富に手に入る所ほど執着されやすいように思います。 香港はそもそもとっても小さな島の集まりですが(235ほどの島)、島ということは海に囲まれていますよね。 それは単純に海中の資源が豊富だと思ってしまう筆者です。 でも海中の資源だけではなく、イギリスと中国(清王朝)が貿易を始めた頃から、香港は貿易港として重要な場所になっていたのでしょう。 あれ?永久割譲されたんじゃなかったっけ? あれ?確かアヘン戦争を経て香港は中国(清王朝)から イギリスへ永久割譲されたはず。 それなのに、どうして香港は中国に返還されたんだろう?って不思議に思いませんか? アヘン戦争終結で交わされた南京条約(第1次アヘン戦争終結)により、中国清朝から香港島はイギリスに割譲されました。 そして1860年の北京条約(第2次アヘン戦争終結)によって、九龍半島の南端がイギリスへ割譲。 その後 1898年に、99年間の租借が決定。 これにより、「永久割譲」と言われていた香港の領有権は、1898年からの99年間に限ると決まったのです。 1970年代になって99年間の租借期間終結が近づくとイギリスは、その期限を越えて尚、香港をイギリスが統治し続けたいと主張。 1982年9月に当時のイギリスの首相マーガレット・サッチャーが訪中して英中交渉するも、鄧小平の強硬な姿勢にイギリスが負けた形となり、1997年に香港はイギリスから中国に返還される事が決定したのです。 おまけの小話:水止めるぞ! 筆者が香港へ移住したのは、まだイギリス統治下だった1993年。 香港の水は、中国大陸から引かれて(供給されて)いました。 (2018年現在も香港の水は中国広東省から輸入しています) 筆者が香港へ移住した当時もそれからしばらくしてからも、「水(の供給)止めるぞ!」という声を聞いたり(どこで聞いたかというと噂レベルですが、当時はインターネットも普及していませんでしたから、口コミの噂は驚異でした)、「なんだかんだ香港は水を中国からの輸入に頼っているから」と、暗に「逆らえないよね」的空気を感じることがありました。 何故、香港では水を中国大陸から輸入しているかと言うと、香港は岩山で出来ているので、水を貯め込むのが難しいとか。 でも一応、香港にもダムはあります。 ただ需要と供給のバランスが取れていないのでしょうね。 そう言えば筆者が香港に来て最初に驚いたのは、 下水は海水だということでした。 海水だから便器は錆びやすいし壊れやすい。 香港に移住して10回ほど引っ越ししましたが、どの家に住んだ時もトイレ問題が発生しなかったことはなく、いつも業者を呼ばなければならなかったり自分で修理したり、何度泣きを見たことか・・・ふー。 おまけ:香港の呼び方について 現在の香港の正式名称は、 中華人民共和国香港特別行政区。 」とも書きます。 香港市民は自分たちのことを「中国人」だとは思っていません。 「Are you Chinese? 」あなたは中国人?と聞かれると、絶対「No!!! I am Hong Kong Chinese. 」もしくは「I am Hongkonese! 」と答えます。 香港市民でも、カナダの国籍を取得した人は「Canadian-Hongkonese」と言います。 自分たちは「中国(大陸)の人間ではない」という点については、香港人達はものすごくこだわり(プライド)を持っています。 香港がイギリスの領土だった理由と返還された簡単な歴史のまとめ• 現在の香港は、中華人民共和国の香港特別行政区だ• 1997年までの香港は、イギリスの領土だった!• 香港がイギリスから中国に返還されたのは、1997年7月1日だ!• 香港がイギリスの領土になったのは、イギリスと中国(清王朝)の貿易からアヘン戦争が起こり中国が負けたから• 実は太平洋戦争中の香港は日本の領土だった• 香港には旧石器時代の石刻も残っている• 紀元前214年に秦朝に支配されるようになった• 明王朝時代の1552年ごろから九龍・香港島という地名が見られるようになった• イギリスと清王朝との貿易の結果、アヘン戦争が起こりイギリスが勝ち、香港はイギリスの領土となった• 1997年7月1日に香港はイギリスから中国へ返還され、香港特別行政区となった 筆者が香港へ移住した1993年当時も、香港は貿易の中継点として・金融街として発展しており活気にあふれる街でした。 イギリス植民地時代は、香港を支配するイギリス人達が「香港人に学が付くと自分たちの地位が危うくなる」と、大した教育を施さなかったそうです。 イギリスの統治下にあったのに、当時の香港市民はほとんど英語は話せませんでした。 でも、素朴な面を持ちながらも商魂たくましい香港人たちは、人情味にも活気も溢れていました。 今の香港がどんな状態なのか、今あなたが香港を訪れてどう感じるかは人それぞれだと思います。 筆者のような在住者と、観光や短期的に仕事で訪れる方とは感じ方も違うでしょう。 是非、あなた自身の目で見て香港を感じて欲しいと思います。 過去は過去、あなたが見る現実は「今」のものですから。

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香港返還?香港がイギリスの領土だった理由にいつ返還されたのか?簡単な歴史を知っておこう!

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香港はどこの国?イギリスなの?中国なの?香港は香港?香港返還とはどういうことなのか? 2020年現在の香港は、中国。 正式には中華人民共和国の香港特別行政区といいます。 「香港」というのは国の名前ではありません。 じゃあ「香港」とは何かと言うと、都市名なんですよ。 現在の香港は中国だということは、以前は別の国だったの?えぇ、違ったんですよ。 香港が中国に返還される前は、イギリスの領土でした!えぇ、イギリスだったんですよ! 実は香港は日本の領土だった時期もあるんですよ。 そんな香港の簡単な歴史は追ってお話しますね。 香港はいつ返還されたの?返還される前はどの国の領土だった? 香港が中国に返還されたのは1997年7月1日のこと。 以来、7月1日は香港では「返還記念日」(香港特別行政区成立記念日)として祝日になっています。 この日は九龍半島と香港島の間のヴィクトリア・ハーバーで花火が盛大に上げられ、歓声を上げながら花火を鑑賞するのが市民や観光客の楽しみの1つでした。 香港が中国に返還されたということは、それまでの香港は別の国だった、ということ。 筆者は香港が中国に返還される前から、香港に住んでいます。 香港返還記念日の花火は5年に1度? イギリス領だった香港が中国に返還されたことは、中国政府にとっては今やもう特別なことではないのかもしれません。 残念なことに、香港返還記念日の7月1日に花火が上げられるのは、5年に1度となりました。 次にこんな花火が上げられるのは2022年7月1日夜の予定です。 返還前は香港はどの国の領土だった? 香港が1997年7月1日に中国に返還されるまでは、香港はイギリスの領土でした。 香港はイギリスの植民地だったのです!香港がイギリスに統治されていた時期は2つに分けられます。 その2つの時期の間に香港を統治していたのは、日本でした。 簡単にまとめると以下の通りです。 イギリスによる統治時代前半:1842年〜1941年• 日本による統治時代:1941年〜1945年• イギリスによる統治時代後半:1945年〜1997年 では次に、香港がイギリスの領土だった理由と日本に統治されていた理由をお話しますね。 話は中国が清という王朝時代の1699年ごろです。 この頃から、イギリス東インド会社が開港されていた中国の広州を訪れて、中国と貿易を開始。 アフタヌーンティーの習慣が浸透していたイギリスは、中国(当時の清)からたくさんの茶葉を輸入していましたが、イギリスは中国に輸出するものがなくて貿易赤字となっていました。 中国は自給自足ができていたので、輸入しなければならないものはなかったのです。 困ったイギリスは、インドで手に入れたアヘンを中国に輸出することで貿易のバランスをとることに成功。 中国人はたちまちアヘンのとりこになってしまいました。 アヘンは古くから薬として使われていたとは言え、麻薬です。 アヘンによって中国人は身も心もボロボロに。 中国とイギリスの貿易が原因だった? 見かねた中国清政府はアヘンの輸入を禁止します。 しかしアヘンを輸出できなくなると貿易が赤字になって困るイギリスは、密かに中国にアヘンを輸出(密輸)。 ところが1839年のこと、アヘンの取締をしていた清の閣僚・林則徐(りんそくじょ)が、イギリス商人が持っていたアヘンを全て没収し焼き捨ててしまいました。 これに怒ったのがイギリス。 そりゃ怒りますよね。 中国側からすれば、うまく言いくるめて体に悪いもの(アヘン)を売りつけるなんてナンセンス!もう買わない!って主張しているだけですが、イギリスはアヘンが売れなければたちまち貿易赤字です。 そして翌1840年、イギリスの艦隊は中国へ。 アヘン戦争の勃発です。 ところが正義を主張しているのだから中国が勝つのかと思えば、戦力に差がありすぎて中国は敗北。 1842年に南京条約が締結され、香港はイギリスへ割譲されイギリス領となりました。 これが、香港はイギリスの領土だった理由です。 アヘン豆知識 アヘンは芥子(けし)の実から採った果汁を乾燥させたもので、紀元前から鎮痛薬・睡眠薬としてヨーロッパ・中東中央アフリカで使われていた事がわかっていますが、現在では麻薬の一種として各国で規制されています。 香港が日本の領土だった理由は何? 香港がイギリスの領土だった理由がわかりましたが、香港が日本の領土だった時期もあるんですよ。 意外と知らない人も多いようですが、歴史を思い出してみれば納得するかもしれませんね。 香港が日本の領土だったのは、1941年〜1945年。 この年代、何かピンと来たでしょうか?そう、第2次世界大戦です。 第2次世界大戦が起きていたのは1939年から1945年。 この第2次世界大戦中、香港の統治権がイギリスから日本に渡っていました。 第2次世界大戦中の1941年12月8日に、マレー半島を植民地化して支配していたイギリス軍に日本軍が侵攻して太平洋戦争が勃発。 マレー半島と同じように植民地としてイギリスが支配していた香港にも、日本軍が侵攻。 12月13日には日本軍が香港の九龍半島を制圧、12月25日に香港唯一の貯水池が日本軍に奪われるとイギリス軍は降伏し、香港の統治権はイギリスから日本に渡ったのです。 でもね、1945年に日本は敗戦しましたよね。 それで香港だけじゃなく当時日本が支配していたところは全て、戦争前に統治していた国の管轄に戻りましたから、香港も再びイギリスの植民地になったのです。 日本軍の大本営はペニンシュラホテルにあった ちなみに香港で日本軍とイギリス軍が戦っていた時、日本軍の大本営は九龍半島の尖沙咀(チムサーチョイ)にあるペニンシュラホテルに置かれていました。 香港島東部の大浪湾に残る古代の石刻 その後の新石器時代( 紀元前4000年~紀元前2000年)の遺跡も、ランタオ島や香港島に残されています。 その後の香港について、文献で残っているものを以下に記しますね。 紀元前214年、秦朝が嶺南(華南)に郡県を設置すると共に現在の香港の地も支配されるようになった• 1368〜1644年、明王朝時代の1552年ごろから「九龍」「香港島」という地名が見られる• 1644〜1842年、清王朝時代になると香港に近い広州が開港され、イギリス東インド会社が来航(ここからは上の「香港がイギリスの領土だった理由」の事情により・・・)• アヘン戦争の結果、1841年1月20日より香港はイギリスに永久割譲される• 1842年〜1941年、イギリスによる統治時代前半期• 1941年〜1945年、日本による統治時代• 1945年〜1997年、イギリスによる統治時代後半期• 1997年7月1日、香港はイギリスから中華人民共和国へ返還され、中華人民共和国香港特別行政区となり、現在に至る 国の領有権争いは、資源が豊富に手に入る所ほど執着されやすいように思います。 香港はそもそもとっても小さな島の集まりですが(235ほどの島)、島ということは海に囲まれていますよね。 それは単純に海中の資源が豊富だと思ってしまう筆者です。 でも海中の資源だけではなく、イギリスと中国(清王朝)が貿易を始めた頃から、香港は貿易港として重要な場所になっていたのでしょう。 あれ?永久割譲されたんじゃなかったっけ? あれ?確かアヘン戦争を経て香港は中国(清王朝)から イギリスへ永久割譲されたはず。 それなのに、どうして香港は中国に返還されたんだろう?って不思議に思いませんか? アヘン戦争終結で交わされた南京条約(第1次アヘン戦争終結)により、中国清朝から香港島はイギリスに割譲されました。 そして1860年の北京条約(第2次アヘン戦争終結)によって、九龍半島の南端がイギリスへ割譲。 その後 1898年に、99年間の租借が決定。 これにより、「永久割譲」と言われていた香港の領有権は、1898年からの99年間に限ると決まったのです。 1970年代になって99年間の租借期間終結が近づくとイギリスは、その期限を越えて尚、香港をイギリスが統治し続けたいと主張。 1982年9月に当時のイギリスの首相マーガレット・サッチャーが訪中して英中交渉するも、鄧小平の強硬な姿勢にイギリスが負けた形となり、1997年に香港はイギリスから中国に返還される事が決定したのです。 おまけの小話:水止めるぞ! 筆者が香港へ移住したのは、まだイギリス統治下だった1993年。 香港の水は、中国大陸から引かれて(供給されて)いました。 (2018年現在も香港の水は中国広東省から輸入しています) 筆者が香港へ移住した当時もそれからしばらくしてからも、「水(の供給)止めるぞ!」という声を聞いたり(どこで聞いたかというと噂レベルですが、当時はインターネットも普及していませんでしたから、口コミの噂は驚異でした)、「なんだかんだ香港は水を中国からの輸入に頼っているから」と、暗に「逆らえないよね」的空気を感じることがありました。 何故、香港では水を中国大陸から輸入しているかと言うと、香港は岩山で出来ているので、水を貯め込むのが難しいとか。 でも一応、香港にもダムはあります。 ただ需要と供給のバランスが取れていないのでしょうね。 そう言えば筆者が香港に来て最初に驚いたのは、 下水は海水だということでした。 海水だから便器は錆びやすいし壊れやすい。 香港に移住して10回ほど引っ越ししましたが、どの家に住んだ時もトイレ問題が発生しなかったことはなく、いつも業者を呼ばなければならなかったり自分で修理したり、何度泣きを見たことか・・・ふー。 おまけ:香港の呼び方について 現在の香港の正式名称は、 中華人民共和国香港特別行政区。 」とも書きます。 香港市民は自分たちのことを「中国人」だとは思っていません。 「Are you Chinese? 」あなたは中国人?と聞かれると、絶対「No!!! I am Hong Kong Chinese. 」もしくは「I am Hongkonese! 」と答えます。 香港市民でも、カナダの国籍を取得した人は「Canadian-Hongkonese」と言います。 自分たちは「中国(大陸)の人間ではない」という点については、香港人達はものすごくこだわり(プライド)を持っています。 香港がイギリスの領土だった理由と返還された簡単な歴史のまとめ• 現在の香港は、中華人民共和国の香港特別行政区だ• 1997年までの香港は、イギリスの領土だった!• 香港がイギリスから中国に返還されたのは、1997年7月1日だ!• 香港がイギリスの領土になったのは、イギリスと中国(清王朝)の貿易からアヘン戦争が起こり中国が負けたから• 実は太平洋戦争中の香港は日本の領土だった• 香港には旧石器時代の石刻も残っている• 紀元前214年に秦朝に支配されるようになった• 明王朝時代の1552年ごろから九龍・香港島という地名が見られるようになった• イギリスと清王朝との貿易の結果、アヘン戦争が起こりイギリスが勝ち、香港はイギリスの領土となった• 1997年7月1日に香港はイギリスから中国へ返還され、香港特別行政区となった 筆者が香港へ移住した1993年当時も、香港は貿易の中継点として・金融街として発展しており活気にあふれる街でした。 イギリス植民地時代は、香港を支配するイギリス人達が「香港人に学が付くと自分たちの地位が危うくなる」と、大した教育を施さなかったそうです。 イギリスの統治下にあったのに、当時の香港市民はほとんど英語は話せませんでした。 でも、素朴な面を持ちながらも商魂たくましい香港人たちは、人情味にも活気も溢れていました。 今の香港がどんな状態なのか、今あなたが香港を訪れてどう感じるかは人それぞれだと思います。 筆者のような在住者と、観光や短期的に仕事で訪れる方とは感じ方も違うでしょう。 是非、あなた自身の目で見て香港を感じて欲しいと思います。 過去は過去、あなたが見る現実は「今」のものですから。

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香港デモの場所がどこかをGoogle地図で表示する

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香港から広州への移動 香港から広州への行き方はいろいろ 香港から広州への行き方というのはいろいろあって、それぞれ一長一短あります。 また、香港のどこから広州のどこへ行くのか、その逆に広州のどこから香港のどこへ行くのかによっても答えが異なってきます。 上の図は香港から広州への行き方を主要な4パターンに分けて記載しています。 2018年10月に香港まで広深港高速鉄道がつながったのでこのルートが最短時間なのだろうと考えている人が日本には多いでしょうけど、決してそんなことはありません。 ましてや香港空港から広州に向かう場合や、その逆で広州から香港空港に行く場合などは、実は広深港高速鉄道は殆どおすすめできないのです。 それはどうしてなのか、をこのページでは解説していきます。 詳しいことは下に書きますが、これは香港から乗る時には発生しない問題なのですが、中国から乗る時には発生してしまう問題で、中国の新幹線の位置づけによるものだと考えてください。 要は中国の新幹線というのは短距離の区間を利用する際にはメリットが出にくい交通手段なのです。 ですから中国の新幹線料金は、短距離ですと路線バスより格段に安いという現象も出ます。 それはトータルな時間で考えれば高鉄(高速鉄道)はバスよりも時間がかかるからです。 最初にそのくらいの知識を持ってから、このページをお読みください。 広深港高鉄(広州深圳香港新幹線)の概要 さて、いよいよ中国新幹線が香港までつながりました。 中国では新幹線を「高鉄」と言います。 深圳の羅湖から広州東までを結ぶ広深線も車両は新幹線のようですが、これは「動車」と呼ばれるもので、「動車」は既存の線路の上を走る鉄道で時速250㎞くらいが最高速度です。 一方、「高鉄」とは高速鉄道の略で、専用軌道の上を走る新幹線です。 高鉄は最高速度350㎞で走ります。 今回、香港と深圳を結ぶ新幹線は高鉄です。 香港の九龍西駅から深圳市の福田駅まではわずか14分(68元、78香港ドル)で、広州市の広州南駅までは47分(215元、247香港ドル)で結ばれます。 香港からの入出境と中国への入出国手続きは、いずれも香港の西九龍駅に新設されるイミグレーションで行われますので、他のイミグレーションと比較するとスムーズに手続きができ、時間もあまりかかりません。 香港の西九龍駅から乗る場合は、チケットを予約済みという前提で、一時間前に着けば乗り遅れはないでしょう。 香港・深圳間(正確には西九龍・深圳北間)は10~30分おきに列車が走ります。 一方、深圳・広州間(正確には広州南・深圳北間)はその3倍くらいの列車が走っています。 香港まで乗り入れるのは多くが広州南駅行きですが、一部の列車は北京や上海、福州や桂林などへも行きます。 一方で、深圳の福田行きや深圳北行きの短距離列車もあります。 因みに香港の西九龍から北京までの二等車料金は1077元または1239香港ドル、上海までの二等車料金は1008元または1159香港ドルです。 上の写真は二等車で、日本の新幹線と同じように、一列が二席+三席という設計です。 上の写真は一等車で 料金は二等車と二割も違いません。 私は席が空いていて予約できれば一等車を使っています。 日本のグリーン車と広さは変わりませんが、シートは作りが悪いです。 それでも一時間程度乗るなら一等車を選んだ方が何かと良いと思います。 香港・広州間だと判断は微妙なところです。 因みに中国の新幹線には自由席はありません。 その代わり立ち席というのがあって、席が空いていても座ることはできません。 但し、この立ち席については外国語の予約サイトからは予約できないかもしれません。 中国語のC-TRIPアプリからは予約できます。 なお、この立ち席にも枚数の制限があります。 特に春節(旧正月)とか国慶節といった特別な時期でなくても、この立ち席さえ取れないことはよくあります。 すぐの列車だけではなく当日の列車すべてが売り切れているということさえあるのです。 ですから、中国の列車は予約が必須です。 高鉄の最高速度は時速350㎞ですが、広州・深圳間では310㎞くらいしか出しません。 広深港高速鉄道の停車駅、香港西九龍駅への行き方 上の写真は香港と広州南駅間の時刻表の一部です。 停車駅は福田、深圳北、光明城(以上、深圳市)、虎門(東莞市)と慶隆(広州市)です。 このうち、光明城と慶隆駅は停車する列車が殆どありません。 香港から広州南までの列車時刻表は(広州南から先に行く列車も含まれています。 )で確認してください。 また、広州から先へ行く直通列車の時刻表はをご覧ください。 この長距離列車時刻表を見ると分かるように、広州南から先に行く列車は本数がかなり限定されています。 中国内各地への高鉄(高速鉄道、新幹線)は広州南駅始発で沢山出ています。 広州南駅から先に行かれる方は、基本的には広州南駅で乗り換えることを前提に考えた方が、広州から先の列車の本数が多いのでスケジュールを組みやすいと思います。 上の写真をクリックすると大きな地図が別ウィンドウで開きます。 さて、広深港高速鉄道西九龍駅への行き方です。 西九龍駅への行き方には地下鉄やバス、タクシーなどいろいろありますが、香港の交通事情に慣れていない方は、地下鉄またはタクシーにて行かれることをお勧めします。 香港の地下鉄路線図は上の通りです。 地図をクリックすると拡大した地図が別ウィンドウで開きます。 西九龍駅のあたりを拡大して載せました。 香港島からなら東涌線の九龍駅、九龍側なら西鉄線の柯士甸駅(オースティン)駅を利用すると便利です。 いずれの駅からも広深港高速鉄道西九龍駅まで専用通路でつながっています。 広州南駅は広州市のはずれにある 香港まで高鉄が通ると、香港から広州などへ行きやすくなる、速くなると考える日本人が多いと思いますが、そんなに良いことばかりではないというお話をします。 上の写真は広州南駅です。 香港から乗った新幹線の多くはここが終点になります。 この写真は広州南駅で乗車を待つスペースの4分の1くらいを写しています。 とにかく利用者が多く駅が広いです。 乗車する客と降車する客とは別フロアになります。 ですから乗り換える時は一度駅の外に出て、もう一度駅に入るというのが基本で、後で説明する通り、乗換え専用口というのが設置されていれば乗換え専用口で、降車フロアから乗車フロアに移動します。 ちょうど飛行機のトランジットみたいなものです。 とにかくこの人の多さと案内の不適切さは、初めて利用する日本人にとっては分かりづらいものだということを認識してください。 高鉄(中国新幹線)を利用するときはチケット買わなければなりません。 当たり前ですね。 自動販売機もありますが、中国の身分証明書がないと利用できません。 ですから、一般の日本人はこの窓口に並んで中国語でチケットを買わなければなりません。 また、予約したチケットを受け取る際もこの有人のチケット販売窓口に並ぶことになります。 窓口で買うとなると、言葉のできない日本人は不安でしょうが、筆談という方法があります。 「左右」は日本語で言う「前後」を意味します。 なお、中国内も、列車内はすべて禁煙です。 喫煙席はありませんので、念のため。 さらに言えば、深圳市内の福田駅、深圳北駅は構内も禁煙ですから、愛煙家の人は駅に入る前に喫煙しておきましょう。 切符を買う、あるいは切符を受け取るというこの簡単なことが、中国では結構大変です。 それは言葉の問題ではなくシステムの問題です。 上の写真はある新幹線駅でのチケット受け取りの様子です。 彼らは自動受取機に並んでいます。 ここに並べば恐らく15分か20分くらいで受け取れますが、外国人は使えません。 中国新幹線に乗る場合は身分証明書で本人確認が必要です。 (これは一般の鉄道や長距離バスも同様です。 )本人確認もこの機械で行うのですが、対応しているのは中国人の身分証明書だけで外国人のパスポートには対応していません。 ですから、外国人は有人の窓口に行く必要があるのです。 有人の窓口は、チケットの変更や大人数でのチケット予約の人たちも同じ列で並びます。 したがって時間がかかります。 混んでいるから、時間がかかるからということがあっても、有人の窓口を増やすことは、中国の鉄道では極めて稀です。 私の経験では深圳で1回だけあっただけです。 (香港西九龍駅では混雑状況に応じて窓口の数が増減します。 )最近は予約済みのチケットを30分で受け取れればラッキーだ、すいていたという感じです。 最も時間がかかったのは1時間20分、ただひたすら立って待つだけです。 これは事前に予約したチケットを受け取るために要する時間です。 予約していればすぐ乗れるという考え方は捨ててください。 1時間くらい並んで予約したチケットを受け取ったら、駅構内に入ります。 ここで荷物検査のために並びます。 上の写真で左側の列が荷物検査の列です。 普通は5~10分くらいで通過できますが、ひどい時はここでも30分近く並びます。 信じられないでしょうけど、本当なのです。 チケットを受け取るのに1時間、 駅に入るのに10分、そうこうしているうちに予約した列車の出発時間が来てしまいます。 ですから、私が新幹線に乗る場合には、発車の一時間半前には駅に到着するようにしています。 駅の構内に入ったら、 待合室で列車を待ちます。 ホームへは出発時刻の20分くらい前にならないと入れません。 Wi-Fiがある駅が多いのでスマホでもいじりながら待ってください。 また、発車時刻の5分前になると、プラットホームに行く改札口が閉められてしまいます。 時間ギリギリにならないように注意してください。 上の写真の通り自分の列車がどのホームに来るかは案内板で確認できます。 左から、列車番号、終点駅、発車時刻、改札口、状態の順で、改札が始まると状態のところに改札中の表示が出ます。 発車時刻の5分前には改札口が閉まります。 なお、チケットの右上にも改札口ナンバーが表示されます。 下のチケットの写真をご覧ください「検票」と書いてある部分です。 この表示板は分かりやすいと言えば分かりやすいですが、わずか20分の間にこんなにたくさんの列車が走りますので、 自分の列車の時間が表示されるページが出るまで画面が変わるのを根気よく待たないといけません。 因みに上の案内板は広州南駅のものです。 新幹線だけで30番線くらいまであります。 ここで、冒頭に示した図を見ていただきたいのですが、広深港高速鉄道ルートには、予約していたとしても駅に1時間半前に着かないと広深港高速鉄道に乗れなくなるリスクがあります。 一時間半前に着けば必ず乗れるかというと、それは保証しかねます。 私のように高鉄を乗るのに慣れている人間で一時間半前ですから、初めて行く方は二時間前に着いた方が安全でしょうね。 また、広州南駅は広州市街から地下鉄でほぼ一時間の距離にあります。 そうすると仮に広州中心部から香港に移動する場合、広州市街を列車発車時刻の三時間前に出発することになります。 そうしたら、他のルートの方がトータルでは早いのではないか、という疑問が湧いてくるはずです。 広州・香港間47分は嘘ではありませんが、それを利用するためにプラス3時間を見ておく必要があるのです。 広州南駅での高鉄の乗り換えについて 広州から先への乗り継ぎについてここでお話ししておきます。 例えば仏山や長沙、桂林といったところに行くために、広州南駅で高鉄の他の車両乗り換える時の注意事項です。 広州南駅は表示が比較的親切な駅です。 駅名看板には、上の写真の通り、出口と乗換え口(TRANSFER の方向が表示されています。 いったん出口を出てしまうと、出口から駅への入り口は結構遠いですし、また、荷物検査の列に並ばないといけないので大変時間がかかります。 乗り換える人は乗換え口を目指してください。 駅名表示の看板はあまりないですが、ホームの床に乗換え口への矢印が沢山貼ってありますので、これに気付けば乗換え口は見つかるはずです。 この点が広州南駅は比較的親切だと私が言う理由です。 但し、広州南駅で乗り換えて広州から先に行く場合、広州から先のチケットを持っていないと乗換え専用口は使えません。 先のチケットを持っていない場合はいったん駅を出て、チケットをもらうためにあの長い行列に並んで、それからセキュリティチェックを受けて構内に入り、乗客待合室に行くということになります。 以上、広深港高鉄の利用方法を説明してきました。 広州に行く場合はケースバイケースで利用した方が良いときもあるでしょう。 これから他のルートも説明しますので、それをご覧になって判断してください。 香港・広州間であれば、2時間前に広州南駅に行くとしても、広州東駅から深圳まで動車(在来線特急)に乗って、深圳羅湖のイミグレーションを抜けて、羅湖駅から香港東鉄線で紅磡に向かう時間と大差がないですから、広州のどこに行くのか、どこから来るのかによっては選択肢に入ると思います。 広州南駅の方が広州東駅に行くより断然近いような場合には、高鉄に乗った方が良いということになります。 参考までに、広州南駅は広州東駅や広州駅から地下鉄で1時間くらいかかります。 成田空港から東京に行く感じだと思ってください。 深圳の場合はどうかというと、香港から深圳に行く場合は広深港高速鉄道はほぼ利用価値がないというのが私の結論です。 これが開通したからといって、香港・深圳間をこれで行くことが一般的になるとは思えません。 香港から深圳に行くときは広深港高鉄も深圳市内の行き先によっては選択肢に入りうると思いますが、深圳から香港に行く場合は、深圳北駅や福田駅での混雑リスクを考慮すればならないため、選択肢には入り得ないでしょう。 上の写真は現在の深圳・福田駅の有人のチケット売り場です。 この日は誰も並んでいないし、香港西九龍行き専用の有人窓口もありますから、ひょっとしたら時間があまりかからないかもしれません。 また、香港の西九龍駅では客が並べば窓口を増やしてくれます。 ですから、チケット受取の待ち時間は30分も見れば大丈夫だと思います。 だとすれば、発車1時間前に福田駅とか西九龍駅に行けば良いわけで、他の駅に比較すると多少はストレスが少ないかもしれません。 それでも駅に入るための手続等でかかる時間等を考えると、香港深圳間では時間短縮効果は殆どありません。 羅湖方面に行くならMTR東鉄線で行った方が速いし、南山区や宝安区に行くならMTR西鉄線で天水圍まで行きそこからバスで深圳湾に出た方が速いのです。 こうやっていろいろ考えていくと、広深港高鉄(広州深圳香港新幹線)ができても、私のように深圳に住んでいる人はあまり利用価値がなさそうです。 ですが、ビジネスや観光で日本から来る人にとっては分かりやすいルートではありますので、参考にしてください。 恐らくチケットは当日では確保しづらいと思いますので、くれぐれもチケット予約をするようにしてください。 因みに上の写真は深圳の新幹線玄関口、福田駅前です。 香港から広州への行き方2……香港・広州直通列車 香港から広州に行く時の伝統的なルートは、直通列車で行く方法です。 これは、今でも一番のおすすめです。 二つ目は、MTR東鉄線で深圳まで行って、そこから広深線の和諧号で行く方法。 そして、三つ目は、香港から直通バスで入る方法です。 については別ページで紹介しています。 一番目の方法と二番目の方法は、いずれも紅磡(ホンハム)駅がスタートになります。 九龍サイドの方は、地下鉄で紅磡(ホンハム)駅を目指してください。 香港サイドから紅磡(ホンハム)駅に向かう方は、トンネルバスで紅磡(ホンハム)駅に行くのが便利です。 上の写真は、紅磡のバス停です。 香港島からのトンネル手前の道路にはバス専用レーンがあるので、バスで行ってもトンネルの手前で大渋滞に会うリスクは小さいのです。 香港島からトンネルを抜けて最初のバス停ですから、間違えることはないと思います。 バス停からMTR東鉄線の紅磡駅は、歩道橋を歩いて3分くらいの距離です。 上の写真は、歩道橋から海底トンネル方面を見たところです。 正面に海底トンネルの料金所、右側に香港島から走ってきたバスのバス停が見えます。 紅磡駅は写真に写っていませんが、位置からすると、左側になります。 紅磡駅は、広州への直通列車の始発駅です。 まず、広州への直通列車専用の切符を買いましょう。 全席指定席ですから、このチケットなしでは広州へ行くことはできません。 紅磡駅から広州行きの直通列車に乗る場合は、駅構内で出境手続をしますので、このチケットがないと出境できないのです。 上の写真は、紅磡駅にある広州への直通列車専用の切符売場です。 「城際客運服務中心」という看板が出ています。 「城」とは、中国語で「都市」を意味しています。 香港は国ではなく都市ですので、「国際」ではなく「城際」となるわけです。 実は、紅磡駅からは、広州以外に、北京行き(所要時間約23時間)と上海行き(所要時間約20時間」の列車が一日おきに走っています。 これらの列車の切符もここで購入します。 さて、広州への直通列車は、香港内では一切停車せず一気に中国内に入ります。 したがって、広州への直通列車に乗る場合は、この紅磡駅内にあるイミグレーションで、香港からの出境手続きを行います。 そして、広州東駅に併設されている中国イミグレーションで中国への入国手続きをします。 いずれもそんなに混みませんので、広州に行く方は、この列車を利用すると便利なのです。 写真右側の壁に「城際直通車離境大堂入口」(国際列車出発ホール入口)という字と矢印が見えます。 直通列車に乗る場合はその方向に進みます。 上の写真は、紅磡駅の建物内にあるショッピングゾーンです。 特に珍しいものを売っているわけでもないし、美味しいものを食べさせてくれる店もありません。 広州行きの列車に乗るためにあまり早く紅磡駅に行き過ぎると、退屈してしまいますから、紅磡駅での時間つぶしに利用するくらいです。 と言っても、せいぜいマキシムエクスプレス(広告左手にあるファーストフードの喫茶店)やマクドナルド(通路奥に看板が見えます)あたりになってしまいます。 引き続き、広州行きの話です。 紅磡駅から広州行き直通列車に乗る場合は、ホール入口から入って、香港の出境手続きをすると、上の写真のような待合室に着きます。 成田空港や関西空港といった国際空港の待合室と同じで、ここには、海外(香港外)に行く人しかいません。 なお、香港・広州間を走る直通列車の時刻表は、2018年10月現在、次のとおりです。 仏山行きを含めて、1日13往復走っていることになります。 「九廣通」は香港MTRの車両で走ります。 こちらの車両のほうがちょっと豪華です。 香港・広州間直通列車の最新情報は、で確認してください。 広州東駅からは、地下鉄も通っていますので便利です。 香港紅磡駅を出て広州南駅までの所要時間は約二時間です。 そうです。 広州南駅でチケットを受け取ったりイミグレをしたりして列車を待つ時間と同じなのです。 ましてや、広州南駅まで行く時間を考えたら広深港高速鉄道を使う気持ちなど吹っ飛んでしまうと思います。 さて、広州東駅からの地下鉄に乗れば、後で紹介するや中国最大の茶葉市場である、それから広州観光では必見のといったエリアに乗り換えずに行くことができます。 また、広州東駅ではタクシーが駅前で沢山待っていますので、すぐに乗れます。 タクシーを使う場合はタクシー乗り場から乗車してください。 北京語のできない人は、行き先を予め紙に書いておくか、タブレットやスマホで中国語表示の住所を示せるようにしておくと良いと思います。 99%、英語は通じません。 私は、香港や深圳、広州には仕事や旅行でたびたび行くことがあります。 そんな時に私が使っているのがこのSIMカードです。 毎回の出張や旅行ごとに買い替えても日本の海外パケットし放題などに比べてはるかに安く済みます。 頻繁に行く人にはチャージして使い続けるという方法もあります。 SIMカードの入れ替えは簡単ですし、チャージの方法などは同梱されている日本語説明書に丁寧に書いてあります。 中国聯通香港(チャイナユニコム香港)のSIMカードですから、 中国にいるときもフェイスブック、TwitterやGoogleにアクセスできることも、このSIMカードの長所です。 中国への出張者・旅行者必携のSIMカードです。 なお、電話は使えませんのでご注意ください。 もあります。 但し、こちらは中国専用なのでGoogle等への接続にはVPNが必要です。 なお、このようにSIMカードを入れ替える際には を買うなど、SIMカードをなくさない防止策も忘れないようにしましょう。 香港から広州への行き方2……深圳経由広深線(和諧号)で広州へ 香港から広州に行く方法で、慣れていない方に最もおすすめするのは、直通列車の利用です。 それでもチケットが取れなかったり、深圳に用事があったりして、深圳乗換で行かざるを得ない場合もありますので、二番目の方法として、MTR東鉄線で深圳まで行き、深圳から和諧号で行く方法を紹介します。 この場合も、スタートは紅磡駅ですから、紅磡駅までの行き方は上で紹介した内容をご覧ください。 また、紅磡駅に行くとかなり遠回りになる場合も、この深圳乗換ルートになります。 上の写真は紅磡駅の建物です。 紅磡駅は、かつてはMTR東鉄線の始発駅でした。 また、私がまだ香港に住んでいたころは、MTR東鉄線ではなく、九広鉄路という独立した会社でしたが、その後、MTRと合併して、今のMTR東鉄線という名前に変更されています。 紅磡駅から乗る場合、窓口で羅湖行きの切符を買ってください。 座席には、普通車と頭等車(ファーストクラス)があります。 料金は、普通車なら33香港ドル、頭等車はその倍額の66香港ドルです(2009年1月現在)。 頭等車(ファーストクラス)はそんなに豪華な座席ではありません。 高い確率で座れるということと、車内が混んでいないことがメリットです。 紅磡駅から羅湖駅まで45分の所要時間ですから、よほど疲労している場合を除いて、普通車で良いはずです。 なお、オクトパスカードを利用する場合は、予め切符を購入する必要がありません。 また、頭等車に乗る場合は、予めホームでオクトパスカードをかざして、頭等車割増料金を支払ってください。 (この要領は日本のJRのグリーン車の料金を支払うやり方と同じです。 ) MTR東鉄線の終点、羅湖駅です。 香港側の羅湖駅(深圳地下鉄の羅湖駅とはつながっていません。 )は改札を出るとすぐに香港から出境するイミグレーションになります。 その香港側イミグレーションを出て、境界の小川を渡ると中国側のイミグレーションである羅湖口岸(口岸はイミグレーションのこと)になります。 なお、境界となっている小川の手前に免税店がありますから、タバコや酒などを買う人はここで買い求めください。 初めてここを通過する方にアドバイスですが、この一連の手続きは、香港人(香港居民)か中国人か外国人かによって、窓口が異なります。 この際に大切なのが、自分が外国人であるということを忘れないことです。 外国人のことを、香港側では「訪港旅客」、中国側では「外国人」と呼びますから、ここを通過するときは「訪港旅客」「外国人」という字を見逃さないようにすることが大切です。 MTR東鉄線羅湖駅の改札口へ向かう人の列です。 長い編成の車両がひっきりなしに羅湖駅に到着します。 外人について行けば良いかというとそうでもありません。 香港に住んでいる外国人(日本人を含みます)は香港居民の資格を持っていますので、香港居民の列に並びます。 3年間香港に在住していた私も、かつては香港居民だったわけです。 中国人も香港側のイミグレーションでは外国人ではありませんし、香港人は中国側のイミグレーションでは外国人になりません。 「訪港旅客」「外国人」に該当する人はあまり多くありません。 人について行くのではなく、あくまでも自分の目で「訪港旅客」「外国人」という字を探してください。 上の写真は、中国への入国手続きを終え、羅湖口岸(イミグレーション)の建物を出たところです。 雰囲気が香港とは一変します。 かつては、この後、中国ビザを申請し、ビザ取得をした上で中国への入国手続きをしたのですが、現在は、日本人なら中国への入国は、観光で入る場合は15日以内であればビザが不要となっていますので、至って簡単です。 なお、羅湖駅の改札口から一連のイミグレーション手続きを終えて深圳市内に入る所要時間ですが、通過する時間やシーズンによって大きく左右されます。 早いと15分くらいで通過できますし、混んでいると1時間かそれ以上の時間を要します。 最大でどの程度の時間がかかるのかについては保証できません。 時間には余裕をもってスケジュールを立ててください。 さて、ここから広深線の和諧号に乗り換えます。 上の写真は羅湖口岸(イミグレーション)の建物を出たところから撮影したものです。 正面の回転展望台付きのビルがシャングリラホテルです。 ここは、1990年頃にできましたが、当時はこのビル以外、安心していられる場所がなかったと言うと言い過ぎかもしれませんが、我々外国人からするとオアシスみたいな場所でした。 そのくらい、深圳では、市街地であっても色々と事件が多かったということです。 右に見えるのが、人気の商業ビル、羅湖商業城です。 深圳に来たら、ぜひ、立ち寄ってもらいたいショッピングスポットです。 週末になると、深圳の街には沢山の香港人の若者が買物に来ますが、彼らに人気のショッピングスポットの一つがここ羅湖商業城なのです。 そして中国国鉄の深圳駅は左に見えていて、中国各地と列車で結ばれています。 深圳と広州の間には時速200kmで走れる和楷号と呼ばれる新幹線が走っています。 和楷号に乗ると、深圳・広州間は1時間半くらいです。 もっと速い新幹線は高鉄と言われていて、深圳北駅から専用軌道を広州に向かって走っています。 さらに北京や厦門、武漢などともつながっています。 ここから深圳駅の下にあるチケット売場へ向かうことになります。 深圳から広州へは広深線の和諧号に乗ります。 日本の新幹線と同じような内装ですけど、この路線では時速150㎞程度しか出しません。 その結果、深圳・広州間の所要時間は1時間半くらいです。 広州には広州駅、広州東駅、広州南駅などがありますが、広深線が行くのは広州東駅で、時々広州駅まで行く和諧号もあります。 深圳駅での切符売場と待合室はここにあります。 「售票处」がチケット売場、「候车室」が待合室を意味します。 上の写真は広州東駅です。 深圳駅の建物内もこのような行先案内がありますので、それに従って進んでください。 広深線の和諧号はかなりの本数が発着しています。 上の写真も広州東駅のものですが、10分おきくらいには出ています。 チケット売場です。 自動販売機もありますが、中国の身分証明書がないと自動販売機は使えませんので、このような窓口で買うことになります。 その際に、パスポートを提出する必要があります。 この窓口が最近混んできました。 高鉄並みに大行列ができていることがあります。 私の経験では予約したチケットを受け取るために最大で一時間くらい並びました。 普通は30分くらいかかると思ってください。 どんなに並んでいても隣の窓口が開くなどという期待は持たない方が良いです。 私の場合混雑していたため窓口を増設したことは一回しか経験がありません。 高鉄に比べると半分強くらいの時間で受け取れるという印象です。 深圳駅から広州東までの和諧号に乗り込む 広深線和諧号のチケットです。 日本のチケットに似ていますし漢字で書いてありますから、中国語が全く分からない人でもある程度見当は付くでしょう。 5月25日の15:44発の列車番号D7038で1号車10D番が私の席です。 一等車です。 因みに一等車と二等車の料金差は20元です。 自分の乗る列車が何番線から出るかは、このような画面に出ています。 3番線です。 中国では、列車に乗り込むことができるのは発車時刻(开车)の15分前程度から5分前までです。 それまではプラットホームに入れませんので、待合室で待ちます。 ちょうど飛行機の国内線に乗る感覚です。 また、5分前にはプラットホームに入るゲートが閉められてしまうので遅れないようにしてください。 ホームに来れば、自分の座席番号を見て該当車両に乗るだけです。 一等車に乗るときは、車両の前で車掌さんがチケットをチェックします。 広深線和諧号の一等車内の風景です。 日本の新幹線のグリーン車みたいなものです。 ゆったりしているし客層も良いですから、私はいつも一等車を利用しています。 また、一般的に一等車の方が座席が確保しやすいようです。 二等ですぐの時間の列車チケットが取れない時でも一等車だと取れることもあります。 香港から広州への行き方3……香港から直通バスで広州へ 香港から広州へ行く方法の最後は、香港から深圳湾口岸経由直行バスを使うルートです。 はっきり言ってこのルートは時間がかかりますので、最後の手段だと考えてください。 4時間以上は覚悟してください。 例えば広州交易会の時期などでどうしてもチケットが取れないけども広州には行かないとならない、といった時に使うルートです。 香港・広州間の直行バスを運営している会社にはいろいろあります。 また、香港内の香港空港から出るバスや香港内の各地から出るバスがあるので、利用者はそれなりにいます。 行きたいけども安く移動したいという人には向いているルートなのです。 私は広州での定宿はと決めています。 近くにあるが私の広州での朝食ですし、とにかくグルメ地区の西関地区(オールド広州地区)以外に私のお気に入りのエリアなのです。 ですから、私が利用する直行バスは発のものです。 から香港まで直行バスが何本か出ています。 殆どが皇崗口岸経由なのですが、そのうちの何本かは深圳湾口岸を通ります。 今回、その深圳湾口岸経由のバスに乗ってみました。 広州から香港まで85元というのは有難いです。 香港でも中国本土内でも走れるダブルライセンスの豪華バスです。 ダブルライセンスですから、車のナンバープレートが二枚ついています。 白が香港のナンバープレートで黒が中国のものです。 香港・中国間の直通バスに乗るときはこのナンバープレートの写真を必ず撮影しておきましょう。 というのは、バスの乗客は深圳湾のイミグレーションを通過する際にバスを降り、徒歩で入出境手続きをした後に、またバスに乗り込むことになりますが、その際に自分が乗っていたバスを探さないといけません。 バスのドライバーは〇〇番ホームで待つように言ってはくれるのですが、広東語だけで説明されるので私は聞き取れません。 ですから、このナンバープレートの写真が頼りなのです。 以前にも皇崗口岸経由の便に乗ったことがあるのですが、上の写真はその時のものです。 皇崗口岸は大きなイミグレーションで、バスや団体客が多く込み合います。 こういう中で荷物を抱えながらお目当てのバスを探すのは結構骨が折れます。 同乗者を頼りにすれば良いではないかという人もいるかもしれませんが、これだけの人ですからはぐれてしまいますし、何よりも彼らも車内放送など聞いておらず、むしろ私が彼らからバスはどこで待っているのですかと北京語で質問されるのが常です。 彼らをあてにしてはいけません。 イミグレーションで降りた乗客全員が揃わないとバスは発車しませんけれども、一番最後に乗ってくる乗客に対する他の乗客の白い目を私は何度も目にしています。 こちらの写真は深圳湾口岸です。 深圳湾口岸も広いですけれども皇崗口岸ほどには苦になりません。 それでも不慣れな方は心配になるかもしれません。 深圳湾口岸をトランクを曳きながら通過した印象では、一つの建物の中で香港と中国の入出境手続きを完了できるので、移動距離が短いということが何よりもメリットとして挙げられます。 通過時間は、その時の混雑状況により左右されますが、この日についてはわずか15分という大変な速さでした。 夕方5時前後という時間帯にしては、信じられないほどの速さです。 香港と中国本土間の直通バスに乗る方に深圳湾口岸経由をおすすめしている理由はそこにあります。 直通バスを利用されたい方は、ルートが沢山あります。 次の中国語をgoogle等で検索して、目的地に近い路線を探してみてください。 どれに乗ってもサービスに大差はないし、言葉の通用度も変わりません。 「广州 香港 汽車」 香港空港から広州へ 以上、香港市内から広州への行き方を説明してきましたが、香港空港から広州への移動となると、条件が全く変わります。 何故かというと、フライトの到着時間が前後するのは常ですから、予め列車のチケットを予約することができないということが最大の理由です。 上の図で上から順に説明します。 (香港空港からMTRに乗るとき高鉄の予約をすれば多少は時間のセーブはできます。 )西九龍まで40分、チケットを買って列車までの待ち時間も入れて2時間、高鉄乗車時間が50分ということで、最短で3時間半でしょう。 一方、当日のチケットが確保できないリスクもあります。 香港空港から紅磡まで一時間、紅磡で一時間半待って列車に乗り、さらに二時間かけて広州東に着くというのが最短の時間でしょう。 最短で4時間半でしょう。 これは比較的速い方法ですが、深圳・広州東間のチケットを買う時間と動車のチケットの空き具合に左右される面もあります。 最後の直通バスです。 これは走る速度は一番遅いですが、待ち時間を考えると意外に悪くない選択肢です。 上の写真は香港空港第二ターミナル地下にある大陸各地向けバスのチケット売り場です。 ここでチケットを買うと、深圳湾のイミグレーションまでスカイリモで行って、深圳湾からバスに乗り換えるという形態になります。 詳しいことは、のページに記載しています。 このルートを取ると香港空港から4時間あれば広州の目的地にほぼ行けるはずです。 深圳湾からのバスは広州の各地向けに何本もありますから、広州の行先を示せば最も都合の良いバスを選んで進めてくれるはずです。 という具合に、実は香港空港からだと直通バスが意外に良い選択肢になる可能性が高いのです。 どのルートも一長一短です。 広州の魅力 広州は、宋代や元代の昔から南洋貿易の拠点だった街で、清代半ばからは対外貿易が許される清国唯一の港として発展した街です。 その時代、外国の公館などの設置は広州にしか認められず、外国人の保護・隔離を目的として清国は広州市内に外国人居住区を設置していました。 その後、広州は第一次アヘン戦争中の1841年にイギリス軍に占領された後、第二次アヘン戦争 アロー戦争 を経て、戦勝国であるイギリスとフランスに租界地を設置することを余儀なくされました。 その租界地が沙面島です。 近代以降の広州は欧米列国にとって、のどから手が出るほど欲しい注目の街だったわけですが、その背景には広州が中国における唯一の貿易港であったということと、広州市内を流れる珠江の港が天然の良港として欧米諸国から評価されていたことがあります。 広州の見どころの第一は、このやといった当時の広州を彷彿とさせるエリアにあると思います。 東洋の魔都といわれた上海のようにスケールの大きな建物は少ないのですが、今でも、に行くとほどではないものの、ヨーロッパのような街が広がっているのはこうした歴史によるものです。 広州に行ったら、この沙面の街をぜひ訪ねてもらいたいものです。 また、上の写真にある越秀公園の五羊の石像は広州のシンボルのようなものです。 この五羊とは、羊に乗った五人の仙人が広州の地域に降りてきて、豊穣のシンボルであった黄金の稲穂と五匹の羊を残し、再び天に昇っていったという伝承に基づき、以来、広州の人々が五匹の羊を五穀豊穣のシンボルとして大切にしてきたことに由来しています。 かつて、広州が羊城と言われていたことも、この伝承に由来していると思います。 中国旅行中の私の朝の習慣は、公園の散歩です。 広州にもおすすめの散歩エリアはいろいろありますが、一度は行ってもらいたいのが、この越秀公園です。 広州に来たら、一度は五洋の石像と対面してもらいたいからです。 上の写真は一帯は、昔からの広州の繁華街です。 上で紹介した沙面から歩いていける近さにあって、広州一の繁華街であるが第十甫路と名前を変える辺りから始まります。 西関地区は官僚をはじめ裕福な人々が居住したエリアで、清の時代から大規模な住宅や建物が建てられていて、その頃の街並みが保存されているエリアです。 騎楼といって、1階部分はアーケードとなっている建物が道の両側に並びます。 この建築様式は、かつて広州で流行った建築様式で、西洋のコリドール(回廊)建築と広州伝統の建築様式が結合したものです。 2階部分が通りにせり出していて、その結果、1階部分はアーケードとなり通行人は夏の強い日差しや急な雨を避けることができるわけです。 確かに、この地域の気候に合った建築様式だといえます。 そうしたエリアには、広州最大の魅力であるグルメの名店が集中しています。 なかでもは、「食在広州」と言われる中で、広州の美食家を常に満足させてきたということで有名な店で、言わば、広州のレストランの横綱とでも言うべき存在です。 1937年に開店した店で、既に70年を超える歴史があります。 上の写真はその広州酒家の看板料理、文昌鶏です。 広州人で、広州酒家の文昌鶏を知らない者はいない、と言われるくらいの看板料理です。 文昌鶏という料理名は、広州酒家のある文昌路から採った名前かと思っていましたが、どうやら鶏の産地である海南省の文昌県から採ったものだそうです。 逆に、文昌鶏という看板料理の名前が通りの名前になったという広州人もいます。 文昌県の鶏というのは、美食家の間では有名なのだそうです。 鶏肉、レバー、金華ハムが並んでいるのが分かりますね。 は朝の飲茶も素晴らしいものがあります。 飲茶というと日本人はすぐに香港を思い浮かべてしまいますが、その原点はここ広州にあって、広州では香港以上に広東地方の伝統的な飲茶風景を見ることができるのです。 広州でも新しく開発された天河などのエリアでは、現代の香港スタイルの飲茶になってしまいますが、ここ一帯では、やといった老舗で広州ならではの飲茶風景が楽しめます。 そうした広州の老舗広東料理店の一つは60年を超える歴史を有するレストランで、この店最大の人気ポイントは動物点心をはじめとした像型点心です。 上の写真は緑茵白兎餃という蝦餃(エビ餃子)。 白いウサギの餃子と書いてあります。 プリプリしたエビの感触が素晴らしいです。 緑の茵(しとね)は、何と香菜でした。 人気が出るのも分かります。 こんな素晴らしいグルメの街、広州にいると、一日に4食、5食も食べたくなってしまうので肥満が心配です。 香港・広州の旅行情報 香港・広州のグルメ情報.

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